おこしやすだ、おいでやすだ。

おこしやすだ、おいでやすだ。

愛猫のニャン吉、家庭園芸、クワガタ飼育や採集、城跡や寺社巡り、道の駅巡り、ドライブや低山登山など行き先々先での景色、様子、その他日常生活での出来事を綴ります。


おこしやすだ。Mr.やすだ で、検索すればいつでも繋がりますよ~。

ようこそ、おこしやすだへ。





舞妓さんの『おこしやす』=いらっしゃいませ と、名字のやすだ のコラボです。


ふざけてはいませんよ。真剣に考え抜いたタイトルです。





ここでは、オイラの日々の

生活の様子や趣味のクワガタ、家庭園芸、Nゲージ、愛猫ニャン吉、愛犬もみじ&チョコ、城跡や寺社巡り、ドライブ先での道の駅巡りや景色etc・・・を日記で綴ります。





気が向いたら、気になったら、気にしたら、おこしやす。





ほのぼの、ぼんやりとながめて、のぞいて見て下さいね。








日付は変わりました。


今日は(22日の感覚です)朝からすごく良い天気でした。

昨日と同じく、暑い日でしたが、午後から少しずつ曇が増え始め、明日は雨の予報です。


オイラの住む豊田市の小学校などではあちらこちらで運動会をやっていました。

近所の小学校の運動会の放送や応援の声が山びこのように伝わってきていました。


そんな中で、午後から畑いじりしていたら、ウグイスがホント側までやって来て、時期的にずい分なれた鳴き声で、ホ~ホケキョ!と鳴いてました。


静かな田舎で、なんと、のどかな日だった事か・・・。



先日、出かけ先のついでに、素通りばかりしていた、歴史的に少し有名な?安城市にある大乗寺(だいじょうじ)に出かけました。


岡崎市の歴史モノは今までかなり訪れましたが、今回は、隣町の安城市です。

岡崎市からも隣町で、近い所です。


おこしやすだ。 大乗寺参道。


ここは、常に織田家、今川家、松平家の争いの場所でもあり、徳川家康が幼少の頃に織田家に拉致されたきっかけの場所でもあります。

それと、三河一向一揆の一揆側の拠点でもあります。


安祥城址(あんしょうじょうし)です。


おこしやすだ。 大乗寺石碑。


ホント今まで、なぜこんな近くで、有名な場所を訪れなかったか、不思議でした。


おこしやすだ。 説明看板。


いつものように説明看板を記載しておきますね。

モバイルの方は拡大出来ないかも・・・です。

ごめんなさい。


PCの方は拡大でご覧下さいね。




おこしやすだ。 山門。


このお寺自体が城だったようですね。


小さな出城のような・・・。


ここは、松平家が岡崎に進出して来る前の拠点で、松平清康(家康の祖父)が構えていたようです。


松平家(広忠 、家康の父)が岡崎に進出してからは、出城的存在だったようですね。


ここの周辺では戦での戦死者がたくさんいるようです。


おこしやすだ。 本堂。


境内はそれほど広くはなかったですね。


おこしやすだ。 ここにも三つ葉葵の紋が。


まさかの三つ葉葵の家紋が、やっぱりありました。


境内には、戦死者などを弔う地蔵などが並んでいました。


おこしやすだ。 たくさん並んでました。


境内には大きな楠木がそびえ立っていました。


山門くぐってすぐにありました。


おこしやすだ。 山門横に楠木が。


山門近くには説明看板(案内)がいくつかありました。


それぞれを記載しておきます。


おこしやすだ。 古地図にて。


現在は、当たり前ですが、当時と様子が変わっています。


古地図などを参考に現在の様子と比べながら眺めて見学して来ました。


おこしやすだ。 現在配置図を元に。


現在の様子を元に散策してきましたが、歴史ロマンに触れる散歩道でした。(それほど広くはなかった)


おこしやすだ。 散歩道脇に。


散歩道脇には、戦や一揆で、武将が戦死した場所などに石碑などが点在していました。


上の画像は、一揆の時に討たれたお坊さんの慰霊碑です。


おこしやすだ。 慰霊碑説明。


この敷地内でオイラが見つけたのは、この石碑くらいです。(笑)


