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昨日は渋谷の小バコ、rock west に遊びに行ってきた。



ちょいとボクのお友達を紹介します。



左のビヨンセみたいなゴージャスなコがモコちゃん


昼の顔はマルキューのショップデザイナー、

夜はクラブでショーガール(オトコだけど)やってるコ。

必要以上のウエストクビれ具合が、創作意欲をかき立てる。



真ん中のコはR&BシンガーのMiss フレアちゃん


チョー②可愛いんだよね☆

ステージでは小さな体からは想像できない

セクシーでソウルフルなパフォーマンスで観客を魅了する。




んで右がボク。


ヒトはボクのことを、

「恋する日本代表10番」又は「錆びたナイフ

そう呼ぶ。


何故かって?

知りたければ渋谷のイケてるコに声を掛けて聞いてみてくれ。



クラブには色々な人種が集まる。


普段の生活では中々お目にかかれない人種がゴロゴロいる。


若者研究家のボクとしてはそこんとこが魅力的。


オトコもオンナも気楽に付き合えて良い。



人間は自分に都合の良い生き物である。

半端に相手に心を開いている素振りを見せておきながら、

いざキワキワのラインに立つと簡単に関係を断ち切ることができる生き物だ。



クラブの人間関係なんて浅はかなモンだから

お互い気楽でOK 

今夜一緒に楽しめればそれでOK



大切なことは、キミがイケてるか?ダサいか?ということ。



空気の読めないヤツは荒れた刃で切り裂かれるので要注意!!





サッカー日本代表 大黒将志 フランスリーグ2部のグルノーブルに移籍 

フランス語で入団会見


以前から海外への移籍を熱望していた大黒である。

個人的にはフランスリーグでの活躍が楽しみだ。


日本代表を狙える国内の選手ならば、Wカップを6月に控えた

この時期に冒険は犯したくないと考えるのが常であろう。


試合に出れるかどうかさえ分からない(約束されない)海外の

クラブに行くよりも、Jのクラブでレギュラーとしてコンスタントに

プレーしていた方がパフォーマンスも落とさないし、アピールになる。


この時期の海外移籍はある種の冒険とも言える。


だが大黒の胸の中にあるのは

「もっと強いFWになりたい」

率直で、強い気持ちなんだろうな。


点の獲れるFWがピッチに立つべきだとボクは思うので、

プレーしている環境が国内だろうと海外だろうと、

結果を出している選手が、日本代表のFWに選ばれればそれでいい。



きっと大黒もそんな気持ちで、今フランスに立っているのではないだろうか。



サッカー選手ではないが、

海外には、何か目的意識を持って、行きたいものだ。


遊びなら遊びで、見たいモノとかやりたいコトとか、

何もせずにひたすらダラダラするとか。

だから観光旅行は基本的に楽しい。



個人的にチョー気になるのが、最近じゃ当たり前の留学ってヤツ。



いや~、これタチの悪いのが結構いる。

2週間海外に留学しただけで、

「国際派よーん♪ワ・タ・シ☆」みたいな態度で

ヒトの話の相槌に「アッハーン」とか言ってくるサノバビッチは

パイルドライバーで殺すのでどうでもいいとします。


ホームステイとかワーキングホリデーとか

色々手段はあるけど、多額の費用をかけて

半年間~1年間最低でも海外で時間を過ごすんだよね。



ボクの周りでこれやった友達が何人かいるけど、

大抵のパターンが、向こうで遊んで過ごしている。

そして帰国後、とりあえず実家に帰ってバイト。

実はボク自身、幼い頃親父の仕事の関係で

アメリカのカリフォルニアという街で暮らしていた。

高校生と大学生の夏休みには、イギリスに短期留学したことがある。

だから海外のことを全く知らないわけじゃないんだけど・・・


ボクの場合だと、


午前中ちょろっと勉強して(メシ)午後サッカーして(メシ)

夜クラブに繰り出してマリファナ吸ってラリって帰ってきて(軽いメシ)

寝て起きて・・・・(サラダ中心のあっさりとしたメシ)



そんな感じだったよ!?



