エピソード1 故郷は沖縄
私が小学校5年生の時に、故郷・沖縄は、祖国復帰を果たしました。当時、5セント(=15円)で買えた菓子パンが、いきなり本土並みの45円に値上がりし、子どもながらに憤慨しました。しかし、島中の大人という大人の顔が、皆、愛する祖国に戻れた喜びで満ち溢れていたことを覚えています。
復帰前、お隣のコザ小学校の子どもたちは、米兵相手のバー街を通って学校へ通っていましたが、当時は、道の両側に、白人の女性ダンサーのヌード写真が張り巡らされていました。そのコザ小学校で教師をしていた母によれば、ベトナム帰りの米兵がばらまいたチップを、貧乏な子ほど早起きして拾い集めながら登校していたそうです。
迷彩服を着た米兵が町中を闊歩していただけに、私の髪は常に、心配した母によって、坊ちゃん刈り。半ズボンばかり穿かせられました。母にすれば、娘を思っての防衛策なのですが、散髪屋さんでバリカンを当てられるたびに、私は布団をかぶって泣き、次の日、学校に行くのがいやで仕方がありませんでした。思い出したくもない幼少期です。
故郷は未だに、「本土防衛のための捨て石」状態です。誰かの幸せ・安寧のために、他の誰かを犠牲にして良い訳がありません。沖縄の悲哀を目の当たりにして育った私は、強い者が弱いものを犠牲にする政治、多数が少数を牛耳る政治を、決して許しません。そして何よりも、戦争につながるどんな些細なことも、一切、これを許しません。
行政に、日本国憲法をしっかりと遵守させ、真に平和で、国民すべてが対等平等な社会を構築するために、これからも全力を尽くします。