Jam Tun!  Jam Tun! -3ページ目

Jam Tun!  Jam Tun!

Jam Tun! (ジャム タン)とは、プル族の言葉で「平和だけ」ってこと。
あらゆる挨拶をされてもこの「Jam Tun!」って答えればオッケー!
セネガルの大地で青年海外協力隊員として、どっぷりプル族と向き合いながら生きた日々の記録。

広島出身の同期隊員が、ここセネガルの本人の任地で平和展(原爆展)を開催しようと計画している。

原爆や戦争の恐ろしさを知ってもらうと共に、セネガルに今ある平和(JAM)をセネガル人に再認識してもらおうというイベント。


私はこのブログのタイトルにしているとおり、セネガルの最大の魅力は「JAMさ」だと思っている。

それなのに、セネガル人がその魅力に気づいておらず、先進国に憧ればかりを抱いている現状には、違和感を感じているし、もっとセネガルらしさに自信を持ってもらいたいなとも思っていた。


そしてそのイベントの1つの企画が

「あなたにとってのJAMって何ですか?」をセネガル人に聞いて、それを動画で撮影して集めてショートムービーを作成するというもの。俺にもその動画の撮影依頼が来たので活動村で試みてみた。

いやあ、難しかった。

日本語で日本人に「あなたにとって平和とは何ですか?」と聞いてもこの概念的な質問に答えるのは楽ではない。それを、片言のプラール語で質問して、説明してもらう。カメラで動画が撮れることが驚きで大騒ぎな村人をなだめつつ、何度もやりなおししながら撮影を進めた。


最初は義務感でやっていたものの、途中からセネガル人が私の意図を汲みとり、必死で考えながら自分の言葉で表現しようとする様子は個性が出ておもしろかったし、興味深かった。

「家族も仲間もみんな健康なこと」

「毎日、ここで問題なく過ごせること」

「家族や友達や家畜がみんな元気で、いっぱい食べて、いろんな話すること」

「けんかしないこと」

「病気しないこと」


私の活動村10村から30人のインタビューを集めてみた。難しい言葉いっぱい言われて全然理解できないのもあったし、最後まで意図が理解できず「ジャムタン」と連呼してる人もいたけど、それもいいでしょ。

Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun!
Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun!
Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun!
Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun!

正直やってよかったです。

「お金」とか「先進国」とか「援助」なんて言葉全然出てこなくて、「家族」とか「健康」とか「この村」って言葉がいっぱい出て来た。自分たちの魅力、わかってるやんセネガル人。


その同期隊員が任期延長することになり、平和展開催は私の帰国後になったためそのイベントに参加することはできないけれど、自分が大切に関わり人間関係作ってきた村人1人1人がプラール語を話す様子を動画に収めれたことも日本に帰る上での自分へのいいおみやげができたかな。

変わらぬJAMがここセネガルにあり続けますように。

私の隊員生活で、任地クサナールと首都ダカールを除いて、最もたくさん行ったのが隣町クンペントゥーム。

バイクで行ける距離でもあり、生活・活動環境も似ていて、同職種同要請の同期隊員や、同い年の男隊員もいて、関わることも多くこの2年間で10回くらい訪問したと思う。

活動でもお互いの活動先まで一緒に行って見学したり意見交換したことも多く、思い入れも強い。

帰国した隊員も含め、クンペンで8人の隊員と関わり、いろんな思い出がある。


その中でクンペントゥームで思い出すのは、今から1年10カ月程前、クサナールに配属されて2週間後に、セネガル人との同居にストレス溜まりまくりだった時に訪問して、同期に会い、当時のクンペン隊員4人から美味しい料理のおもてなしをしてもらって、心からホッとしたこと。今思い出しても、2年間で最もきつかった時だから、天国のように感じたのが懐かしい。
Jam Tun!  Jam Tun!

約1年10カ月前のクンペン初訪問時。


同期のHとは、任地環境が近いこともあり、生活・活動面での思いを共有しあったり、いろいろ相談したり、なんだかんだで、同居人を除けば最も関わることが多かった隊員だった。
Jam Tun!  Jam Tun!

彼女がやってきた、学校での保健教育の活動、村での改良水がめ普及等の衛生改善活動など、環境が近いからよりわかることだけど、他隊員と比較しても半端なく凄かった。


そんなクンペンへの訪問。残り任期を考えるとこれが最後になるのかな。

Jam Tun!  Jam Tun!

クンペン料理のメインは、村人が育てたウサギ。これが美味いんです。

Jam Tun!  Jam Tun!

