屋敷に戻るとすぐに身なりを整え、運之丞を共に連れて植野様の屋敷に向かった。植野様はかつて時貞が衆道のやり方を習ったお方だった。父上との親交も深く、また、彼も同じキリシタンである。最近は、この屋敷で密会を行うこともしばしばあった。


「植野様、急の来訪申し訳ございませぬ。島原の近況のことと、お耳に入れたきことがありましたゆえ参りました。」


「おお、四郎殿。儂もお主に伝えねばならぬことがあったゆえ使いをよこすつもりじゃった、来訪を歓迎いたす。ささ、上がられよ。運之丞、供ご苦労である。お主も共に話を聞いておくがよい。」


「はっ」


運之丞も、元服し今は時貞の供として行動をしている。主の用があるときは必ず同行をして、身を守る役割である。

あの日以来、運之丞と時貞は、必ず毎日鍛錬するようになっていた。時貞が佐々木に習えば、運之丞は、この植野に稽古をつけてもらっていた。彼は小姓上がりだ、小姓は主君をお守りする役目なれば、運之丞が目指すものと同じ。運之丞は自らこの屋敷に赴き、植野に頼み込んでその仕事を習っていた。戦乱の世の主君を守る役割の者から教わることは、屋敷の中の者から習うことよりも実践に使えることが多い、四郎が佐々木と逢引をして居る時などは、植野の元に参じ植野の供をさせてもらっていた。より、実践的に主君を守り方を身に付ける為であった。


二人屋敷にあがると、奥の隠し部屋に通された、ここには十字架が据えられ祈りの場としても利用されている。話し合いに入る前に三人は十字架に向かって祈りを捧げ、本題に入った。


「まずは、四郎殿の来訪の理由を聞かせてもらおうか。」


「はっ、岡場所に昼間顔を出しまして、姐さんから聞いたのですが、先ごろ島原でまた大規模な取り締まりがあったとか、そこから子供がその店に売られて来ておりました。万に年が近いので、話しかけてみたところ、私の事を見知っていたもののよう。人違いと口を汚したのですが・・・。いささか心配なことになりました。私の顔が知れ渡っているような場所の取り締まりとあれば、長崎にそこの者が送られてきているやもしれませぬ。」


「ふむ、そう言えば、お主の父上からの文にそのようなことが書いてあった。じゃが、奉行所の方にはまだそういった者が掴まっていることはないようじゃが。岡場所か・・厄介な場所のに信者が存在しておるのう。ましてや幼き娘とは・・・。手出しは出来ぬが、存分にそのものに注意いたした方が良いであろう。」


佐々木と繋がっていた理由の一つに、岡場所を使う必要があったからだった。早くに切れるつもりでいたのだが、植野の提案により佐々木との縁を切らずに、情報の収集の場として使っていた。積極的に人と触れ合うようになったのもその為で、遊女たちとも関係を持ち、より多くの情報を得ていた。


「島原は今はいったいどのような状況でありましょう。」


「悲惨じゃ。作物の収穫が今期も悪い。そうとわかりながらも、城主の松倉は厳しい年貢の取り立てを行っておる。城下から逃げ出して浪人や、流民が増えているそうじゃ。それらを束ねる為に我らの同志たちは、肥後藩と天草にて、一揆の仲間を集めておる。このところかなりの人数が集まって来ておる。あと、有馬殿の有志達も同じように島原の南目で同志を集めているようじゃ。間もなく、湯島で談合をする算段となっておる。」


「なれば、打ってでるということでございますか?」


「そのようになるやもしれん。しかし、まだ、時が早いと我らは思うておる。皆の意志の統一が図られておらぬのだ。」


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