分かっていただきたいために、私は話します。

ひよこにもなれない、まだ殻の世界にいるから周りが見えないためです。

80歳、90歳の僧侶が「あ~あそんなに大変だったのか。知らなくてごめんなさいね」とたったその一言で相手が心を開いてくれます。

でも、私たちは打ち破っていくぐらいの力がないと聞いていただけないので、半人前といわれる所以です。

力任せなんですが、両方必要です。

車の両輪と一緒です。

両輪の片方が止まれば、そこだけ止まってくるくる回るので同じ景色しか見えません。

両方が歩んでいくことが必要です。

若さの素晴らしさ、年を重ねた素晴らしさがある、ということです。

それは年輪と一緒です。

暑い夏を過ごし、寒い冬を越え、年輪は一つずつできていきます。

細い樹木は風が吹いただけで倒れてしまいます。

それが年とともに太くなる。その太さは倒れない強さになっていきます。

だから、年は重ねるものだと思っています。

年輪はその方しか味わえない世界であるから、その中身は大事です。

それを葬儀の時に見せていただいて、小さな器の私たちに、「もっと勉強しなさい、がんばりなさい」と温かく教えていただくことでもあります。

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狭い世界の中で生きていると時には周りが見えなくなってくることがあります。

私は田舎のお寺から出てきて、都会のお寺で法務員として修行しています。

町には町の素晴らしさ、田舎には田舎の素晴らしさがあります。

どちらも知らないとどちらのよさも活かせません。

田舎のよさとは共に歩むことです。

車でさっと走る人には、同じスピードで歩み、ゆっくり、ゆっくり歩む人であれば、ゆっくり歩む。

町のよさは純粋さです。分からないことがあれば素直に聞いてきます。

逆に田舎の方が固定概念がある方が多い。

遠くに行けば色々なものが見えてきます。

人間の鼻は鏡を見れば見えますが、顔の中心にあるので、近すぎて自分では見られない存在です。

大事なことは離したり、近づけたりしながら見ていけば、よりつぶさに細かく見える。

生きることが業です。

いいところ、悪いところを洗い出して、よりよきものへ変えていくために、距離をとることも必要です。

離れてみて親や友達のありがたさが分かるものです。


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スピード社会といわれるようになって久しい。

さらに先を急ぐかのようにインスタント文化ともいわれ、3分待って答えが出なければ、答えではない、ともいわれています。

僧侶の世界では10年、20年考えても答えがでないこともあります。

それでもまた考える必要性があります。

答えが出ないことも、答えの一つでいいのではないでしょうか。

悩みながら進んでいくこの世界で、葬儀に当たって亡き方を偲ぶ時は駆け足でなくてもいい場合もある。

当然、駆け足でならなければならない時もありますが、両方あっていい、と思います。

「ありがとう」と送らせていただく。

あなたに会えたのは、たまたま会えたのでしょう。縁の世界でたまたまの条件で私たちは生まれさせていただいているのですから。

その中で「ありがとう」と送らせていただくのが一番大事です。

それを喜べないと、何も喜べない世界が広がる。

そうなると葬儀も要らない、ということになります。

究極を申すなれば、人間は死んだらゴミになる。

その考えは私は認められませんし、認めたくもありません。

死んでからは仏にならせていただく。

大事な人生ですから、ゴミにはなりません。仏になるのです。

ゴミになるということは、必要なかった、ということです。

ということは、必要な時だけ、必要で、必要でない時は必要でない、ということです。

そうではなく、仏様となって皆さんの心の中にいつまでもいます、といわせていただきたい。

それが共に歩む原動力です。

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生きていくということは非常に難しいことです。

空気がなければ生きていけない。

ご飯を食べないと生きていけない。

心臓が動かないと生きていけない。

それが当たり前のようになっていますが、どれが一つ欠けても死んでしまいます。

こんな難しいことをしているのに、そんなに早く答えを出す必要性はありません。

悩むことに答えがないのも答えです。

今は何か規格品のようになっています。

人によってごはんを食べる量は違います。茶碗一杯のごはんを食べるのに、皆同じ時間で頂かなければ勝手な決まりごとを作ったせいで、自分は間違っているんだ、と思い込んでしまう。

でも、間違っているかどうかどうかを決めるのは後の方。今は自分で決めなくてもいい。一代後でも何十代後でもいい。

今、その答えを求められているわけでもありません。

自分で答えを出すと自分を否定することになるので、自分が辛くなるので残念です。

辛い、辛いで生きるのではなく、ゆっくり生きてみると意外と周りの景色は変わるものです。

早く走るだけがすべてではありません。

スピードが求められる時代ですが、求められたかといって、乗り遅れてもいいと思います。誰もが早すぎるのを止めたいと感じています。

1人ずつの考え方を変えることで変われると思います。

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仏教はお医者様と同じだと思います。

お医者様は病気の種類に応じて最も適した薬を与えますが、仏教でいうところの応病与薬(おうびょうよやく)とは人に応じて法を説くということです。

病に対して与える薬は違います。その人一人ずつを一生懸命にしていけば、世界は変わります。

一人一人苦悩は違いますから、一人一人と話がしたい。

全体に話す必要性もありますが、でも一人一人が分かっていただければ、喜びが次の世界につながる。

喜べないものはつながりません。

「親が喜んでいたね」と思うなれば、私の後のことは親の背中を見ながら、伝えていかなければならない世界があると思います。

かえって言葉にすると伝えにくい世界もあります。

逆に一人一人とゆっくり時間をかけて話したいと思います。

その輪がどんどん広がればいいと思います。

一人一人に対して僧侶がお話を聞いて「ああ、そうだったの。大変でしたね」と話を聞いて、ご法義の中から「こんな時はこんなお薬がいいのではないですか」とお話をしていきたい、と思っています。

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