同任地5人という小さな日本社会にお邪魔して、今回もワイワイ楽しい時間をすごさせてもらいました。
Jam Tun!  Jam Tun!
夕日を浴びながらクンペン-クサナール間の国道を走るのもこれが最後かなと思うと寂しい気持ちになってもた。

クンペンの5人、楽しい時間と思い出をありがとう。

こんなことがありました。

衝撃的でした。現実を突きつけられた感じ。


俺が通う村でも、最も文明が入っておらず、最も居心地がよく、JAM(平和)に溢れ、俺を凄く受け入れてくれるP村。この村の半径5キロにはこの村しかない。

この日、10時頃に村に行き、最初はのんびり話をしていた。

すると放牧に出ていた少年が走って来て、「火事だ!火事だ!」と叫ぶ。

そこで男連中が、その火事対策に現場に向かうことになった。
Jam Tun!  Jam Tun!

水汲みや洗濯をしてる向こうで煙があがっていた。

「俺も見たい!」と、彼らに興味本位で着いて行く。平原を枯れ草をかき分け向かう。
Jam Tun!  Jam Tun!

こんなプル族の青年たちに着いて行く。そして到着した、村から2キロほど離れた現場。

Jam Tun!  Jam Tun!

凄い火事。しかも強風にあおられ、どんどん火の手は広がっていく。既に2カ月雨が降っておらず、こんだけ乾燥してたら枯れ草は燃えて当然のような気候。村唯一の井戸は、深さ55メートル。クサナールに消防者なんて存在しないし、この村は車も入ったことないと思う。

しかし村人にとっては大切な放牧の場所。近くには収穫を間近に控えた、ピーナッツや綿花の畑も広がる。

Jam Tun!  Jam Tun!
そこで集まった村の男たち約20名が始めた行動。

生い茂った草を、どんどん刈り、そこに約2メートルの道を作って行く。そして、その内側に火を放ち、わざと枯れ草を燃やし、先に燃えたゾーンを作って、火の広がりを防ぐ壁を作って行く。

風を感じ、いつもの放牧経験から草が少ない地域に向かって火を誘導していく。この時点で、既に100メートル四方の地域が燃えてたはず。

穏やかでのんびり暮らすプル族の青年たちが、怒号を飛ばしあい、火ギリギリの場所で作業しながら、協力して火を誘導していく。
Jam Tun!  Jam Tun!

その場にいた俺にできることなんてなかった。突きつけられた圧倒的なリアルにとにかく迷惑かからないように、安全な場所を見つけて移動するしかない。それでも俺を気遣ってくれる村人。カメラを向けるのも気がひける。

約2時間後、女性たちが、村から約2キロの距離を水を抱えて運んで来た。それにむしゃぶりつくように飲む村人。そして先頭に立って指揮していた村長からの一言「危ないからお願いだから帰ってくれ。」

従うしかありません。
Jam Tun!  Jam Tun!

命をかけて火事から家族や仲間や住む場所を守るために闘い続ける彼らを尻目に、無力感を痛感しながら退散。そして、村に戻ると心配そうに待つ子供たちがいた。2時間ほど待ったが彼らは戻らず、そのまま村を後に。来た頃は燃えてなかった地域が焼け野原に。


この3日後、町に来ていた村人に会った。彼らはその日、夜8時頃まで、消火に闘い続け消し止めたとのこと。ピーナッツの畑の一部が燃えたが、住居は大丈夫だったとのこと。

「みんな疲れきって、翌日はみんな寝てた」と、いつもどおりの穏やかな笑顔で笑って話す村人。

Jam Tun!  Jam Tun!

この地で生きて行くってこういうことなんだなと感じさせられた。

私は、プラール語もある程度話せるようになり、歓迎され、活動もうまくまわり、居心地もいい。こんな日々を過ごしているうちに、自分もここの村の一員になれたような錯覚をしているときもあった。


何があっても、命を張ってでも、ここで生きて行くしかない人たち。普段は穏やかにのんびり暮らしていても、大切な家族や仲間や住居を守るべき時には、自分たちが使える道具を使って、経験を駆使して、最大限頑張って、できることをする。こういう大人の姿を見ながら子供は育つ。

こうやってこの日を「生き延びた」彼らを見て、悪い意味でなくやっぱり自分は「外モノ」であるということと、自然環境と向き合って生きるというリアルさを痛感させられた。

セネガルの中でも、プル族の民族らしさは、他地域・他民族とは全然違う。

タバスキは年に1度のお祭りだから女性陣も精いっぱいのおしゃれをする。

活動村での女性陣の飾り付けは、かなり良かったのでそれを写真でご紹介。

Jam Tun!  Jam Tun!

