私は人と信頼関係を築くのが、そんなに得意な方じゃないと思う。

それなりに八方美人的に人とうまく付き合えるし、
トラブルになる事はそんなにないけれど、
それ以上の関係に発展しない事が多い。

友達はいるけれど、
本音を言い合える親友はいない。

でも信頼関係はトラブルがあって初めて大きく育つのかもしれない。

当たり障りのない会話をするだけでは
本当の信頼関係は深まっていかないのかもしれない。

だからね、
今度もし何かトラブルになった時、
それはチャンスかもしれない。

だからそんな時だからこそ、
許そうと思う。

そんなチャンスを
一時的な感情で不意にせず、
相手の立場に立って
受け止めようと思う。

何もトラブルにならないなら
その時期じゃないって事かな。



車を運転していると、
人間って利己主義だなって思う。

私も含めてね。

人に迷惑をかけない事や
親切にする事を
常に心掛けている人は
どれくらい入るのでしょうか?

混み合った駐車場で
その利己的な部分は増幅されますよねー(>_<)

何だか少し悲しいです。

人生のいろんな場面で
親切な人は損をします。
利己的でズル賢い人の方が
得する事があります。

ただ本当の親切は
得するためにしているのでは無いので
本人にはそれ程問題では
ないかもしれません。

でもそんな世の中は問題だと思います。

私の言っていることは
窮屈な考え方なのかもしれませんが、

でも最初は窮屈でも、
人に優しい運転をする人が
増えれば増えるほど
自分の事しか考えてない
利己的な運転のせいで
起こっていた事故や渋滞も減り
イライラする人も減り、
快適に思うんじゃないでしょうか?

半数以上の人が利他的であれば
利己的な人間は、
自分の事を恥ずかしく思うでしょう。

だって

少しくらい悪い事も
みんなやってるんだからいいじゃん。

っていう心理でやってしまってる人も沢山いるだろうから。

でもね、
あなたの心掛け次第で
無くなっていく事故で
あなたの大切な人が傷付くかもしれない。
と考えればどうですか?

だってあり得ない事があり得る。

世の中の誰かには起こっている事です。

確率が低くても
原因不明の病気も
犯罪も
自然災害も
実際にニュースでやっているよりも
もっと沢山この国では起こっている。

自分にふりかかってきてからでは
遅いですよね( ;  ; )

って私は思う。
というかその事を忘れちゃいけない気がする。

損して得取れ

とか

負けるが勝ち

とか、昔の人はいいこと言うなー(*^_^*)

今は負け組とか勝ち組とか
そんな事を言っているけど、

そんなのどうでも良いんじゃないかな。

勝ち組=幸福
負け組=不幸
なら
勝ち組になりたいけど
そうでもないし。

誰かに負け組の遠吠えと言われようが

私は
自分が死ぬ時に
目標に向かって
やれるだけの事をやって、
達成できなかったとしても
信頼できる人に受け継いでもらったから

これでよしっ!

って思いたい。

なかなか難しいけど
いつ死が訪れてもいいように
毎日向かっていかなきゃなと思う。(>_<)

継続は本当に難しいけど。

心の優しい人が
苦しまなくてもいい世の中が
来ますように。

心の優しくない人が
優しさを取り戻せますように。





ある本にそんな感じに書いてありました。

ものすごく納得したので、
記事にしてみました。

そもそも善意というものは
人が感じる事で
自分が決める事ではない気がします。

思考の100%が善意の人なんて
いないと思うし、
そもそも本当の善人がいるとしたら
本人が善人だとは言わないと思います。

自分を善人だという人は
善人でないどころか、
良かれと思って
悪気なく
自信を持って
平気で人を傷付けたり
してしまう。

その行為はその人だけの善で、
相手の善ではない事が良くあります。

心優しい人は、
傷付いても怒らず
我慢するでしょう。

全てがそうではありませんが、
このような方も少なからずいらっしゃると思います。

ところで私は善人になりたいと思ってます。
人を幸せにするお手伝いをしたい。
幸せは与えられるものではなく
感じとるもの。

自分を救えるのは自分自身です。
でもそれが出来ない人のお手伝いがしたいと思ってます。

そして幸せな人が増えて増えて、
人を幸せにしていける人も増えて、
自殺する人も犯罪する人も減っていけばいいな。

教育もそんな世界を作れる人間になるようなものに変わっていって、

日本から平和を世界に届けられたらいいな。

いつか、何年かかっても。
なるかならないかじゃない。
そこに向かっていくことが大切。

私は善人になりたいけど、
決してなる事はない。
これもそこに向かう過程が大切。

なったと思ったとしたら
それは思い上がりで
小さい価値観の中の善人であって
本物ではない。

だから悪気がなくても
人を傷付けてしまったら、
やっぱりごめんなさいなんじゃないかな?

いつだって、
謙虚な気持ちは忘れちゃいけない。

出会いに感謝しつつ、
学びながら苦しい時もあるけど、
人とつながっていきたい。