いや学生の短期留学なんて異文化交流と称したナンパWカップなので、

日本代表10番リョータ選手としては、英語は話せるようになったし

大方OKなんだろうけど。

(OKじゃないかもしれません。でも短期間でできることは限られています)



社会人1年目~3年目とかの時期にこれはマズイだろう・・・。



キャリアは積み重ねないとスキルにはならない。

よっぽど向こうで何かビジネスに活用できるスキルを

磨いてくれば、日本でも如何なくその才覚を発揮できるのだろうが

大抵はマリファナで脳内vacationにされ、国内では恐らくそんなに

大したタマではないスペイン人を、グッティ!!とか言って

バコバコにされて捨てられロンドンの曇り空を見上げ哀愁に浸っている

ので、無理でしょう。



テストに合格して現地の大学に入る、

大黒のように力を認められて現地で働く、

また、例えばデザインだったり、明確な目的のために修行をしている、

そんな方々の留学は、ここでボクが言っている留学とは全く別モノ

だと認識しているので悪しからず。



ちなみに昨年末、1年間のロンドン留学から凱旋帰国した

友人のOはひとしきりボクらにロックとマリファナついて

講釈をたれた挙句、人材派遣会社に登録しました。


夢は?と聞いたところ、


日本とイギリスの架け橋になること だそうです。


友達じゃなかったらブレーンバスターで殺してました。



かの有名イタリア料理店 

『サバティーニ 横浜店』

料理  :★★★★★
雰囲気 :★★★★★
予算  :1人10,000円~20,000円


昨日はボクの弟の成人祝いということで

ファミリーでサバティーニ横浜店に食事に行ってきた。



普段お目にかかれない高級食材の数々・・


いつも食べているはずの食材も

素材や調理が別次元なので、味が全然違う!!


うーん・・フィレステーキなんて単品で

普段のボクの1週間分の食費ですから(笑)


内装も落ち着きを備えながらもゴージャス!


個室を予約していたのだが、いやー

セレブ気分を味わえました♪



ところでウチのファミリー構成は

親父、お袋、じいちゃん、弟、ボク、あとナナ(犬)。



弟とボクは4歳離れている。



じいちゃんは80歳を超えているが、超元気。

たまに休みの日は一ツ橋大学の

ボート部の指導に行ったりしている。


何年か前にTOKIOの番組に出演して

長瀬とか松岡にボート指導をしていたタフガイだ。


本人は「じいちゃん」と呼ばれるのが嫌ということで

ボクと弟は「じいじ」と呼ばされている。



この席で、じいじが面白い話を聞かせてくれた。



現在弟20歳、ボク24歳、じいじがボク達くらいの年齢に

何をしていたのか、その答えは「太平洋戦争」である。


ボクにとっては、生まれる前の遠い昔の話だが、

じいじにとっては若い頃の強烈な思い出なのだ。



終戦から2年前、じいじは当時一ツ橋大学在学中、

徴兵を受け陸軍に入隊し南方のフィリピンへ配属された。


フィリピンへ向かう際、敵潜水艦の来襲を受け、

友達の乗っている直前と直後の輸送船が

撃沈されるという壮絶な幕開けである。


また、攻撃は何も受けなかったらしいが、

経由地のマカオでは、宿営地に敵戦闘機「グラマン」が

‘どフリー’で目の前を旋回したこともあった。


先日ボクのマンションのエントランスに、

酔っ払ったおっさんが座り込んでいたときは恐ろしかったが

グラマンと潜水艦に比べれば屁でも無いな。


戦争なんだから当たり前じゃないか、と思われるだろうか。


いやいや、じいじはここからがすごい。



命からがらたどり着いたフィリピンで何をしていたのか??