わずかな現金収入で飾り付けの部品を買い、それで手作りして作ったものをいっぱいつける。
Jam Tun!  Jam Tun!

特にこのおでこの飾り付けは、プル族度が高いなあと思わされる。

Jam Tun!  Jam Tun!

そして足飾りのビーズ細工。毎年ほどいて新しいのを作りなおすらしい。
Jam Tun!  Jam Tun!

いっぱいのおしゃれをして得意げな嬉しそうな顔で写真に写る彼女たちの表情がとても印象的でした。

少しずつ文明は入ってくると思うが、こういう民族の「らしさ」は失われないでほしいなと心から思う。

タバスキ(犠牲祭)でした。

去年同様、毎日お世話になっている家族の家で。
Jam Tun!  Jam Tun!
今回は、羊をみんなで抑え、首を切って殺し、血を抜くところからしっかり見物。

去年も見てるし残酷さは薄れた分、命の終わりさを見届けるリアルさが印象的。
Jam Tun!  Jam Tun!

写真を撮られることを意識し、誇らしげに首を切られた羊の上に乗るバーバ少年。

この年齢から、こうして命の終わりを見届け、それを頂くことを身をもって体験しながら育つというのは、やっぱり大切なことだと思う。

Jam Tun!  Jam Tun!

家族の男衆が総出で、羊の皮をはぐ。男衆のたくましさ、手際の良さ、役割分担の明確さなど、日本人にはとても真似できない洗練された動き。

もちろん、バーバ少年も足を持ち手伝う。ただ新調したセネガル服を着替えずに羊の解体に参加していることに若干の不安を感じる。

Jam Tun!  Jam Tun!

途中からは釣り上げスタイルに変え、首を切り落とし内臓を取り出す。内臓含め食べれる部分は全て頂きます。

Jam Tun!  Jam Tun!

その横でバーバ少年は、切り取られた羊の頭で遊ぶ。

ただ、セネ服が暑かったのか上半身は脱いでしまったバーバ少年。

Jam Tun!  Jam Tun!

この直後、バーバ少年は、自分が遊んでいた羊の頭につまずいて、こけ、新調したセネ服が血だらけになったのです。このあと親にこっぴどくしかられてたのは言うまでもありません。あまりにも爆笑だった今日のMVP。

羊の解体の前に大切な服は着替えるべきだということを学んだはずです。

Jam Tun!  Jam Tun!

解体後は、女性陣の手によって調理された羊肉をたらふく頂きました。

いやーまじめに美味かった。明らかに食い過ぎ。胃もたれするほど。

でもそんだけ食ったらお前もセネガル人だと言われ、悪い気はしない。


とにかくこの日は1年に1度のお祭りとあって、女性陣は髪を編み、男性陣は坊主にし、服を新調して迎えるのです。

Jam Tun!  Jam Tun!

綺麗な服を着た日だから、写真撮ってくれアピールがいつも以上に凄い。

Jam Tun!  Jam Tun!

さんざん泣いたバーバ少年。コリテ(ラマダン明けのお祭り)の時の服を着させてもらい機嫌も回復。

Jam Tun!  Jam Tun!

今回凄く感じた違和感。

今日は新調した服を見せ合う日。その日に、少年たちはみんな洋服。

テレビを通じて先進国に過剰憧れをするセネガル人を象徴するような現実。

セネガル服っていう、いい文化が薄れつつある現実を感じる。日本もこうやって着物が衰退したのかな。


セネガル全土で何万頭という羊が裁かれる日。

去年とほぼ同じ過ごし方をして、セネガルのタバスキってこういうもんなんだってのは、よくわかった。

料理の間など、結構グダグダした時間も長く、アタヤを飲んだり、セネガル人とおしゃべりしたりしながら過ごす時間は何とも言いようがないセネガルの良さを感じます。

こういう祭りの日を通じて人対人が密接につながりあい、大人も子供も我々のような外から来た人間もいろんなことを感じる日なんだろう。

いろんな意味でセネガルらしさが見えた日でした。


ただ、終始感じた思い。最後のタバスキだなってこと。セネガル人とタバスキ味わうのも最後だなってこと。終わりがリアルに近づいてるなってこと。やっぱり寂しいなって思います。


こんな日の最後は、クサナール隊員のタバスキの過ごし方。

「日本人にとっては正月とお花見が一緒にやって来たような日やろ!」ってことで、夜になって帰宅した後は同居人と、浴びるほどにビールを飲みまくり、ベロベロになってそのまま寝たのでした。

村で生まれた子供がヨースケと名付けられた。嬉しい限りです
Jam Tun!  Jam Tun!

