平安時代末期(1180年)源平の戦いで平家により、東大寺は焼き討ちにされました。

 その後、壇ノ浦の合戦で平家が滅亡し、文治(改元)2年(1186年)東大寺再建の大勧進(責任者)に任命された重源上人は、用材切り出しのため、佐波川上流の徳地を訪れ、その指揮をとると同時に、周防国の国司として政務も執行しました。と、説明にあります。