敵との壮絶なゲリラ戦。

ジャングルの中、1週間ロクに食わず休まずの行軍。

死んでいく仲間たち。仲間の肉を食べ、飢えをしのぐ。

赤痢やコレラ菌といった部隊を蝕む病原菌。

胸ポケットから、折りたたんだ家族の写真を取り出し、

死んでも生き延びてやる・・ 歯を噛み締め、写真を握り締める・・・



これは戦争映画では定番の状況だけど、じいじの部隊はちょっと違う。



上陸してから終戦まで、何もしてなかったそうです、はい。

正確にいうと、何もすることが無かったらしい。


どうやら飛行機乗りを養成すべく、はるばるフィリピン

までやってきたはいいものの、練習用の

飛行機まで戦闘に駆り出され、一機も残っていなかった。


だから毎日筋トレとかをしていた。



部隊長、師団長の管理職クラスは日本から

わざわざ芸者を呼びつけ、夜な夜な宴・・・(マジ話)



敵は交戦どころか姿も見せなかった。

何故か??

もはやフィリピンを攻撃する

必要が無くなっていたからとのこと。


終戦2年前には、フィリピンなど南方の島々からなる本土防衛網は

とっくに連合軍に破られており、日本本土は丸裸にされていた。

従って、破られた防衛網に滞在し、宴や筋トレをしているじいじの部隊には

連合軍は目もくれなかったということだ。



どうやら徴兵される時期や、配置される場所によって、

全く戦闘の状況が異なるそうだ。

じいじが徴兵された時期でも、大学の仲間で満州やロシアに

配置された人たちは、ほとんどが戦死していたらしい。



じいじは当時の部隊で、炊飯長をやっていた。

帰国してからはコックになろうと思っていたらしい。

終戦後無事復学できたことで、コックにはならなかった。

しかし、部隊からこっそり持ち帰ってきた包丁と長靴は

大切にとっておいたそうだ。



一番怖かったことは?

と聞いてみた。


「終戦になり、フィリピンから帰港した場所が広島・呉の港だった。

部隊の解散式が行われ、電車賃が支給され、

汽車に乗って家族が待っていることを信じて東京に向かった。

しばらくして、窓から外を見て、驚いた。

見渡す限りの焼け野原・・・

ああ、これが噂に聞いていた原爆なんだなと思ったよ」



このとき長崎に原爆が落とされたことは知らなかったらしい。


何もかもが混乱の中、戦争が終わった。


家族は東京で待っていた。みんな無事だった。

家は焼けちゃっていたらしいけど。


大学に戻ると、クラスメートは半分くらいに減っていた。

満州やロシアに配属された人たちはほとんど戻ってこなかった。


じいじはやがて卒業し、商社に就職、イランやイタリアに滞在した。



ボクと弟は、話を聞いて、

しばらく唖然としていた。


ボクは弟を使い、気になっていた質問をさせた。


「じいじ、・・・人を撃ったことはあるの?」


じいじは答えた。


「いや~僕は無いよ。戦争なんてロクなもんじゃないよ。

リョータ(ボク)とヨースケ(弟)がこの先も戦争なんて行かんで

済むといいな~・・」


じいじ、ボクは毎日元気でやってるよ。

寂しいこととか、苦しいこともあるけど、

楽しく生きてます。

戦争の無い時代を残してくれて有難う。


恥ずかしいから心の中でお礼を言った。


この時代も大変なことが沢山あるけど、

戦争よりはずっと楽だよな~・・・


一杯1,000円のコーヒーを啜りながら

何だか気分が高揚するボクでした。




お薦めレストラン

横浜赤レンガ倉庫にある『BEER NEXT』

デートにはぴったり。


料理  :★★★☆☆
雰囲気 :★★★★☆
予算  :1人4000円~5000円


夜にはお洒落にライトアップされ、

窓からはみなとみらいの夜景も抜群。

ドライブの締めくくりに是非どうぞ☆



駐車場から赤レンガに入るまでの

海辺の景色が本当に綺麗。



昔1年半付き合ってた彼女と

初めてデートしたのが、みなとみらいの映画館。

最後にデートしたのが、ここ赤レンガ。


初めと終わりに選ぶ場所。



そんな素敵なところです(笑)


いやー懐かしいな~

自分で言ってて暗くなる~(~_~)


3年間音信不通だったその彼女と

実は3ヶ月程前に会いました。

そんでまた色々ありました・・・


『恋愛はポタージュのようなものだ。

初めの数口は熱すぎ、最後の数口は冷めすぎている。』
byジャンヌ・モロー


冷めたポタージュ、つまり一度別れた女ね。


何でもモノは試し。

チャレンジしてみました。


シット!激マズ!!

