とっても共感できるエッセイを読みました。
ちょっと長いけど、自分が覚えておくために書いておきます。(抜粋ですが)
いつか、自分のどーでもいいよーな^^旅日記を載せる気になるかもしれない。
でも、本質はこの文章に要約されている気がします。
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ヒマラヤの高峰にはなににも代えがたい魅力がある。つねに身体を痛めつづける高所の希薄な酸素、気象の厳しさ。そこには、生身の人間が大自然の猛威にさらされる露出感が溢れている。そしてけっして生きつづけることができないところに自ら踏み込んでいく感傷的な陶酔がある。死の香りは人生の瞬間瞬間を微分して、情景を鮮明な連続写真のように脳裏に焼き付けていく。
どこまでもリアルでときにグロテスクなその世界に不実が紛れ込んでいるとすれば、それは、K2が僕にとっては心の底から登りたい山ではなかったということだ。登ってみたい山ではあったが、それ以上に僕が欲していたのはK2の登頂者という肩書きだったのだ。
ヒマラヤにいったのは、けっして悪いことではなかった。
望みは叶えられ、僕は登頂者になった。山頂ではそれなりに感動もできた。
だがそれと同じか、それ以上の収穫は、ヒマラヤのふもとで暮らす人々と接したことだった。僕は山頂に立った自分の姿を誇る以上に、電気も水道もないヒマラヤの麓で暮らす人々の姿に憧れて帰ってきた。8000メートルの頂きに立った僕よりも、彼らのほうが、自然に近かった。そして、生命体として強かった。そこに僕が求めている登山がある気がした。
【高い山から深い山へ】 服部文祥
やったー 今回は写真に頼らず記事書きましたー^^
え?写真のがまし?
|Д´)ノ 》 ジャ、マタ








笑)

まあ、この富士山のおなか辺りをうろうろ探します。





















