








ただ、普通のVinacciaではありません。
カルロ・ムニエルの名がラベルに入っており、直筆サインも付いています。
Vinacciaに興味ある人なら、その存在は知っていると思います。
F.LLI Vinaccia fu P.le e Nipote C.MUNIER
なぜか、このようなラベルの住所はMaria La Nova25
で、1900年か1901年に作られたものが多いようです。
今回の楽器も上記の通り記載され、住所も同じです。
なぜこの時期にこのような楽器が作られたか?
ちょっとした謎ですね。
ムニエルとヴィナッチャの合作だと言う人がいます。確かに幼い頃からVinaccia家
で育ったので、製作する腕前もあったでしょう。ただ、この頃はすでに受賞歴もあり、演奏
や作曲などに忙しかったはずですし、活動拠点もフィレンツェです。ちょっと考えられない
気がします。それに彼がカラーチェのように製作もしていたなら、彼だけの名前のラベルが
付いた楽器も現存していてなければいけないでしょう。
名演奏家が設計段階で助言した「監修」物だったのでしょうか?昔よく日本でもあった古賀
ギターとか阿部保夫監製ギターとかと一緒で、どちらかというと販促目的だったのでしょうか?
カルロ・ムニエルの名を冠したVinacciaを何台かネットで見ましたが、仕様は様々
です。メープルのもあれば、ローズウッドもある。ペグカバーのあるものもあり、ないもの
もある。ピックガードにインレイのあるものもある。統一感はないですね。とても、これが
「カルロ・ムニエルモデル」だと決めつけられそうにありません。ただ単にVinaccia
にムニエルの名を冠したラベルを付けただけにも見えます。Rua Cantalana時代
と作りは変わってない気がします。
ムニエルの名前は加わっているものの、それで楽器に変化を生じてないという事は?
ただ単に販促狙いだったのか?
短期間であったが、店の看板が変わったという事は、ムニエルが資本参加し経営に関わってい
たという事の表れだったとも見えます。楽器製作する余裕はないが、金と口なら出せたはずです。
Charaに引っ越した1902年のラベルにはムニエルの名は消えて、今度は&Co.が付く
のですね。個人工房から会社組織への脱皮です。この過程でムニエルの名が出たという事は、そう
いう事も考えていいかもしれないと思います。
1902年からのラベルは FLLI.Vinaccia fu P.LE & Co.
&Co.という表現がどういう時使われるか分かれば、より理解が早いでしょう。
人名の後に&Co.が付く場合、その人と仲間または友達と共同事業を始める時使うのです。
故パスクアーレの息子のヴィナッチャ兄弟とその仲間の会社という意味です。その仲間とはもちろんムニエルでしょう。
&CO.の使い方はこちらで詳しく解説されてます↓
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2005/07/co_ltdinc.html
販促上の狙いなら、&Co.以降もムニエルの名が付いたラベルが出てきてもいいのですが、見られません。ムニエルの名前をラベルに出したが、実際には楽器製作に携わってないので、あらぬ誤解
を生じたのかもしれません。きっとムニエルの方からラベルを替えた方が良いと言ったかもしれませんね。
いずれにせよ、兄弟とムニエルは強い結びつきがあったという事を証明しているラベルには違い
ありません。
今回の楽器のラベルの左端にはフラテリ・ヴィナッチャのサイン右にムニエルのサインがあります(もちろん直筆です)。ヴィナッチャ好きにはたまらないラベルですね。
今度のヴィナッチャは小ぶりです。1890年代に作られたと思われる所有の銀線入りと比較して
みましたが、胴の長さも膨らみも少ないです。そのためか重量はかなり軽い。音も軽く反応がいいですね。(一口にヴィナッチャと言っても、胴の膨らみは同じではないのです。この辺の事分かってないオールドマンドリン通がいるのは残念です)
胴には木目が非常に美しいハカランダを使用しています。表板も緻密で木目が揃った良い素材を使っています。派手な装飾はありませんが、上質感があります。
表板の割れはありますが、ネックは真っ直ぐ。リブの剥がれも目検ではなく、光も洩れません。
未調整物にしては、かなり程度はいいですね。
近日中にヤフオクに出します。