おい!!シェフ呼んで来い!!



飲めたもんじゃありませんでしたね~実際!

皆さん、ご安心下さい。

当店『BEER NEXT』には

そのようなメニューは御座いませんので。



・・・どうでもいいけど飲むって表現止めた方が

いいですよね(笑)

野洲高校決勝進出!!!


1-0で見事多々良学園を粉砕。

攻撃サッカーを遺憾なく発揮してくれた。


高速ドリブル、パスワークは

早く、美しかった。


野洲高校のサッカーは

試合を観た子供たちにも

きっと刺激になる。


テクニックがあれば

体が小さくても戦える。


そんなヒントを与えてくれるから。


何はともあれよかった。


本当に勝って欲しかった。


おめでとう。


いよいよ決勝戦。

相手は鹿児島実業。


攻撃も守備もこのチーム本当に強い。


野洲高校守備陣がどこまで耐えられるか。


今大会無失点

鉄壁の鹿児島実業DFから得点が奪えるか。


見所も沢山ある。


自分たちのサッカーを信じ、

今までの練習を信じ、

勝つのは自分たちだということを信じて欲しい。


全国の子供たちに

夢と感動を与える

サッカーを見せてくれ

第84回全国高校サッカー選手権大会がいよいよ佳境である。


本日準々決勝の4試合が行われている。

先程準決勝に進出する4校のうち、2校が決まった。


鹿児島県代表の鹿児島実業

山口県代表の多々良学園


特に多々良学園は、昨年民事再生法の適用を受けた。

多々良学園だけではなく、近年の少子化によって、学校経営は

年々厳しさを増している。

多々良学園の名前で闘えるのは、今年で最後になるかもしれない。

そんな思いが選手たちの気迫に大きく影響しているのだろう。

見事茨城県代表鹿島学園を破って、国立競技場に辿りついた。

是非、決勝まで辿りついてもらいたい。


もうひとつ、決勝で多々良学園と決勝で見たいチームがある。


滋賀県代表の野洲高校である。


以前このブログでも書いたが(『高校サッカーをみよう!12/31』)

野洲高校のサッカーに非常に魅力を感じている。


高校サッカーにおいて、野洲高校のように

「パスを繋いで崩すサッカー」は稀である。


後方からロングボールを放り込み、前線の選手で競り、

こぼれたボールを拾ってシュートに持ち込む、

という戦い方が高校サッカーの試合では多く見られる。


野洲高校はとにかくよくボールを繋ぐ。

トリッキーなフェイントやドリブルを織り交ぜながら

スペインのようなサッカーをする。

相手ゴール前では、ダイレクトパスを2,3つ繋ぎ

簡単にDFを崩していく。


ある程度ここまで勝ち上がってくることは

予想できた。

次が山場だろう。

国見高校を破った大阪朝鮮との準々決勝。


大阪朝鮮の猛烈なプレスを、野洲高校の自在なパスワークが

切り裂くシーンがどれだけ見られることだろう。

サッカーでは、こんな名言がある。

「動かすべきは、人ではなくて、ボールである」

byヨハンクライフ


この言葉から予想するならば、

どこのチームよりもボールを沢山動かしているチーム、

野洲高校がきっと勝つ。


だが、結果は本当に分からない。

サッカーはミスから成り立っているスポーツである。

高校生ならば、尚更である。


80分(高校サッカーは40分ハーフ)の試合時間のうち

最高のパス回しを79分間していても、

1分のうち、たったのワンプレーが勝敗を分ける。

ボクにも幾つもそんな経験がある。

良い記憶もつらい記憶も。


野洲高校、

最後まで気持ちを強く持って、決勝に進んで欲しい。

楽しいサッカーを、もっと沢山見ていたい。



写真は大学時代に友達と立ち上げた

フットサルチームのもの。

(下段中央がボク)

