4月からたくさんの人と出会い、なかなか出来ない体験を沢山させて貰いました。昔から仲が良い友人の両親と夜ご飯に行って高級ホテルに泊まらせてもらったり、その友人とタイに行ったり、新しくアイスホッケーを始めてみたり、たくさんの経験をさせて貰いました。今まで生きていた世界がいかに狭かったか、そしてどれだけ自分に可能性と時間があるのかを知る良い機会になりました。しっかりと将来のビジョンを持った友人にも出会えました。その分自分のレベルの低さ、未計画さが痛いほど分かりました。最近の僕はぼんやりと、幸せになりたいなーとだけ願い、特に何もしていませんでした。成績は取りたい、バイトもしたい、遊びたい、大学院に行きたい、留学行きたい、とやりたいことを一丁前に口だけで何も行動に移していませんでした。あっというまに大学1年の前期も終わり、このままでは何も成さずに大学生活を終えてしまいそうで怖いです。 7/16


ここから別日7/23に書いています。

今日から本格的に試験が始まりました。先程一つ目のテストを終え、今は図書室のソファに座って休憩をしています。なぜか最近浪人期が僕にどんな影響を与えたのかな?今のままだ良いのだろうか?と考えることが多くなりました。3月に忘れようと蓋をした去年一年間の思い出や日記やこのブログを読めるようになったからかもしれません。先日、去年記録していたスタプラも久しぶりに覗いて見ると、当時の生活や感情が思い出されて思わず涙ぐみました。間違いなく意味のある1年だった、そう自分の中では納得できてはいます。しかし、


やっぱり京大に受かりたかった。


その気持ちは全く無くなりそうにないです。これがいわゆる学歴コンプレックスなのかも知れません。全てを捨てて必死になって一年間頑張っても受かることが出来なかった事実をどうしても美化することが出来ず、過程が大事だなんて口が裂けても言えそうにないです。もし僕の友人が去年の僕だったならば、頑張ったことに意味があるし頑張りを見てて尊敬してたよ、と励ますと思いますし実際結果と同じくらい過程やその他の成長も大事だと思います。ですが自分のこととなると話は別で、辛い過去や悔しさに目をつむりそれを忘れて今を楽しく生きていくのは更なる敗北なのではないか?と思ってしまいます。もちろん今の生活は最高に楽しく、かけがえのない出会いや経験もありました、だから、慶應に来たくなかったというより京大に行きたかったという学歴コンプレックス、一年間闘って勝てなかった自分に対してコンプレックスがあるのかも知れません。

一年間、もっと言えば数年間懸けて得たかったものが得られなかった悔しさを、たかが数ヶ月で忘れてしまう人間にはなりたく無いのかもしれません。

その悔しさを忘れないように、、と思っている癖に大した行動に移せていないのも良くないです。


浪人期は意味があった、と言い切れるとは言いましたが、ここ数日自分のことを考えているうちに本当に去年の一年間意味あったのか?こうしてれば良かったんじゃないか?努力足りてたか?とどんどんネガティブになっていました。ですがブログや皆様からのコメントを読み返すとそんな思いは無くなりました。今の不出来を過去にこじつけするのは僕が一番嫌いなことです。頑張った上で足りなかった。その考えは無くさないようにしたいです。

僕なりに去年の一年間が僕に与えた影響は、謙虚に物腰低く前向きな気持ちで向上心を持って何事にも取り組めるようになったことだと思います。


最後にまとめとして、


悔しさを忘れるのではなく、悔しさとともに前に進んでいく人生にしたいです。失敗も含めて僕の人生なんだ、そう10年後に笑って言える日々を送っていきます。