命を懸けたデュエル、つまりカード遊びなんて漫画の中だけの話だ。

 それを本当に言っているやつが居れば、それは中二病患者で、そっとしておいてやるのが正解だ、と世の人々は思う。

 

 しかしながら、僕のように青春をデュエルに捧げた、人生においてカードが多くの割合を占めていた時期を過ごしたことのある人ならば、少しは身に覚えがあるかもしれない。

 

 命を懸けると言っても、もちろん負けても死ぬことはないし、そんなことを口に出しているわけでもない。

 それは姿勢の問題だ。

 つまり、当時の僕はカードのために命を張れる、と思うことができていたのだ。

 

 周りの人間はどう思っていたのかは知らないが、少なくとも僕はそう思っていた。

 今考えてみると、相当な中二病だ。

 

 まあ、そんな思い出を振り返ってみるのもたまには悪くないのではないだろうか。

 当時ほどカードにのめりこめなくなってしまった今だからこそ、この話を共有したいと思う。

 

 その時、僕は小学校高学年。

 祖父の影響でインターネットにしっかりはまっていた僕は、しっかりオタクにで、内向的になっていた。

 

 保育園児のころからカードが大好きで、都会から田舎に引っ越してきた僕は友達作りのツールとしてカードを使った。

 

 学校から帰ってきたら近所のカードショップに行き、デュエマを子供なりに楽しんでいた。

 当然、お金もそんなに持っていないから、ストレージコーナーのカードを漁りまくる日々。

 

 僕が他の子と違った点は、父がオタクで、新弾が出る度にボックスで買ってくれたこと。

 僕が小さいころに父もカードに付き合ってくれて、その内本当にはまってしまったから、そういったことには理解があった。ちなみに、デュエマも一応やっていた。

 父が大人の財力で作ったガチデッキを貸してもらい、友人間で無双していた覚えがある。

 

 しかし、そんな僕の天下も長くは続かない。

 友人の一人が、父のデッキに強い速攻デッキを持ってきたため、ぽろぽろと負け始めたのだ。

 

 そうして、僕らの環境は回り始めた。

 当時のデュエマはそれほどカードも高くなく、余程のことが無ければ子供の財力でも、頑張れば強いデッキを組むことができたのだ。

 

 その間にも、僕は学校で着々とデュエマ仲間を作り続け、やったことのない子にも教え、沼に落とし、少しづつカードショップは小学生の巣窟になっていた。

 

 一番多いときは十人以上仲間が居たのではないだろうか。

 カードショップに行けば、なんの約束もしていなくても誰かは居る、というカードゲーマーからしたら夢のような状況ができあがっていた。

 

 僕らは、ショップ大会にも出始めた。

 大人も出る、別の学校から来た子も参加する、とても賑やかな大会だったことを覚えている。

 

 参加者の半分が僕の仲間だったことも多かった。

 何回か出る内にコツのようなものを掴んだのか、僕や僕の仲間は何度か優勝していた。

 

 そこでの思い出が、強烈に僕のアイデンティティを構築していった。

 ショップに通うまでの僕と、通うようになった僕とでは別人のようになっていたに違いない。

 カードを通してなら、僕はしっかりコミュニケーションをとることができた。

 

 ここで、命を懸けたデュエルの話になってくる。

 

 毎日毎日やっていても飽きない、仲間と共に笑いながらやるゲームでも、「勝ちたい」という気持ちは出てくる。

 大会に出始めてから、その気持ちはより一層強くなった。

 

 ある日から、大会のここ一番、僕はめまいがするようになった。

 目の前を見ることもままならないほどで、盤面を見るのに必死になって涙目になった。

 カードをよく落とす。おかしい。

 見れば、手が、指先がやたらと震えている。

 ひざはがくがくと笑っている。

 

 それでも、頭はよく回る。

 環境に居ないオリジナルデッキだから、相手は効果をよく確認する。

 そういうときは大抵勝つ。

 

 そして、勝ったときのことを殆ど覚えていない。

 全く、頭が真っ白になってしまうのである。

 

 アドレナリンが頭の中をかけめぐる。

 小さな町の店舗大会で、こんなになっている僕はおかしい、と思った。

 

 優勝した後もフリー対戦は行われる。

 仲間たちにおめでとう、と言われる。そして何事もなくまた対戦をする。

 負ける、何度も負ける。

 勝手を知った友人にはなかなか勝てない。

 

 これが全てだ、と僕は思っていた。

 きっとカード以上に大切なものなんてないんだ。これが一番楽しいことなんだ。

 もしデュエマができなくなったら死んでしまおう、僕にはこれ以外なにもないのだ。

 

 僕は本気でそう思っていた。

 別に趣味が他になかったわけではない。

 本を読むのはずっと好きだったし、絵も描いたし、スポーツもバスケをやっていた。

 

 けれど、カードを通して強固に設計されたアイデンティティは、カードによって作られたものと勘違いさせてしまう。

 一時期、カードをやらないやつを見下していた。心の底から。

 

 それが、命を懸けたデュエルということである。

 ドラマチックなこともなにもなく、本当に誰かが死んだわけでもない。

 一つの出来事で人生が大きく変わったわけでもない。

 

 ただ、その時僕は本当にデュエルに命を懸けていた、という事実があるのみだ。

 

 それから中学校にあがり、僕たちは散り散りになった。

 遊戯王を始めたり、新しい友人と出会ったりもしたが、全盛の時からは衰えてしまった。

 

 今、少し成長してしまった僕は、カードをしながらめまいを起こすことはなくなった。

 アドレナリンがどばどば出続けるあの感覚を、久しく味わっていない。

 

 くだらない人間に成長してしまった、と書いていて思う。

 デュエルに命を懸けられる人間の方が、世に居る人間の何倍も面白いじゃないか。

 

 アイデンティティは崩れ、カードにそれほど執着することはもうない。

 

 カードはまだ続けているが、もうきっぱりやめてしまった方がいいのかもしれない。

 やめたところで、きっと全盛期はあのころに固定されてしまったままだろうけれど。