チーム名はMemorial・United・Club(MUC)

『思い出に残るクラブ』という意味。


そこそこ色々な大会で優勝したり、ボクは何度か

得点王、MVPに選ばれたりと、結果も残した。

だが、結果だけではなく、このチームには特別な思い出がある。


今までボクは色々なチームでプレーしてきた。

強いチーム、弱いチーム、仲の良いチーム、

仲の悪いチーム、色々なチームがあった。


大学3年生まで、意識は「現役」として

ボクは自分のサッカーの可能性に挑んできた。


大学3年生の夏頃、ボクはチームの練習中に大きな怪我をした。

整備されていないグラウンドで芝生に足をとられ、相手と接触。

猛烈な激痛が全身を走る。

医師の診断は両足首の靭帯損傷。

両足首って!?

復帰まで擁する期間は半年間の怪我だった。


その頃は、毎日、雨の日も雪の日もサッカーの練習の日々。

大学なんて学部の友達なんかは皆適当に遊んでいる。

ボクは大きなバッグを抱えて授業を受け、

放課後にはグラウンドに直行。

そしてサッカー。


こんな生活も楽しかった。


でも、プレーしながら正直自分には無理だということは、

何より自分で分かっていた。

プロサッカー選手になんか到底なれっこない。


ボクは、ただ最後まで頑張ったという証が欲しかった。

大人になって後悔しなくて済むように、

こんな生活を続けている。


もっと旨くなりたい、大きな舞台でプレーしたい、

そんな気持ちで頑張ってきた、と自分に言い聞かせているけど、

ホントの部分はきっとそれは違うんだろうな。


じゃあこの先に何かあるのだろうか・・・・


靭帯損傷によるリハビリをしながらそんなことを考えていた。


そして、ボクの出した答えは、引退することだった。

もうリハビリもサッカーもこれ以上続ける気力が無かった。

リハビリから復帰しても残された時間はほとんど無い。

社会に出なくてはならないわけだ。


続けることはあんなに苦しかったのに、

辞めることはこんなに簡単なものなのか。


辞めた後は1年近くサッカーをしなかった。


ダラダラとした毎日。

酒飲んでタバコ吸ってバイトして、

クラブに入り浸ってナンパして、

学校にはほとんど行かず、サッカーもせず。


何のためにやめたのか。

よく分からなくなっていた。

多分、遊びたかったんだろうな。


やがて就職活動が始まり、

何となく何社か受け、何となく内定をもらった。

いや当時は就職氷河期と言われていたから

何となくでも内定をもらえてラッキーだったんだけど。

重ね重ねラッキーなことに、ボクは現在もそこの会社で

毎日非常に楽しく働き続けている。


ああ、これでボクは普通のサラリーマンになるんだな。

その頃Jリーグの某クラブに入団した仲間は、

半年でクビを切られ近所のラーメン屋でバイトしていたりした。


もうボクはサッカーとは関係ないんだ。

でもきっと楽しいことは沢山あるだろう・・・・


その頃ボクは大学4年生の半ばに差し掛かっていた。


何となく不完全燃焼のまま、

暇な毎日を持て余していたところに、

友達の誰かがこんなことを言い出した。


「なぁ、暇だからさ~、何かやんねぇ??」


確か学校の近くで一人暮らしをしており、

ボクたちのたまり場となっているKの部屋だったと思う。


ボクは何かが始まる予感がした。


「じゃあ、フットサルやらへん?サッカーと違って5人おれば試合

できんねんで??みんなサッカー好きやし丁度ええやん!」


ホントは標準語で言ったんだけど、この方が当時の

ノリが伝わりやすい。


というわけで、フットサルチームを作った。

それが冒頭に紹介したクラブ、MUCである。


ずっと何かに追われるようなサッカーだったから

友達と和気合い合い、というのが凄く楽しかった。

本当にサッカーを楽しめた。

何より、仲間の信頼とか、そういうことの

大切さを知った。


このチームが無かったら、ずっと勘違いしたまま

だったと思う。

俺より下手なやつには何も言う権利はねーし、

言わせねえ。せーぜー練習に精を出せや。

そうじゃない。

チームってそうじゃない。

信じないと信じてもらえない。

信じてもらえないと、付いてきてもらえない。


それに、人から学べることって

本当に沢山ある。

今まで分かってなかっただけだったんだ。


そういう意識って社会でも凄く大切だと思うし

今でも色々な場面で役に立っている。


MUCは半年程度しか活動できなかったけど、

あの頃の経験がなかったら

今のボクは無かった、マジで。


大学卒業を間近に控えたある日、

ボク達MUCは最後の大会に出場した。


ちょっと大きめの大会、

レベルは施設の大会としては中の上くらいだったかな。

結果は20チーム中、確か6位くらいだった。

優勝で飾りたかったが、この辺がサッカーそんなに

甘くねー!ってところだ。


だが素敵なプレゼントをもらった。


この大会のMIP(Most Impression Player)

