びっしょりと濡れた襷には、仲間の熱い思いが詰まっている。その襷を肩にかけて、余った部分を腰にはめながら最終区のランナーがスタートをする。箱根路は、あと少しで今年も幕を閉じる。


「おうっ、今年こそは優勝を狙うぞ!!」


それが毎年の始まりの言葉だった。この3年間どんだけ聞いてきただろうか。しかし、実際はそんなに甘いわけがない、強豪校がひしめき合い、実力も拮抗した状態では抜きんでた力を持った者を一人有する大学に、近年は優勝を持って行かれていたのだ。


「大砲が欲しい」


そればかりが、呟く度に皆の胸中に凝り固まっていた。


「大砲なんて、大したことねぇんだよ。俺たち一人ひとりが、その大砲ほどじゃなくても、ずぼらないで実力をしっかり発揮すれば見えてくるはずだ。」


「だけどよう、マジで大砲がいねぇのはいてぇんだよ!!」


「そればっか言ってもしかたねぇだろ、いねぇもんは仕方ねぇんだ。どうするか考えなきゃ仕方ないんだ。それならば、一人ひとりが頑張るしかないだろ!!」


「分かってんだよ!!上手くかねぇんだよ。」


「じゃぁ練習やるしかねぇだろ!!」


4年の男どもは、喧々諤々と酒を飲みながらこれからの事を必死で話し合っていた。
この2年間、4年間の最初の一年はコーチがいたが、一年の末に突然辞めてしまったその後の2年、コーチはいたがコーチと言っても新米でなかなか成績が伸びず、昨年はとうとうシード落ち一歩手前まで追い込まれていた、今年になり、やっと実業団でコーチをしていたNコーチが我らの指揮官に収まったのだ。
とても穏やかで、しかし指導はいい。そんなコーチのもとで最後の箱根に掛ける男たちの熱き激論は、箱根が近づくとともに結束という物に変わっていったのかもしれない。


相変わらず、チームの内情は厳しい、走れる選手が少ないのだ。ここでいう走れる選手とは、箱根の一区間20キロを一キロ当たり3分ペースで走りきれることをいう。そんな選手が少ないのだ。選手層が厚いチームならば大砲をという考えは少なくていい。しかし、選手層の薄いこのチームでは大砲の存在が本当に欲しかった。しかし、いない。これが事実だった。

そして、箱根でもっとも大切な区間、山登りと山下り。ここはいくらエース区間でトップを取ったとしても、ここを走りきれる選手がいないと全て流れていってしまうのだ。そこを走りきれる選手が、見当たらない。本当に苦しい内情だった。


それでも、箱根路にかれらは意地と己の誇りを懸けて挑んだ。

その結果が、間もなく出るのだ。

大手町の読売新聞社の前には大勢の仲間と大勢の応援の人々の声がひしめきあう。応援団の太鼓の音が冷たい空気を振動させながら最初に飛び込む選手を待ち望んでいた。
最初に飛びだ選手と同時に、ゴールの花火が上がる、優勝のチームの選手や、仲間が10区を走りきった選手に抱きついて喜んでいた。それを尻目に、今か今かと自分のチームの10区の選手を待っていた。


その選手が飛び込んだのは、4位。


優勝は、今年も出来なかった。しかし、彼らは悔しいながらも満足していたのかもしれない。キャプテンは区間賞を取るという仕事をしていた、チーム一丸となって必死で守り抜いたこの襷は、苦しい中で繋ぎ合った絆だったのだと、私は思った。