怜が部屋に入ると、亜紀は誰かと携帯で連絡中だった、聞き耳を立てるつもりはないが聞こえてくる内容から、今回のことを誰かに伝えているようだ、自分たち以外にも仲間になって亜紀を守ってくれる人がいることは怜にとっても安心できる。職場以外なら手助けは出来るが、職場での手助けは自分たちには出来ない、その場所に仲間がいるということは少なくとも亜紀が職場に戻ることが出来るということだ。
亜紀が携帯を切るのを待って声をかけた、


「今日は、頑張ったな。褒美にマッサージしてやるよ。」


怜の声に少し驚いたが、顔を見ればなぜかホッとする、彼が恋人でなくてよかったと思う。もしもその関係だったら、今のようにしていられなかっただろう。彼との関係が特別でないからこそ、今も身体に触れてもらえ、触れさせられる。いや、彼を信頼してるから、触れられることを拒むことをしないでいられる。温かな手がゆっくりと少し圧を加えて身体をほぐしてゆく、身体と同時に心もほぐされてゆくと、つい涙が零れる。無理をしたつもりはなくても、やはりどこか無理をしているのだろう止めどなく流れ落ちる涙がそれを物語っていた。


「ありがとう。怜も疲れてるのに・・・。昨日はこの狭いベッドに寝てくれたんだもんね、怜こそ身体辛くないの?あの・・、いつものようにマッサージさせてくれる?私じゃ役不足だけど。」


怜に何かしてあげたいと思う、今までのように身体を合わせることは、いくら怜でも出来そうにない。でも、彼の身体に触れたいという欲求はある、ただ触れていたいのだ。赤ちゃんが母親の身体から離されると泣き出すようなそんな感じの気分だ。怜から離れると、不安と恐怖が襲い掛かってきそうで怖いのだ。
言葉とは裏腹な亜紀の表情にどう応えていいのか怜は悩んだ、やはりとても不安定な感じの表情がそこにあるのだ、自分の身体をマッサージするなんてそんなことどうでもよいことだが、亜紀がしたいというのならさせた方が良いのかもしれないと、怜は思った。自分も経験があるが、人の身体に触れていることで、触れられていることよりも安心感を得ることが出来たりするものだ。


「じゃ、頼むか。手だと疲れるぞ。背中に膝で乗れよ、その方がうまい具合に圧が加わるから俺にはいい。お前の手の力じゃしてもらったきがしないしな。」


言いながら亜紀の頭をくしゃっと撫でた。子供扱いだなと思いながらも、怜の心遣いにありがたく思う、ちはねと怜はいいコンビだったんだろうと思うと、こんな状態でもつい嫉妬している自分がいる我ながら意外と強い自分の心に驚くばかりだ。
亜紀のマッサージが終わると怜が少し言いにくそうに提案してきた、


「今日は、俺のとこ来ないか?さすがにみしまのベッド狭いし・・・。それに、お前を一人にしたくない。俺が親ならそう思う。だから来ないか?俺のとこはベッド以外にも布団があるんだ。俺はそっちで眠るから。」


下心はないと言いたいのだろう、なんとも子供の言い訳のようでそれを聞いていた亜紀は噴き出した、おかしくて、かわいい、この大男にますます惹かれている自分を自覚せずにはいられず、このままでいいのかと問う心が芽生え始めていた。


「ありがとう。信じてるから、怜は啓介のようなことをしないことぐらい分かっているわ。今日はありがたくその申し出を受けます。私も一人は嫌だから、でも、明日からは一人で眠る努力をするわ、この先一人で生活していくのだから、夜に甘えるのは今日までにするわ、他の事はまだ頼ることがあると思うの、力を貸してくださいよろしくお願いします。」


最後の言葉を言うとき、亜紀は深々と頭を下げてお願いした。


「わかった。そうだな、でも、怖い時はいつでも言え、駆けつけてやる。そのくらいのお節介、させてくれ。」


そうとしか言えない自分の情けなさに少しばかり腹が立つ、しかし今の亜紀に自分の気持ちを押し付けるわけにもいかず、怜の心にもどかしい思いがとぐろのようになっていた。ただ願うのは、亜紀の表情が落ち着くことだけだ、以前のように無理せず笑顔が出る状況になれるように、環境を整えたいと願うのだ。亜紀の為なら、どんなことでもしようと怜は心の中で誓った。


一週間はすぐ過ぎてしまった、亜紀はまた出社しなければならない、いっそ職場を辞めてしまおうかと幾度となく考えたが、それは啓介に負けてしまうようでしたくなかった。前日に森ちゃんに連絡を入れた、休んだ初日と翌日は啓介が何度か職場に来たらしいが、それ以降は顔を見かけるとはなかったと森ちゃんは言った、しかし、亜紀のよく行くお店の近くでは頻繁に彼の顔を見かけると周りの女子が言っていたと伝えてきた。顔立ちの良い啓介は、女たちに好印象を残す、話しも嫌な感じのするような人間でない為か、噂に上りやすい。職場の女子の間では、かっこいいともっぱらの評判なのだそうだ。その男が亜紀のことを付け狙っているのだ。その情報は、亜紀にとって危険度が上がったように感じられた。


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