まもなく忌明け、御店の中はそわそわとし始めていた、忌が明ければ新しい奥方が誕生し、跡取りも正式に決まり今まで通りの生活がまた始まると皆が思っていた。蓮吉も寝返りをゴロゴロとはじめ、暗くなりがちな御店の雰囲気を明るくしていた。蓮吉を密かに亡き者にせよと命じられていた者でさえ、赤子の屈託ない笑顔を目の前に見れば、なかなかそのような気持ちにはなれず、蓮吉が口に含むと危険な物を蓮吉から遠ざける始末であった。
 妹は焦っていた、思うように事が運ばない、いっそのこと陰陽師にでも頼んで呪詛してやろうかとさえ思っていた。その思いが通じてしまったのだろうか、思いもよらない事態が起きてしまった。それは、はすと蓮吉にとっては目の前の幸せをもぎ取られたとしか言えない事態であった。
 その日、旦那は店の仕入れの為に出かけていたのだ、帰り際に侍が乗った馬が旦那のすぐそばで暴れ出し、その脚に蹴られ、近くの川の中に落ちてそのまま帰らぬ人となってしまったのだ。買い付けた反物と一緒に川に落ちたのがいけなかったのか、それとも馬の脚に蹴られたことが悪かったのかそれはわからない、ただ、はすの最愛の人が目の前から消えてしまったのだ。
 知らせを聞いたはすは、崩れるように倒れた、その心の中では後悔の想いが一杯だった。
 
 「なぜにわてはあの人の願いを聞かなんだろう・・。先代の願いでもあったのに・・・。」

 何度も触れ合った肌のぬくもりも、温かな声音ももう聞けない、悲しみくれるはすの膝をペシペシと叩く小さな手があった。蓮吉の屈託ない笑顔が、旦那の笑顔と重なった。そして、奥方の優しい笑顔もその先に見えるような気がしたのだ。

 

「どないなことがあっても、わてはこの子を育てんとあかんのや。それがお二人への恩返なんや。」


蓮吉をギュッと抱きしめてはすは一人そう呟いき揺るがない芯が出来た。
 旦那の葬儀を済ませた夜、番頭がはすが深刻な面持ちではすの部屋を訪ねてきた。

 

「はす様、今夜何にも言わんとここを出なせぇ。このまま居たら蓮吉坊ちゃんの命があぶねぇでやす。まさか旦那様がこんなことになるとは思わなんだから忌明けでも大事なないと踏んでおったんじゃが、もうそれも無理じゃ。奥方の妹様がこのお店に明日にでも乗り込んでこられるでしょう。そうなったらはす様の居場所はなくなっちまう。蓮吉坊ちゃんは旦那の血を引いているから表向きは、はす様だけ追い出しにかかるでしょう。期を見て、どこぞに養子出すか、寺に奉公させるとしてくれれば大事ないが、妹様の性格から考えると、どうもそうはいかなように思えてしょうがねぇ。私も多分そんなに時間なく追い出されることとなるでしょう。そうなったら坊ちゃんがどうなるかなどわかったもんじゃねぇ。手前で用意できるだけの資金は用意しておきやした。それは、旦那様と奥方様といっしょになにかあった場合の事を考えて身請けするときから決めてあった金額でやす。跡取りを産んでくれたお礼金と言ったところでしょう。当分の生活には困らない金額となっておりやす。今のうちにこの屋敷を出て、一応、葦野原の見世に連絡を入れておりやしたからそこに暫くの間でも、身を隠されるようにしております。一度身請けした花魁を、またあの場所に戻すなんてこったぁ、あっちゃならねぇ、そんでも、わしらははす様と坊ちゃままで亡くしたくねぇ。さぁさぁ身の回りの物だけをかき集めてすぐにここをお出にならなくっちゃならねぇ。後の事はわしらに任せておくんなせぇ。大事な物は、必ず届けやすから。」


 有無を言わせぬ口調で、番頭が一気に話した。

 そしてはす自身薄々感じてはいた身の危険が現実のものとなるやもしれぬことと、蓮吉の命を守る為にも、番頭のいう事を聞いてその夜のうちに、夜逃げさながらに御店を後にし、かつて身を置いてその身で生計を立てていた天下の岡場所の門を再度くぐっていった。


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