この散歩道を歩くと、自然と隣接する八幡神社に出ます。


その神社は、松平家が造って、崇拝していた神社だそうです。


おこしやすだ。 八幡神社。


八幡神社って、ホントどこにでも存在していますよね。


その意味はわかりませんが・・・。


おこしやすだ。 境内。


その神社の横には田園風景が広がっていました。


さすが、日本のデンマークの異名を持つ安城市です。


この時は麦畑が広がっていました。


おこしやすだ。 麦、麦、ムギ~。


その神社からくるりと画像はありませんが、土塁沿いに(昔ながらの物かはわからない) 歩くと、歴史センター、歴史博物館などがあります。


おこしやすだ。 歴史センター。


歴史センターは昔からこの一帯で発掘された土器のかけらや、木管などが展示されていました。(入場無料)


おこしやすだ。 歴史博物館。


この両建物は立派なものでした。


この辺りの歴史を触れるにはいいと思います。


ただし、博物館は有料ですので・・・。


縄文、弥生時代からの歴史的価値のあるものが、いろいろと展示されていました。


それと、この安祥城址の敷地内にある庭(数ヶ所ありますが)はとても綺麗でした。


全体をくるりと周って見ると、その城の全貌が何となく見えて来たような気がします。


たまに見える古い石垣などを見つけた時には、妙な感動がありました。



こんばんは。ニコニコ


今日は夜中から冷たい雨が降り続き、これで一気に秋めいて来そうな気配がしますね。雨


ブログ作成するのが精一杯で、コメント返しや、訪問ペタなどサッパリになってしまっているオイラですが、ご理解の程よろしくです。注意



さて、前日の記事に続き、今回、次回も歴史記事になります。ニコニコ


夏は過ぎ、クワガタ記事が乏しくなり始めていますが、後日発信予定はしていますけどね、それ以外の記事もどしどし画像の残っている分、更新していきますよ~。アメーバ



前回の記事(東条城址散策)レポート後に、西尾市街地に向けてそのまま車を走らせました。車


西尾の街は、これまででもそれほどオイラには縁が薄い地域でしたが、目指す西尾城址へは迷う事無くたどり着く事が出来ました。チョキ


おこしやすだ。 迷う事無く到着出来た。

お城があった所は、大体どこでもそうなんですが、公園として整備されていますよね、ここ西尾市でもそうでした。グッド!


この西尾市では西尾歴史公園と呼ばれていました。音譜


おこしやすだ。 城址が見える。


ここにたどり着く間、町の造りがやはり小京都のようなイメージで、古民家風な建物などがいろいろと目立ち、いつかじっくり歩いて見たい所のひとつでした。ニコニコ


おこしやすだ。 説明看板。


駐車場はそれほど広くはなかったですが、平日と言う事もあり、楽に停める事が出来ました。車


そして、いよいよこの日2回目(前記事の東条城の数十分後)の散策となりました。クラッカー


駐車場を出れば、すぐに何か門が見えました。目


おこしやすだ。 鍮石門(ちゅうじゃくもん)。


初め読みにくい漢字でしたから、頭の悪いオイラはその漢字が読めませんでしたが、その後 『ちゅうじゃくもん』 と読む事を知りました。にひひ


おこしやすだ。 なかなか立派でした。


門だけではなくて、外観上も立派な造りで、しばしその姿に見とれてしまいました。目


おこしやすだ。 見とれてしまった。

この日の天気に良く映えるこの建物は、元々ここが二の丸であり、この門の別名を玄関前門とか呼んでいたらしく、それ相当の貫禄がありました。合格


おこしやすだ。 説明看板。


この門を通り抜けて、オイラは今では枯れ葉になりかけている桜の通りを歩いて行きました、その途中に公衆トイレがあり、その横にはここにあった城門跡の石碑が建っていました。ニコニコ


