「なんと、なんと愚かな!!その娘に悪いと思っておられるのでございますか?その娘は今の時貞様を見てなんと思われるでしょう。娘は貴方を命にかけて守ったのですよ。その娘にその姿をお見せするのですか?私もあなたが救世主などになれるとは微塵にも思えませぬ。されど、人の気持ちを助けることが出来る方だと私は思っております。皆の言う救世主でなく、生きることを救う主になられればよいではないですか。その娘、両親を亡くして貴方に会わなかったら、きっと男に辱められた後、生きている理由を見つけられず自害していたことでしょう。あなたがいたから、あなたに会いたかったから、貴方が娘の生きる希望だったから何としてもあなたを守ろうと思ったのではないのでしょうか。それが貴方には伝わらなかったのですか!!」


頬を殴られただけでなく、心まで殴られた気がした。助けられなかったその気持ちだけで、彼女がなぜ、時貞を守ろうとしたのかそこまで考えが及んでいなかった。口の中に血の苦い味が広がる。救世主とは、世を救う者だとしか考えたことがなかった。確かに大人のほとんどはそう考えているのかもしれない、しかし、運之丞が言う事の方が、はるかに自分に合っているように思える。
運之丞がかがんで時貞の両肩を掴み、


「貴方は、人に生きる希望を与える人になればいいのです。ゼウスはそうされたのではないですか?彼は、一人で世を救ったわけではないではないですか。私たちに、生きるすべを与えてくれたのでしょう。時貞様、あなたは、あなたです。救世主と言われているからと、それに振り回される必要などどこにもないのです。時貞様が、今までやられていたことを、これからも続けて行けばよろしいのでは。人がなんと言おうと、どう時貞様を表そうと構わぬではないですか。」


次第に、穏やかな顔と、声で諭すように運之丞が時貞に語りかけていた。その言葉は、いたるところから血が噴き出したようになっていた時貞の心を穏やかに包み、傷を塞いでくれてた。


「ふふふふ・・、運之丞に諭されるとはのう・・・。まいったな。そうじゃな、儂は、儂じゃ。何も変わることなど出来ん。今まで通りでよいのじゃな。とよの本心を読めずに表ばかりが気になっておった・・・。こんな姿、守ってくれたとよに見せられるはずがないのう。のう、運之丞、儂はどんな人物じゃ?」


「それはもう・・。生意気で、自信家、御自分が美しいことに自惚れている、こ憎たらしい若侍でございましょう。」


ニッっと笑って時貞の悪いところをズケズケと指摘する運之丞、それを聞いていた時貞もニッと笑ったかと思うたら、運之丞の襟首を掴み、ゴツッと鈍い音がするくらいの頭突きを食らわして、


「・・・っ!!」


「なかなかの、好評価じゃな。これはお返しじゃ。よりによってこの儂の美しい顔を殴りよって。」

ぶっははははは・・・・・!!!


と二人の笑い声が湯殿の中に響いた。そして改めて時貞が


「運之丞、儂はお主の言うとおりに、世を救うほどの力など持ってはおらぬ。佐々木に人ひとり救えないで何が救世主だと言われたでな、かなり苦しかった、いつの間にか周りの言葉に惑わされて儂は世を救う為に産まれてきたと勘違いしておったのかもしれん。そうじゃ、儂が出来ることは、ゼウスが指示した道を説くこと以外は出来はせぬのじゃ。運之丞、やはりお主は儂にとって無くてはならぬ存在じゃ。儂と伴にこれからもいてくれ。儂の一番の理解者はお主ただ一人じゃ。」


運之丞の主として言ったのではなく、一人の人間として運之丞に頼んだ、その言葉を聞いて穏やかに笑った運之丞は大きく頷き、


「基より時貞様に暇をとらせられない限り、私はお仕えする所存でおりまする。さぁ、早くお体を清めなさいませ。お父上の出立の刻限が迫っておりまする。髪も結い直さないと、こんなお姿で万様の前にお出になるつもりですか?こっぴどく叱られますよ。」


「うっ、そうであった。あ奴、妹のくせに姉上よりもうるそうて、怖い。運之丞、南蛮渡来の衣を持ってきて参れ。その衣を着ている姿が、万のお気に入りじゃからの。」


「はっ」


頭を垂れて、湯殿から出て行こうとしながらも、何か思いついたらしく、少し意地の悪い笑いを顔に浮かべながら


「あの・・時貞様。今回は私が清めずとも・・・。」


その言葉に何が含まれているか見当が付いた時貞は、キッと睨みつけつつも


「やかましか!!もうよかけん!!早う着物をとってこいって!!」


時貞の顔が赤くなっていた、前に一度だけ運之丞とここで清めて欲しと時貞が懇願し、互いを慰めあったのだ、それを思い出してわざと言っている運之丞の一言が時貞の心の奥でツキンと音をたてた、そこには、運之丞の優しさが含まれていることが時貞にはわかるからだ。
運之丞が湯殿を去った後、昨夜の汚れを落とすべく身体を洗い流していた。

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