朝食のあと、亜紀はちはねに深夜に怜に聞かせたことと同じことを話した、その間ずっと怜が背中に手を置いて支えてくれていた。話し終わるまでずっと、背中をゆっくりとさすりながら落ち着いていられるようにしていてくれた。おかげでちはねに全てを話すことができた。聞いている間、ちはねの大きな目からいく筋もの涙が滴り落ちた。女性なら、亜紀の受けた行為が、どんなものか、その心がどれだけ傷つけられたか理解でき、他人事とは思えなかった。ちはねが亜紀を抱きしめ、


「いいい?よく聞いて、あなたは決して穢れてないわ。汚されてもないの。自分で望んでしたのではないのだから、汚れることはないの。汚くもない。ただ、子供が出来ては大変だわ。ちょっと調べてきたのだけれども、最近承認された薬で、緊急避妊薬があるのよ。これは産婦人科などで、望まない妊娠を防ぐために処方されるの。事が起こってから72時間以内ならば、それは有効な手段となるの。亜紀さんはまだ、時間が経ってないからこれから私と一緒に産婦人科に行きましょう。そこで診断書を出してもらいましょう。かかりつけの産婦人科とかある?」


産婦人科には一度だけ行ったことがあるが、普段は職場で行われる健康診断の病院でしかかかったことはない、一度行った産婦人科もこの頃の少子化の傾向だろうか、それとも医院長の高齢化のせいであろうか、閉院していた。かかりつけの産婦人科なんて考えてもなかった。亜紀が頭を横に振ると、


「ちゃんと、かかりつけ作っておいた方がいいわよ、亜紀さんは見た感じまだ20代に見えるけど、年齢さほど私とかわらないんじゃない?女性独特の病は、産婦人科が一番詳しいんだから、これから先の事も考えて、ここの近くで探した方がいいわね。ただ、緊急避妊薬を取り扱ってないと駄目ね。それから、被害届を出すためにも、弁護士つけた方がいいと思う。すごく辛いけど、私に話したこと全部話さなきゃいけなくなるよ。警察でも、頑張れる?無理はしないでいいよ。出来れば早い方が良いんだけど、亜紀さんの心の問題もあるから、時間がかかっても大丈夫よ。この場合は、強姦罪で訴えることとなるから、彼との行為に至る前の関係性が聞かれるそうよ。ストーカー行為に関しては、私が証人になれるけど、他にもいるなら話をしておいた方がいいと思うの。」


まだ、何も考えられない亜紀はただ聞いているだけの状態だった。それでも、心には止めておいた、昨日の行為は強姦に値するということと、ちはねが、証人になってくれるということ、心強かった。


「ちはね、多分三島はまだ、そこまで考えがいってないと思う、取り敢えず、警察に相談という形で話を持っていったらどうだろう。細かいことはそれからでもいいかもしれない。ストーカー行為に関してだけまずは、阻止できるようにした方がいいかもしれない。ああ、悪い時間だ、俺は帰る。みしま、また、夜に様子を見に来るよ。ちはね、三島を頼む。」


これほど亜紀の傍を離れるのが辛い日はなかった、去りがたい気持ちを無理やり胸の奥に押し込んで、怜は亜紀の部屋を後にした。


怜の背中が扉の向こうに消えてしまうと、室温が下がったように感じられた。怜の温かな心が今まで亜紀を包んでいたのに、それが急になくなった気がしたのだ。怜への依存が大きくなっていることを亜紀は自覚した。

亜紀の寂しそうな顔が、ちはねの心を締め付ける、かつて自分が怜に向けていた顔そのものだ、そして、怜が時折する苦しそうな顔に、もう少し前に出なよと言いたくなる。今だって、亜紀を抱きしめてやればよかったのにと歯がゆかった。少し冷えた空気を断ち切るようにちはねが職場に休暇の連絡を入れるように促した。


「亜紀さん、仕事休みなよ、これから行くとこもあるし。もしよかったら、代わりに私が話すわ。もちろん、体調を崩してドクターストップがかかったって言うけど。どうかしら、その方が説得力あるでしょ。」


少し強引な感じでちはねが提案するが、それもどこかありがたい気がする。自分で電話すること自体嫌だった。他人というのに、それも最近知り合ったばかりなのに、惜しみなく力を貸してくれるこの女性に亜紀は信頼を寄せてきていた。いつか自分もこうなりたいと思いながら。

ちはねが亜紀の代わりに職場に連絡を入れてくれたことが、職場の上司には亜紀が何か重病にでもかかってると思えたらしく、すぐに許可してくれた。これで暫くの間、啓介とバッタリ出くわす可能性は減った。亜紀はメールで森ちゃんに簡単に事実を伝えた。職場での唯一の仲間である森ちゃんには、伝えておかなければならなかった。森ちゃんからすぐに返信が来た。


”わかった。お大事に。何かあったら直ぐに連絡します。”


短い文章に、森ちゃんの思いが入っているように思えた。



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