おこしやすだ。 石碑があった。


その石碑の隣には資料館があり、それを通り抜けて行くと、お堀を目にしながら、いよいよ城址の石碑を目にする事が出来ました。クラッカー


おこしやすだ。 城址の石碑。


やはり、ここでも、お城と神社のセットのセオリー?は存在していましたね。にひひ


おこしやすだ。 静寂なお堀。


本丸へ上る古い石段の横には八幡宮、そして、奥には西尾神社と2つの神社を目にする事が出来ました。チョキ


それと、その石段の横には本丸表門址があり、そこで、日暮れに近い西日を浴びながら、説明看板に目を通しました。目


おこしやすだ。 石段横にあった。


まだこの時期の西日はかなりキツイものがあり、サッと説明文に目を通して、すぐに日陰に隠れました。あせる


おこしやすだ。 説明看板。


説明看板は拡大してご覧下さいね、モバイルの方は文字が見えにくいかも知れませんが・・・。サーチ


おこしやすだ。 奥には西尾神社。


でも、なぜ神社が2つあるのだろうか?それが疑問でしたが、いつの間にかそんな事は忘れてしまっていましたね、この記事を作成している今、また気になり始めました。にひひ


おこしやすだ。 八幡宮。


ここでは、八幡宮と称していますが、正式にはみつるぎ八幡宮と言いますが、難しい漢字(みつるぎ)がどうしてもパソコンで表示出来ませんので、略させて頂いています。!!


おこしやすだ。 説明看板。


お城敷地内にある神社の大体の意味合は・・・

1、城主を祀っている。

2、城主がその神を信仰していた。

3、戦勝祈願などのために元々あった。


と、オイラはこれまでどこの城址でも、そんな遠くも無く近くもない意味合(解釈)での神社の存在を見て来ていましたが、この八幡宮ではこの近辺の地域の人達の心の慰め的な存在らしいですね、う~ん、では、西尾神社では?となりますが、西尾神社は昭和に入ってからの神社で、殉国の祭神だそうです、要するに、世界平和を祈る的な意味合かと・・・でもなぜ西尾城址に出来たのか?また疑問です。はてなマーク


とりあえず、本丸址にはこのような神社が2つ存在していました。ニコニコ


そしていよいよ元々本丸のあった場所には今は櫓が建っています、そこを目指して石段を上る事にしました。走る人


おこしやすだ。 櫓を目指せ!


駐車場から見えていえた櫓がこの丑虎櫓と言うものになります、文字の通りに 『うしとらやぐら』 と、読むらしいです。汗


このみつるぎ八幡宮のおかげで、本丸の土台(基礎)までは壊される事が無かったようで、それでその土台を元にこのような櫓を復元出来たそうです。得意げ


おこしやすだ。 説明看板。


ちょっと狭いかな?と思える石段を上り詰めれば、同じ幅くらいの小径を歩いていよいよこの櫓の中へ入る事が出来ます。チョキ


おこしやすだ。 ちょっと狭いかな?


散策と言ってもそれほど大した道を歩く訳ではありませんが、それなりに汗は流れていました。汗


おこしやすだ。 丑寅櫓入り口。


元々はどんな天守閣がここに存在したのか判りませんが、復元されたこの櫓くらいのものだったのか?それとももっと背の高い建物だったのか、興味深々でしたね、ともかく、明治に入って取り壊される前の資料(写真とか)が無い事がちょっと残念に思いました。かお


おこしやすだ。 櫓内部。


この城の歴史は古く、1221年足利義氏が築城した西条城としてが始まりのようです・・・ん?前回の記事が東条城だから、なんとなくですが東西の何か意味が隠れているようですね、ちなみに、またの別名を鶴城とも言います。はてなマーク


戦国時代に入れば、城主も酒井正親、田中吉政、本多康俊、その後松平氏、井伊氏、太田氏、土井氏・・・とにかくいろいろと城主、藩主が入れ替わりになり、最後は大給松平氏が数代続き明治になるようですね。合格


おこしやすだ。 櫓内から資料館を望む。


この城での何かの戦いは判らないですが、オイラが知る範囲では、おそらくそれほど大きな戦いは無かったのかも知れませんね。ニコニコ


おこしやすだ。 櫓から駐車場を望む。


オイラは櫓から出て、また元の駐車場へ戻る足取りの途中、資料館へ立ち寄りました。学校


おこしやすだ。 歴史資料館。


この日の残暑にはひと時の涼しい部屋での時間となりました。砂時計


ここでは、西尾城に絡んだ城主の書や鎧兜、西尾出身の画家の作品などが展示されていました。目


一通り目を通して、その後は、素直に車に乗り込まず、旧近衛邸に向かいました。家


と言うのも、枯山水が目に付いて、綺麗に整備された庭が自然とオイラを引き付けたと言っても過言ではないでしょう。にひひ


この建物、西尾市の文化協会とやらが解体費用や輸送費用などは実費で京都からここに運んで移築したそうです。合格


抹茶が\400だったかな?で味わえるようですが、オイラはちょっと苦手なので・・・。ショック!