クサナールに3人目のヨースケ。すくすく元気に育ちますように。

Jam Tun!  Jam Tun!

村人が育てたサトウキビをかじる。とても甘い。
Jam Tun!  Jam Tun!

俺の愛車のバイクはちょうど5555.5kmを元気に無事故で走ってくれてます。

Jam Tun!  Jam Tun!

以前に村に連れて行った同期の名前をから「ヨリコ」という名前を付けられた子供。

この日、ついに立った!!


村に行き、カメラで俺を写真に撮ってくれと求めてくる子供たち。

全てにこたえてたらキリがないので、カメラを片づけ

「今日はバッテリーが切れたから終わり」と告げると残念そうにする子供たち。

そんな中、彼は、馬の上に立ち空手のポーズ。

Jam Tun!  Jam Tun!

バッテリーが切れたことが嘘だったことを認め、カメラを取り出し、写真を撮りました。

彼、どうしたら撮ってもらえるか知ってます。

Jam Tun!  Jam Tun!

いろんなことが起こるけど、変わらないJAM(平和)に溢れた日常もあと1カ月半。

1月12日(水)9:10に成田空港に到着します。

やたらお祭りごとが大好きなセネガル人。

1年のうち最大のお祭りタバスキ(犠牲祭)が2日後に迫ってまいりました。

去年の今頃、「あぁ、来年のタバスキ終わったら帰国やな」と思ってた頃が懐かしい。


ルーモ(週に1度の移動市場)は、俺が来て以来最大の盛り上がりだったし、クチュリエ(洋服仕立屋)は、朝から晩まで大忙しだし、タバスキ当日にサバく羊を売り買いするプル族が町をウロウロする。

そんな感じでタバスキが近づきつつある感じを実感します。

Jam Tun!  Jam Tun!

女性陣は、髪を編む作業に大忙し。お互いに編み合う。

Jam Tun!  Jam Tun!

ちなみにこの女性、右半分は編み終わってるが左半分はまだ編めてなくてボサボサのため見せてくれない。

Jam Tun!  Jam Tun!

タバスキが近かろうが、髪を綺麗に編んでようが、変わらない日常もある。水汲みは毎日の女性の仕事。

Jam Tun!  Jam Tun!

羊たち。自分の命があと2日なことを彼らはわかっているのだろうか。

Jam Tun!  Jam Tun!

「あの羊たち、みんな殺されて食われるんやな」と思いながらバイクで村から帰宅中に、道でヤギが出産してた。命の始まりと終わりがリアルです。

昨年10月31日のBlogに、「あれこれと模索した結果、野菜栽培指導を活動の中心にすることに決めた」と書いた。

http://ameblo.jp/okuoku-okuoku/entry-10377926364.html

それからこの1年、どんな感じで活動してきたかを書いてみようかと。


「初めて野菜栽培に挑戦する村の女性グループのサポート」が、俺が最もメインとする仕事。

やる気になって柵を作った女性グループに対し、種を小分けにして販売し、栽培方法や堆肥づくりを指導し、女性グループの組織化をし、会議を開いてルール作りをしたり、食べ方・栄養指導、その他問題解決支援などを実施してきた。

ちょうどクサナールの村に野菜栽培を始めるブームが来ていて、その流れに乗ったカタチになった。

俺が直接関わって立ち上げをサポートした村が10村あって、そのうち9村が軌道に乗って、1村が柵の崩壊により継続を断念した。始めた当初は週に2~3回ペースで通い、ある程度軌道に乗ったら1~2週間に1回のペースで定期訪問するという感じ。どんどん成長してとても上手にやってる村もあるし、いろいろ問題を抱えながらなんとか続けてるという村もある。


自分が見つけだした仕事だし、作りだした仕事のやり方。村によって、環境も違うし、規模も違うし、人間性もほんまに様々。

ひとつひとつ向き合って、いっぱい失敗しながら、試行錯誤を繰り返して10村に関わってきたので、自信を持ってこの仕事に取り組めるようになりつつある。

どの村でも初訪問からの1~3回が、しびれる。

村人がやる気に満ち溢れてる中、どんだけできんのか疑心暗鬼で俺を見ている感じもあるし、最初はほんま大事やから、片言のプラール語で必死にやりあう。その緊張感とか状況見ながら判断していく感じが、たまらなくおもしろいなあと最近は思えるようになってきた。

Jam Tun!  Jam Tun!

いろんな指導もやってきたが、俺の活動の大半は「村人を褒めること」な気がしてる。

村に行って畑を見ては「モッジ!モッジ!」と言ってまわる。(「モッジ!」はプラール語でGood!)

