人の心の中には善と悪がすんでいると思う。
今朝のメルシーの散歩の時にそんなことを考えながら歩いていた。
私の心の中だってそう。
善と悪がすんでいる。
今日も隣村の小さな神社にメルシーとお参りしながら
自身のなかに棲む善と悪に対峙する。
***善をなすには努力が必要である。
***しかし、悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要である。
***トルストイ
私は若いときからボランティアを率先して行ってきました。
自分のことを犠牲にしてまでも他人(ひと)の為に尽くしてきたと自負できます。
家人には自分のことを犠牲にしてまで人の為に尽くすのは
ちょっと違うのではないかと、何度か言われたことがあります。
でも、それは違います。
自分を犠牲にしているのではなく、それが私の行き方なのです。
そんな私の行き方を善というならそうかもしれません。
そんな私のなかにも悪が潜んでいます。
誰もが持っている本心と邪心
私たちが自身の心を、
素直に、
正直に、見るとき、
良い心と悪い心を発見できると思います。
性善説は良い心(善い心)が「本心」であり、
「悪い心」は「邪心」です。
本心は人のために何かしたいという思いで、
ボランティア精神や親が子を思う愛情などです。
一方、邪心は、
自己中心的な思いで、
犯罪を犯したいと思ってしまうような心をいいます。
犯罪を犯すことはしなくても、人に意地悪をしたり、
無視したり、仲間外れにしたり…
個人差はあるものの、
人間誰しもが、
この「本心」と「邪心」の2つの心を持っていると言うのです。
殆どの人はその邪心を強い精神力で抑制しているのです。
このかけがえのない愛しいワンちゃんや猫ちゃんたちには
本心も邪心もありません。
ただ、愛されることに喜びを感じているのです。
何だかそんなことを考えた一日でした。
明日もいい日でありますように
*時間がなくて、パソコンに向かってもブログを書くにだけで精一杯。
*コメントは全て嬉しく読ませていただいていますが、
*お返事ができなくてごめんなさい。