「最も印象に残った選手」に贈られる賞にボクが選ばれた。

20チーム参加だから約100人以上の選手がいて、

かつ6位という微妙な結果の中での受賞だったから、

凄くうれしかった。


多分泣いてた。


何だかんだ言って、今も社会人でサッカーをしている。


サッカー馬鹿は死んでもサッカー馬鹿なんでしょう。


でも、今は楽しんでサッカーができる。

若いし、体も動く。


もう何年かしたら、今度は衰退との戦いも待っている。

ボクはスピードが売りのFWなので、

走れなくなった時が本当に怖い・・・

きっとこの先も色々なドラマが待っていることだろう。


壁を乗り越えて選手としても人間としても成長したい。

体が動かなくなってどこかのリーグとかでサッカーが

出来なくなった時、後悔しないように

精一杯サッカーを楽しもうと思う。






今年もこの季節がやってきた。

冬の高校サッカー選手権大会である。


全国4000校の頂点を決めるこの大会、

高校生にとって数ある戦いの場の中でも

この大会に馳せる思いは格別だろう。


今大会は優勝候補が不在と言われている。

各県予選大会において、歴代の強豪校が

敗れる波乱が各地で見られた。


強豪ひしめく静岡県は別として、

東京の帝京高校や千葉の市立船橋高校など

超高校級のチームが今大会は県予選で涙を飲んだ。


こうした強豪校と無名校の差が、各地で接近してきている

現象も、サッカーが文化としてこの国に根付いてきた証と

言えるだろう。


今日はTVで、滋賀県の野洲高校と東京の修徳学園の

試合を観た。

元日本代表北澤豪を輩出した名門修徳学園が勝つことを

予想していたが、圧倒的な力の差を見せて野洲高校が2-0で

2回戦に駒を進めた。

今大会野洲高校は、台風の目になるかもしれない。

個々の技術レベルが非常に高い。

トリッキーなドリブル、パスを連発し、個人技の上に

組織が成り立っている。

高校生では珍しいチームである。

是非頑張ってもらいたい。


高校サッカーにはドラマがある。

ボクは高校生時代クラブチームでプレーしていたため、

この大会をはじめ高校サッカーには一切参加できなかった。

だが4歳年下の弟は神奈川県の強豪校に入学し、

サッカー部でレギュラーFWとして3年間プレーした。

3年時にはベスト4まで勝ち進んだ。

神奈川県決勝戦を行う三ツ沢競技場に

たどり着くことを悲願として、

あとわずかというところまで頑張ったが、

準決勝でPK戦、惜しくも敗れた。


涙を流し、ピッチに崩れ去る弟の姿。

最後に見たのはいつだったか、家族に見せる弟の涙である。


当時家ではほとんど口を聞かない生意気な奴だった。

そんなあいつが試合後母親のところに行き、涙ながらにこう言った。


「お母さん・・・三年間、ありがとう」


今年も多くの高校生たちの涙と笑顔を映し出し、

全国の頂点にたどり着くチームが決まる。

その道は、きっと彼らを大人にする。

