OLD
Amebaでブログを始めよう!

さりげなく

更新。


実はGREE日記と

研究室用のブログと

とてつもなく個人的なGブログ

3つやってて、

どうもここで書くことないんだよね。


何か新しい動きがあったら

それ用のブログをつくるということで

ここは今のところ放置予定です。


よろしければ

http://ameblo.jp/greene-seminar/

http://gree.jp/satoyusuke/

にアクセスください。

いつの間にか

前回のエントリーを書いてから1週間近く。

3日坊主にすらならない。

自分のblogに対するスタンスが、タイトルにもあるように、

「ノート代わり」

な為、少々サボりがちだ。


芸能人は、日常にすら商品価値がある。

ニーズがあるからだ。

僕にはない。

芸能人でもないパンピー一直線な僕の日記に

公開する必要性など、到底見出せなかった。

僕の、そういった何の変哲もない時間について興味を持ってくれるのは

彼女くらいのもので、




と、ここまで書いたところでiPodのバッテリが切れた。

ちょうどSAW THROATのindestroyがイイ感じに退廃的暗黒感を漂わせてきてたのに!

saw throatはかのSore Throatメンバーによる変名プロジェクト。

1989年Manic Earsよりリリースされた唯一のLPがこのindestroyで…

とか、誰が見るの?

ため息混じりに自分で言っちゃったよ。

セルフ・ノリ突っ込み

うん。

でもまぁ、後から自分でこのblogと読み返したときに、

あぁ、あの時saw throatの曲が途中で切れちゃったんだな。

あたい、saw throat好きだったな…

みたいな感慨に耽るのもまた一興、的な。

徐々に文体も崩れつつありますが、

僕、元気です。

と、言う訳で、これからは日記的な、

日々感じたことなども徒然なるままに書いていこうかと。


これ宣言するだけで疲れた…

今から友人のライブの為に三宮。

それでは。

I wanna be me.

先のエントリーにもあるように

I wanna be me.

これが僕の目標である。

かの(あまり好きではないが)sex pistols の曲のタイトルにもなっている。


なぜ葬式では故人の生前の仕事について語られがちなのか。

偉大な発明家であろうと、100mを9秒台で走るアスリートであろうと

時価総額ウン兆円の会社社長であろうと、

それは人がひとり死んだ重みに比べれば、取るに足らないこと。

むしろ絶対的な消滅、何千年、何万、何億年経っても戻ってはこない

絶対的別離である「死」を覆い隠すものとして、

数々の発明品や金メダルは機能するのである。


ジョンレノンから、彼が歌ったすべての歌を取り上げても、

グリーン からあの派手な服と今までの輝かしい功績を奪い取っても


彼らがひとりの、人間であるという一番重要な事実は残る。


となると、人生の目標とは

(少なくとも僕にとっては)

内閣総理大臣になることでもなければ、庭付きで、流行の建築家に建ててもらった

一戸建てに住むことでもない。


また何かを作りだしたり(デザイン、料理、絵画、映画、役者…)、といった

モノに託す自己表現でもない。


「自分自身になる」ということ。

「よいこと、わるいこと」を超えた、もっと根源的なもの。

何かよいこと、価値のあること、役に立つこと、為になること、

そういったことではない。

「生きること」

世間的に偉くなる、なんていらない。

君の権威なんて知らない。

相対主義は、僕を価値付けられない。



モンテーニュはこの事柄について、こうまとめた。


我々は言う。

「彼は無為の中にその一生を過ごした」

「僕は今日何もしなかった」

と。

冗談じゃない。

君は生きたではないか。

それこそ、君たちの仕事の根本にあるだけでなく、

その最も輝かしいものではないか。

「もし大事業をする好機が与えられたなら、僕もこの腕前を見せてやったのに」

と、君は言うが、もし自分の生活を考え導くことができたのなら、

それだけで君はあらゆる事業のうちの最も偉大な事業を成し遂げたことになる。


我々の偉大で光栄ある傑作とは、ふさわしく生きることである。

そのほかのことは、統治することも、お金を貯めることも

家を建てることも、皆、せいぜい付帯的二次的な事柄に過ぎない。












SEEIN' RED

オレは色盲だ

オレは色盲だ


オレは肌の色で人を差別しない

人種差別するかどうかで人を差別する


オレは色盲だ

オレは色盲だ


オランダのポリティカルハードコアバンド、SEEIN' REDの歌詞だ。

彼らは共産主義者であり、学校の教師/校長でもある。

商業主義を否定し、

自らの主張を、怒りを

音楽というメディアを通して20年間訴えてきた。


ソ連の崩壊/中国の自由化/北朝鮮

我々は社会主義/共産主義に致命的な欠陥を見た(気になっている)

マルクス主義は圧倒的な非論理性を持っていたことも事実だ。

しかし左思想の根底にあるものはヒューマニティであり

理想主義である。

彼らは時代遅れの理想主義者だ。


だがそれがどうした。


I wanna be me.

They became to be them.


OLDスタート

old

-used or not new-  having existed for a long time, or having been used a lot bofore

(LONGMAN Advanced AMRICAN DICTIONARY)


人/動植物に対して「としおいた」

物に対して「ふるい」

といった意味として主に用いられている形容詞だ。

現在、我々は老いとは勇敢に抗い、戦うべき対象として捉えている。

これをライカードは「装甲型」と定義した。

多くの例外も認められるが、

現在の医学の進歩のベクトルから見ても、その事実は否定できない。


しかしそれとは逆の捉え方も存在する。

サントリーオールドというウイスキー (通称だるま)といった商品がある。

日本にはまだ半世紀程度しかウイスキー文化がなく、

そしてその歴史のスタートがサントリーオールドだったのである。

スタートから「オールド」

ここにoldという「としおいた」「ふるい」の概念は、

「権威あるもの」という意味合いとして拡張される。

サントリーは、スコットランドの500年のウイスキーの歴史を

ネーミングによって新製品に顕在化させたのでる。



上記のLONGMAN、oldの項に(か~なり下の方)

goodとある。


このgoodには様々な意味が込められているように思う。

僕が受け取った意味も様々だ。

そこが好きだ。

なぜ単にgoodではなくoldという言葉を用いて

「good」を表現するのか。


OLDスタートです。

よろしくお願いします。