感情の赴くままに
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忘れてはいけない心持ち

もやもやがあった。

少し母と話をした。

来てくれるとき(相手発信)

来てもらえるとき(自分発信)

そのまま相手に甘えなさい

来てほしいと願っても、相手が行きたいと思っても

来れない、行けないことは今後いくらでもある

今がたまたま動けるなら、相手の想いにあわせなさい

と、言われた。

少し話したいなと思ってライン入れて、

最初は話すか迷ったけど濁しながら話してみた。

話してよかった。


震災後、「今はよくても次あるか」を考えの根底に

してきたけれどバタバタでちょっと抜けてた。

そうでした。


今、来れるだけ。

今、会えるだけ。

いつどうなるかは誰も分からない。


「あのとき会わせてあげればよかった」

「会えばよかった」

の後悔は絶対にあってはいけない。


どんな相手でも、一期一会を大切に。

振り返りといつもの毎日

東日本大震災から12年たちました。
何か書こうかどうしようか悩んで、過去のを見返しているとやっぱり今の気持ちを感じたままに書いておこうと思いました。

時がたっても3月11日は記憶にあるし、

普通の日とはちょっと違う。


何しよう。どうしよう。今年もそんなことを考えていた。

取り留めもなくグルグルしていた。


大人しく過ごすのが正解なの?

と、数日モヤモヤしていたら妻から観劇に誘われた。


「振り返りつつ、前向きなことをする。

 今、生きているんだから。」

過去にそう自分で書いていた。


両親はちらし寿司作って、早くから飲んでたみたい。

私も今年は感傷に浸るではなく、日々とは少し違うことを。

あの日を思い返しながら、それぞれ前に進みます。


あなたは今日どう過ごしましたか?

心の靄の正体は

東日本大震災から11年たちました。

今でも311って、ゾワゾワする。

どう過ごそうって、考える。

ほっといても振り返る時間があれば楽。

作らないといけないときは、ちょっと苦しい。


今年何もしなくていいのかな。

振り返らなくていいのかな。

そんなことが、頭をぐるぐるする。


それでも当日の朝、社用メールに

「各自14時46分に黙祷を」という

社長からのメールを見ると、少し心が落ち着く。


その時間、意識しなければ手が動く。

意識すれば、手を止めて振り返れる。

ありがとうございます。



「今日は早くから二人で酔っています」


父からそんなLINEと母の写真が来た。

何の話をしているんだろうか。

そんなことを考え、

隣で飲めない自分を親不孝かもと考え、

そうじゃない。そんなことは考えてはだめだ。

振り返り方は人それぞれと蓋をして

「おやすみ」とする。


ハフポストの記事を見た。

自分のもやもや、他の人もあったんだ。

「うんうん」ってとても共感した。


自分は無事。家族も無事。でも、それだけ。

2017年に葛藤のように自分もここで綴ってた。


自分だけじゃなかったことに少し安堵し、

そういえば。と、思い返した。


妻のご両親へ挨拶に行ったとき、お義父さんは口を濁しながら、

「ご出身のことは聞いています。

でもそれは、自分たちが触れていいものかは

わかりません。ただ、理解はしています。」

と、いうかたちで話された記憶がある。


当時は、「大丈夫ですよ!」と他の人のときと同じように

大丈夫なことをさらっと話した気がする。

でも、そのように直接触れずに、それでも理解していると

寄り添って話をしてくれた人は

どれだけいただろうか。


妻も昨年の10年の節目に

「こんなことしていいのかわからないけれど」

と、仕事帰りにケーキを買ってきてくれた。


「きっとあなたは10年間、人には言わずに自分で抱え悩んできたことがあったと思う。

話してくれなくていい。ただ、10年間頑張ってきたんだということに「おつかれさま」といいたかった」

と、言われた。


当日そこにいなかった

今も、そこにはいない

今、そこで力にもなれていない


そのことでなんだか感じているもやもやは

たまたま出会って、互いに好いて

一緒になった家族たちが

少しずつ解決してくれそう。

幸せな環境だ。

と思うことができた11年目。


僕はいま生きているんだから、前向きに、幸せを大切に。

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