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「人は自分の理解できないことを軽蔑する」byコナン・ドイル 今日用事があり渋谷に行ってきた。 連日渋谷・・・最近渋谷大好きです。 時間があり、ぶらぶら徘徊していると 宮益坂交差点付近にちょっとした人込みが。 この類のことには好奇心をむき出しにするボクは、 一際ゴージャスな感じのおばちゃんをナンパして何なのかを尋ねた。 するとどうやら間もなく韓流スターのクウォン・サンウが来るとの事。 おばちゃん 「私はこの道まだ浅いモンですけど、一目みたくてねえ」 ふーん、まーいーやボクの方がカッコいいし。 つか、韓流マジ興味ねえ!! おばちゃんに投げキッスを捧げその場を離れる。 ところが用事を済ませて交差点付近に戻ると、 目を疑った。 おばちゃん、おばちゃん、そしておばちゃん・・・ 渋谷中のおばちゃんが集まってきているんじゃないかと思う 程の大規模なおばちゃん機甲師団到来・・・。 尋常じゃねー!こいつぁ事件だ!! 安全な距離を確保し、じろじろ観察していると やがて本人を乗せた車が到着した。 その時の光景の凄まじきこと・・・。 ンニャー!! クウォンさーん!! 連れてってー!!! どこにだよ!? そんな好きか!?つか、恥ずかしくないか?? いい年こいて、キャーって。 旦那が見たら切なくなるぜ、おい。 韓国でもおんなじくらい人気者なんだろうか。 ボクの付近に位置をとっていた命知らずの若者が 戦場と化した中心地に分けのわからない言葉を叫びながら 突撃していった。言うまでも無いが彼は戻ることは無かった。 おばちゃん師団恐るべし。 渋谷の街が一時騒然としました。 以上現場からリョータ君がお届けしましたっ! ところでなんで韓流ブームっておばちゃんからきてるんだろう? 冬ソナって韓国では若い人は見ないのかな? 誰か知ってたら教えてください。 まあ、お金と暇を持て余すアクティブなおばちゃん層を ターゲットに韓国のイケメンブームを狙った戦略は 大成功だな。 さすが電通。恐るべし。 ボクにはちょっとついていけないけど、 わかる人にはわかる。 みんな好き好きだもんね、そーゆーものなんでしょう。
朝までCLUBで踊って飲んでナンパして、帰ってきた朝が結構好きです。
今日は渋谷のクラブ『UNITY』で遊んできました。
レゲエのMCをやっている友人T君の参加しているイベントに誘われ、
昨年のMCバトル日本チャンピオンに輝いた「晋平太」とT君のLIVEは
も~、か~なり!ノリノリっした!!
でもってボクのナンパもこれまた絶好調!?な感じっした(笑)チス!!
T君は仕事で知り合った友達で、昼間は営業マンなんです。
んで、夜はイベントなど精力的な活動をしているスーパーナンパーマン!
残業も多い仕事で、肉体の負荷は相当なモンでしょう。
昼に会うと目がイッてることもしばしば。
とんでもない営業マンですよね~(笑)
でもT君から受ける影響は多々あります。
一本ビシっと筋が通った男。
あまり周りにはいないタイプなので。
ナンパはするし、お持ち帰りもしちゃうT君だけど、
チャラチャラしていないのは、
きっと彼の通してる「スジ」のせいでしょう。
礼には礼をもって返す!
ボクが女の子を紹介すれば、1週間後には合コンをセッティング
してくれる世の中を義理と人情で渡っていくサムライ!
クラブでイベントに来てくれた女の子を散々口説き、
見事GETした翌朝、
てっきり付き合うと思い込んでいた女の子に一言、
ウム!俺はまだ半人前だ!責任はもてん!!
いや~サムライっすわ、マジで。
いや、ホントはオトコなんてそんなことばっか
考えてるくせにカッコつけてスカしちゃう方々より
ビシッとしてて全然カッコいいんすよ。
「ヤルの!?ヤラないの!?」みたいな(笑)
見習いたいモノです。
さ~てさて、今日から仕事はお休みだ~♪♪
一杯遊んで、サッカーして、いい連休にしよっと。
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