12/23は天長節(天皇誕生日) | 宇宙からのメッセージ

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「宇宙からのメッセージ」はライター・おくのゆかの直感+思考のエッセイです。自分らしく自己実現するためのヒントになりますように。

本日は、天皇誕生日といって、今上天皇の誕生日をお祝いする日。

また、慣例によって日本の「国家の日」ともされています。

昭和23年までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていました。

天皇誕生日の日付は、平成元年から12月23日となっています。

天長節は、唐は玄宗皇帝の誕生日を天長節と祝った事に由来。
「天長」とは、老子の第七章「天長地久」からきているそうです。

天は長く地は久し(天長地久)。
天地の能(よ)く長くかつ久しき所以のものは、その自ら生ぜざるを以てなり。


日本では、宝亀6年(775)の光仁天皇の時代に、10月13日に
天長節
の儀が執り行なわれたという記録があるようです。

明治6年に、天長節が天皇の誕生日をお祝いする国の祝日と
なりました。

本日、天皇陛下の84歳のお誕生日を祝う一般参賀が皇居で
行われました。

陛下はマイクを通じて、

「晴れ渡った空の下、誕生日に当たり、皆さんの祝意に深く感謝いたします」

「この一年もさまざまな出来事がありました。寒さに向かう今日
(こんにち)、台風や豪雨により被害を受けた地域の人々、また、
東日本大震災など過去の災害により、いまだ不自由な生活を送って
いる人々のことを深く案じています。今年もあとわずかとなりました。
来(きた)る年が国民皆にとり、少しでも穏やかな年となるよう
願っています」

とあいさつをされました。


伊勢神宮でも、午前7時から豊受大神宮にて、午前10時から
皇大神宮にて、天長祭が行われました。
天皇陛下の御誕生日をお祝いして、御長寿並びに国民の平安
お祈りしています。


天皇陛下のこの一年のご動静からは、誰よりも勢力的に公務を
こなされていることが明らかです。

また、お誕生日である本日の行事一覧も、午前9時から午後6時過ぎ
まで過密なスケジュールとなっています。

下記は、天皇誕生日にあたっての陛下のお言葉です。

※ 以下、宮内庁のホームページより引用。

天皇陛下お誕生日に際し(平成29年)

会見年月日:平成29年12月20日
会見場所:宮殿 石橋の間

今年2月末から3月初旬にかけて,皇后と共にベトナムを

訪問しました。我が国とベトナムとの関係は,近年急速に

進み,国家主席始め多くのベトナムの要人が我が国を訪れて

いますが,私たちがベトナムを訪問するのは,初めてのこと

でした。ベトナムでは,現在の国家主席御夫妻を始め,4人の

指導者に丁重に迎えられ,また,多くのベトナム国民から

温かい歓迎を受けました。

両国間の緊密な関係に深く思いを致しました。ハノイにおいて,

先の大戦の終了後もベトナムに残り,ベトナム人と共にフランス

からの独立戦争を戦った,かなりの数の日本兵が現地で生活を

営んだ家族の人たちに会う機会もありました。こうした日本兵

たちは,ベトナムの独立後,勧告により帰国を余儀なくされ,

残されたベトナム人の家族は,幾多の苦労を重ねました。

そうした中,これらベトナム人の家族と,帰国した元残留

日本兵たちが,その後日本で築いた幾組かの家族との間に,

理解ある交流が長く続いてきていることを聞き,深く感慨を

覚えました。

ハノイ訪問ののちに古都であるフエを訪問しましたが,ベトナム

独立運動の先駆者で,日本の支援を求めて我が国に滞在した

時期もあるファン・ボイ・チャウの記念館も訪れました。

ここでも日本とベトナムとの様々な交流の歴史に触れることと

なりました。今後とも両国の友好関係が一層進展していくこと

を願っています。ベトナム訪問ののちにタイを訪問し,昨年10月

に崩御になったプミポン国王との長い交流の日々を懐かしく

思い出しながら,最後のお別れをいたしました。今年も残念な

ことに,幾つもの自然災害が起こりました。特に7月には九州

北部がまれに見る豪雨に見舞われ,多くの人命が失われるなど,

大きな被害を受けました。10月に福岡県朝倉市と大分県日田市

をお見舞いに訪れましたが,朝倉市に向かう車中から見た災害

の大きさは,自然の力の恐ろしさを改めて感じさせるものでした。

被害に遭った人々が深い悲しみの中にありながら,皆で協力して

懸命に復興に取り組んでいることを,心強く思いました。

また,11月には鹿児島県屋久島を訪れ,その西方12キロに

浮かぶ口永良部島で,2年半余り前に起きた火山噴火によって

屋久島への全島避難を余儀なくされた人々をお見舞いしました。

噴火に先立ち避難訓練を行っていたこともあって,幸い速やか

に全島民が無事に屋久島に避難したと聞きました。屋久島の

人々の助けを得て避難生活を送り,今は多くの人が口永良部島

に戻り,復興に取り組みながら元の生活に戻りつつあることを,

うれしく思います。

我が国は豊かな自然に恵まれていますが,同時に自然災害

脅威に晒されており, こうした事態に備え,また,不幸に

して災害が起こった時,人々が助け合うことがどれほど重要

ということに,思いを深くしました。

この11月の屋久島訪問に続けて,沖永良部島と与論島を初めて

訪問しました。これは,平成24年2月に一度計画されながら,

私の心臓バイパス手術のために見送られたものです。島の美しい

自然に触れるとともに,島の人々が,それぞれの伝統を育み,

その自然をいかして生活を送っている姿を,頼もしく思いました。

今年,宗像・沖ノ島と関連遺産群がユネスコの世界遺産に登録

されたことは,喜ばしいことでした。10月に福岡県で行われた

「全国豊かな海づくり大会」に出席する機会に宗像大社を参拝し,

4世紀から9世紀にかけて沖ノ島に奉献された宝物ほうもつを見ました。

沖ノ島は,我が国と朝鮮半島との間に位置し,航海の安全と

交流の成就を祈る祭祀がそこで行われ,これらの宝物ほうもつは,その際

に奉献されたとのことでした。

また,それに先立つ9月に埼玉県日高市にある高麗神社を参拝

しました。今から約1300年前に,高句麗からの渡来人がこの地

に住み,建てられた神社です。多くの人に迎えられ,我が国と

東アジアとの長い交流の歴史に思いを致しました。

私たちの初孫である,秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの

婚約が9月に内定し,来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく,

二人の幸せを願っています。

この度,再来年4月末に期日が決定した私の譲位については,

これまで多くの人々が各々の立場で考え,努力してきてくれた

ことを,心から感謝しています。残された日々,象徴としての

務めを果たしながら,次の時代への継承に向けた準備を,関係

する人々と共に行っていきたいと思います。

今年も残すところ僅かとなりましたが,きたる年が国民皆に

とって良い年となるよう願っています。

 
宮内庁