おこしやすだ。 旧近衛邸からの眺め。


季節は完全に秋になっているようで、そろそろ木々の葉の色が黄色くなったり、早いものでは紅葉していました。もみじ


おこしやすだ。 見事な枯山水。


ぶらっと歩いて、それなりに贅沢な気分で過ごしていました。ニコニコ


おこしやすだ。 ここが入り口。


入り口からすぐに綺麗に剪定された椿が転々と並んでいます、その場は椿苑と言うらしく、椿の季節には見事な花を見る事が出来そうでした。キラキラ


オイラはこの立派な庭の周りをぐるりと周って、それぞれの様子などを眺めていました、ちなみに、今のオイラの自宅庭とは相当な差がある事を思い知らされましたね。にひひ


おこしやすだ。 旧近衛邸。


この日オイラは東条城址、西尾城址と2つを見学し、少し疲れましたが、久しぶりの城攻めはすごく楽しかったですね。音譜


陽が翳る頃、また2時間弱かけてオイラは帰宅路を戻って行きましたが、どちらとも険しい山城とかではないのでお近くの方は出向いてみたらどうでしょうか?何か発見できるかも知れませんよ。ニコニコチョキ


ペタしてね 読者登録してね アメンバー募集中 ペタしてね



こんばんは。

やっと、と言うか、ようやく、と言うか、冬将軍が南下して来ましたね…体調管理をしっかりして過ごしましょう。

さて、今回は、武田信玄が上洛を目指して行軍…ところが、三河の思わぬところで苦戦し、しかも夜に綺麗な笛の音色(笛の名手である村松芳休)に油断して鉄砲で狙撃されて、それがきっかけで寿命を更に縮めた城…あるいは、信玄生涯最後の戦いの場所となった野田城跡に行って来ました。

到着。


車は城跡沿いの道路、路肩のちょっと広い場所に止めての登城となりました。

登城前に説明看板に目を通しました。

説明看板。

二の丸跡から本丸に向かいました…途中、土橋、堀切などを見る事が出来ました。


土橋、堀切を確認。

その土橋を渡り本丸に出ました。

城跡を示す石碑と本丸の様子。

本丸の隅の場所に、この場所から城兵(鳥居三左衛門)が信玄を狙撃したとされる説明看板が建っていました。

すぐに歴史ロマンを感じてしまいましたね。

狙撃したとされる場所。

この小さな城を囲んでいた武田軍…だけど、小さい割には堅固だったらしいですね…そこで、井戸を枯らすために、甲州から金堀人足を呼んで横穴を掘らせて、水の手を切り、結果落城したそうです。

その井戸も現存していました。(水は無かったです)


枯れた井戸が現存…。

城跡の周囲には土塁が残っていたりしていました。

土塁を確認…。


二の丸と本丸を繋ぐ土橋を渡った横には野田城稲荷があり、お参りして来ました。

野田城稲荷で参拝。

その稲荷から土橋の様子が良く分かります。

土橋の様子が良く判ります。

さて、水の手を切られた井戸の位置の裏側(東側?)にある道を下へ歩いて行きました…すると、本丸側に小石混じりの石垣っぽい造りのものが見受けられました。


井戸の裏側の道。


その道を進めば鳥居をくぐり抜けて外に出ました…出てすぐの民家の壁には、野田城跡の説明看板が貼られていました。

そのまま外をぶらりと散策しました。

鳥居をくぐり抜けて外に出ました。


野田城跡がある山を眺めながら周辺の町の様子や広がる田畑、そしてJR飯田線などの風景を楽しんだりしました。

周辺の風景を楽しみながら散策。


今、問題になっているのは、木々の伐採や、本丸の北側斜面に建設会社が、残土を廃棄して埋め立てているって事なんです…。

せっかくの歴史的財産を破壊するのはいかがなものか…?と、考えさせられます。

木々を伐採、埋め立てなど問題もある…。


近くには法性寺と言うお寺があるんですけど、ここに当時の野田城の門が移築されているみたいなんですが、オイラのミスでそのまま車に戻り移動しちゃったんです。(笑)