俺的には「野菜栽培の楽しさを伝えて、続けてくれること」が最大テーマだから、とにかく楽しくくだらないこと言って笑われながら盛り上げてるつもり。

村人にとってはいろいろ教えてくれつつ、自分の畑を見て褒めてくれる、日本人って存在かな。

そうやってやる気を保ちながら、積み重ねた結果、村に野菜栽培が定着しつつあると実感できるのは嬉しいこと。

Jam Tun!  Jam Tun!

確実な村人の成長や変化を見れるというのは喜びです。

将来的な現金収入向上のための収穫野菜の質や量の向上に向けた、病害虫防除とか、農薬や化学肥料の導入とか、販売先確保とかは上を見ればキリがないけど、2年の任期ではこんなもんでしょ。後は後任にお任せ。


また来週から1つの村が野菜栽培をスタートさせる。俺的には最後の大きな仕事かな。俺の集大成としてその村と向き合って、軌道に乗せて引き継ぎたいなと思っている。

先日のブログで書いたテレビ取材を受けたものが編集されテレビで放映されました。

セネガルにおける日本人ボランティアの活動を特集したドキュメンタリーで15分番組。

RTS(セネガル国営放送)によりセネガル全土に、しかも2日間連続でゴールデンタイム(20:00~)で流されたらしい。

私の活動村で撮影した画像も1分半くらい流れ、俺のプラール語でのインタビューまで放送されました。

Jam Tun!  Jam Tun!
そしてこの様子を、クサナールの町に住む多くの人々が見てくれていたようで、20人くらいの人に「テレビ見たよ!!」と言ってもらえて反響の大きさにびっくり。他に娯楽が少ないここでは、夜はみんなでテレビを囲むし、チャンネル数も少ないので見てくれた人が多かったんだと思う。

俺なんかよりも立派な活動をしている隊員はいっぱいいるのに、たまたまボランティア派遣30周年という節目のタイミングで、しかも取材を受ける対象に選んでいただけて、こういう機会を頂けたことはすごくラッキーでありがたいことでした。そしていい思い出になった。


そのテレビで放映されたデータをノートパソコンに入れて、取材対象となった活動村に持って行って村人に見せました。
Jam Tun!  Jam Tun!

電気がないからもちろんテレビもない村。おそらく動く画像を見ることが生まれて初めての人たち。

Jam Tun!  Jam Tun!
写真で伝わるか分からないけど、生まれて初めて映像を見て、しかもそこに自分たちが写っているという状況で、人はどんな顔するんだろうか。村人は大人も子供も本当に嬉しそうで、目を輝かせながら、食い入るように映像を見つめる村人の表情は本当に感動で、俺が来たことによってこういう機会を作ってあげれたことは本当に良かったなと思いました。

映像の力、テレビの力を実感させられた気もしました。

村の畑での活動を終え、そのままリーダーの家でアタイヤをご馳走になりながら、話をしていた。

すると、ふとおもむろに彼は、ノートの切れ端とペンを出してきて、「今、文字を勉強してるんだ」と言ってきた。

彼は31歳。この村には学校もなく、村人のだれも読み書きができない。


彼は「1から5まで数字をかけるんだ」と得意げに見せて来た。

「凄い凄い」と褒めつつも「10まで書いてみよう」と俺も6から10を教えてみた。
Jam Tun!  Jam Tun!
「読み書きができない」とはよく言うが、「あーほんまにできないんやな」ってのが率直な感想。

でも、とにかく真剣で、すぐに吸収する彼。おそらく読み書きを誰かに教えてもらうのは初めてだと思われる。
Jam Tun!  Jam Tun!

「20まで行こう」と教えてみるが、10以降2つの数字で1つの数字になることが理解できない彼。どうやって教えたら理解してくれるのかと悩む俺。プラール語で適当な説明が言えるはずもなく手間取ったが、なんとか理解してくれた様子。

Jam Tun!  Jam Tun!

10回近く1から20まで書いてようやく1から20まで完璧に書けた時の彼の嬉しそうな表情はとても印象的でした。

数字が書ける読めるって当り前のようで、当り前でないこと。それを31歳でも何度も書き直して真剣に学びとろうとする彼の姿勢はなんか感動がありました。

「来週は、名前を教えるぞ」って言ったら凄く嬉しそうでした。マンツーマンでのプチ識字教室みたいな感じかな。

直接の活動ではないけれど、彼との関わりの中で、彼の「学びたい」という意欲に答えてあげられたらなと思う。