そのために、移築された門の画像はありません…。


移築されている門がある法性寺。

こうして、信玄が狙撃されて
上洛の夢が絶たれ、いろんな見どころのある野田城跡でした。

こんばんは。

ちょっとだけですが、陽が短くなった気がします。

さて、山形城址(公園)に行って来ました。(別名:霞城公園)

二の丸東大手門の横を通っているのは、山形新幹線でした。

二の丸東大手門と山形新幹線。

入城する前に、説明看板や案内看板に目を通しました。

説明、案内看板。

入城前に来場記念としての自撮りをしました。

記念自撮り。
説明看板。

二の丸東大手門を通り抜けると、パーっと視界が広がります。

そして、最初に目に飛び込んできたのが、山形城の主である最上義光公の騎馬像です。


最上義光公の騎馬像。

二の丸東大手門付近では、大勢の人が、スマホ片手に夢中になっていましたが、今だに、ひょっとしてポケモンGO!をやっているのか…?皆、暑さから逃れるために木陰にいましたけどね。(笑)

二の丸東大手門と最上義光公騎馬像。

たまたま訪れた日が良かったのか、二の丸東大手門の中で、山形城に関する資料展示が催されていました。

もちろん無料でした。

二の丸東大手門内での資料展示。


二の丸東大手門から、今度は本丸跡に向かって散策しました。

本丸を取り囲む堀沿いには、いろんな説明看板が並んでいました。

県立博物館の横を通り、本丸跡に渡るために、大手橋を渡り、一文字門を通り抜けると…これからの発掘調査のためのバリケードなどが施されていました。

堀沿いを歩きました。

土塁とかすごく迫力がありました。

堀沿いにあった説明看板。

この日は暑くて、看板などは、ササっと撮影して、後から読み返せばいいかな?と、思い、今回、この記事アップする前にやっと読み返すような状態でした。(笑)

一文字門と大手橋。

それにしても、どデカイ敷地だな〜と、思いました。

これに建物が建ったりすると、相当大きな城だったに違いないだろうな?と感じました。

説明看板。

大手橋を渡る途中、堀を眺めたりしました。

一応、空堀ですが、水を張ったりしたらどんなんだろう?とか思ったりしました。

大手橋、橋の上から堀を眺める。

中に入ってみると、予想に反して、あっさりした、単なる広場、もちろんバリケードで囲まれていましたけど。

中にあった説明看板。

井戸の跡なんでしょうかね?そう思えるものが、無造作に放置されていましたが…?

井戸の跡…?


中から、土塁を見れば、かなり規模がデカいな〜と、度肝を抜かれた感じでした。

本丸内から見た土塁。

県体育館、武道館の方に出て、みると、石垣崩れがあり、それについての説明看板もありました。

石垣の崩落跡。
説明看板。

と〜にかく、スケール的にデカイ、広いって感じでした。

あっちこっちが、発掘調査のためのバリケードが目立ちました。

武道館側から眺める大手橋。
発掘調査はあちこちにありました。

数年後には、調査を基に復元された建物などを見る事が出来るのでしょうかね〜?

ところで、ちょっと奇妙なものがありました…。

それは首洗い石鉢と呼ばれるもので、晒し首するための台みたいなもので、実際に最上義光が、谷地城主白鳥十郎長久を斬殺して、その首を乗せたとされるものがありました。

なんか、エグいような…。

首洗い石鉢と呼ばれるもの。

北門、西門、南門と、行っていませんが、ひとまずポイントは押さえたつもりですが…。

二の丸東大手門に繋がる土塁にある散策道を歩いてみました。

二の丸東大手門に繋がる土塁の散策道を歩きました。

下の画像で説明すると、外側から見ると、石垣の向こう側の土塁の木立がある辺りが散策道になっていました。

しっかり見納めして来ました。

最後に撮り忘れていた案内看板に気がついたので、それを押さえました。

撮り忘れていた案内看板。(笑)


気にはしなかった事ですが、中が広くて、かなり歩く時間が多かったですね。(笑)

山形城址、しっかり疲労して、たっぷり汗をかきました。
こんばんは。

本日4本目となります…。

前回の米子城跡から、途中、ガソリンを給油、コンビニでおにぎり、サンドイッチを購入して食べながら、R9号線バイパスを運転して着いたのが、鳥取城跡です。

駐車場まで約2時間弱でしたかね…。

インター降りてから山頂に石垣が見えて来ました…まさか、あれじゃないよな?と、思いつつも、ナビがその山の方向へ誘導しているんですよ、だんだん気が重く感じ始めました。

あの山頂まで行くのか…?

駐車場からまずは周辺を散策始めました。

とにかく、拾いこぼしの無いように、入念に歩きました。

ちなみに、後から知った事ですが、大きく分けて鳥取城は、戦国時代の山上ノ丸(さんじょうのまる)と、江戸時代からの山下ノ丸(さんげのまる)とがあります。

城主の吉川経家公の像。

この鳥取城は、秀吉からの兵糧攻めで、城兵たちは飢えに飢えて、餓死した死体を食べたりしたそうです…。

そんな悲しい実話が残る城だったんです。


これは内堀だそうです。

城跡観光ガイドさんの話では、鳥取西高校の校舎、体育館、他全てが二の丸の敷地全てらしいです…。

確かに、校舎が石垣の上に乗っていました。

そして、いよいよ、城内へ突入です。

突入します。

入ってすぐに石垣が迫って来ます。

石垣が圧倒します。

しばらく歩けば、何やら墓がありました…。

観光ガイドさんの話では、この墓の子孫にまた男子が誕生しているのでまだ100年くらいはこのお墓のお参りが続くよ…なんて言っていました。

簡単に言えば、昔から城内の一部に家の墓が残っていた…と言う墓の話です。

古墓がありました。

その古墓を通り過ぎて一段上に進んで行くと、二の丸になりました。

二の丸にある見どころ、二の丸からの眺め。

一般的に本丸跡は無く本丸跡にあたる天球丸と呼ばれる場所があります。

なぜか?それは、当時の城主、池田光政公の姉を住まわせるために造った屋敷跡で、城主の住まい(寝所)よりも高い位置であった事だと言う事らしいです。

天球と言う名はその姉が出家した名前(天球院)からになるそうです〜と、観光ガイドさんからの話になります。

そして、登城路から眺めた天球丸の石垣、巻石垣を眺めました。

あと、注目して頂きたいのは、雪深い地域であり、雨の多い地域であった鳥取城の特色の一つとして、排水技術です、その様子が、排水溝が張り巡らせられていましたし、山が岩盤のために、ため池を作って雨水を貯水したりしていたそうです。(一応、排水溝の画像とかあります)

あと、この鳥取城の特徴の一つとして、通路がどこも広いんですよね、それはなぜか?それはですね、天球院、他の姫君の乗った籠が、横になって城に上がれるように道が広く造られたみたいです…と、観光ガイドさんが仰られていました。



外側から見た天球丸の石垣、巻石垣、排水溝の様子。

巻石垣、これも、雪解け水や雨水が、山から染み出す水から石垣が崩壊するのを防ぐために造られた補強みたいなものです。

石垣も湾曲していたりしています。(上から見た画像で確認して下さい)

雪の力、雨から石垣の崩壊を防ぐためにすでに築城当時から力学の応用が採用されていた事が凄い城なんです。(観光ガイドさんから教えて頂きました)

その、天球丸とか、山上ノ丸へは、二の丸にあった赤い鳥居から進んで行きます。

いきなり、こんなクマ注意の看板を見せつけられると、変な緊張感に包まれますね…。😅

ここから天球丸、山上ノ丸へ行きます。

一応、山上ノ丸へ向かう誰もが、この神社で無事をお祈りしていました…もちろん、オイラもお祈りしましたよ。

山上ノ丸へ行く前にまだ天球丸とかのレポートが済んでいませんので、山下ノ丸のレポートを続けますね!

神社からちょっと進むと山上ノ丸への道と分かれますが、真っ直ぐ天球丸へと進みます。

天球丸から見た巻石垣、湾曲した石垣の様子とかが良く判りましたよ。

天球丸の様子、巻石垣、湾曲した石垣、説明看板など。

天球丸横にある貯水池を確認しました…岩盤の山のために、井戸が掘れないので、こうした水を確保するものが必要になるそうです。

天球丸の端っこにある礎石群で観光ガイドさんが言うには、おそらく、ここには塔らしき建物があったんじゃないか?との話でした。

観光ガイドさんから、排水溝横にあるクマが傷付けた木を教えて頂きました…話によれば、排水溝を越えて出て来る事は無いとの事でした、言うなれば、排水溝がバリア的な存在なんでしょうかね?😁

山の中でそんな爪痕を見かけたら用心してね…との事でした。

しっかりした爪痕を見て、更にこれから山上ノ丸へ向かうオイラはビビりました。😁

その天球丸の礎石群と、山上ノ丸への分岐でここまでお世話になった観光ガイドさんの撮影の許しを頂き、その姿を撮影させて頂きました…名前の公表は勘弁して下さいとの事でした、あしからず。

観光ガイドさん、ご丁寧な説明、解説をありがとうございました、良い旅の1ページになりました。

天球丸の礎石群、観光ガイドさんの姿、クマが傷つけた木。


観光ガイドさんとは、山上ノ丸へ向かう道で見送りを受けて、いよいよ、山上ノ丸を1人で目指します…。


ここからは1人ぼっちです。

身体が動くたびにチリン、チリンと、リュックにぶら下げたクマ除けの鈴が鳴ります…それが、なんだか、心細さを演出していました。

山上ノ丸を目指して最初の見どころは八幡宮跡でした。

雪や水の圧力に負けない巻石垣が応用されて石垣が積まれています。


八幡宮跡。

それを過ぎれば本格的な山道になります…。

本格的な山道になります。

五合目まで登れば神社がありました。

そこで、喉を潤し、ひと休みしました。

五合目にある神社でひと休み。

ちょうど半分の位置ですが、かなり息が上がっていました。

道は場所によっては、崖沿いの危険箇所にはロープが張られていたりしました。

そして、クマ注意の看板がつきまとう山道です。😁

八合目には、山伏の井戸の跡がありましたが、再び、ひと休みで喉を潤しました…やはり、昔の人も同じ場所で喉を潤したんでしょうかね?

九合目までの様子、八合目にあった山伏の井戸跡。

そして、いよいよ空が見えて、石垣が見えました…。

クマとの遭遇はありませんでしたが、アオダイショウ、ヤマカガシの幼蛇との遭遇だけで良かったです…しかも勝手に逃げて行ってくれたので…。😁

遂に来たぞ!!

山上ノ丸跡の二の丸下にある説明看板に目を通しました。

二の丸下にある説明看板にて。

階段を上がれば左右に道が分かれて、右側には二の丸が見えましたが、ひとまず、左側の本丸跡を目指します。

階段を上がれば左側は二の丸跡。


そして、いよいよと言うか、遂に…と、言うか、下の一般道から見上げていたあの場所に到達しました。

江戸時代に入ってから掘られた車井戸と呼ばれる井戸があり、戦国時代、秀吉軍が陣を構えた本陣山が見えたりしました。


本丸跡の様子、車井戸、本陣山の説明看板。

天守台がありましたので昇ってみました。

落雷で消失するまでは、3階建ての茶色の屋根の天守閣がそびえていたそうです。


天守台の様子。

そこからの眺めは最高でした。

長い山道を汗だくになりながら登って来た人だけに与えられるご褒美でした。

風がとても気持ち良かったです。

ちなみに、肌色と言うか、黄土色した場所が鳥取砂丘になります。


眺めはサイコー!!

天守台のやや中央には、凹みがあり、それが何なのか判りませんが、そこには、コスモスが咲いてひと足早い秋を感じました。

ひと足早い秋を感じました。

天守台の周りの石垣は一部崩壊していました。

雪や雨で自然崩壊したんでしょうか…?

天守台の石垣がピンチ!

天守台そばから下を見ると、出丸跡が見えました…本来なら二の丸下の看板の場所から行けるのですが、今回は、崩落したりして、立ち入り禁止になっていました。


出丸の様子。

帰り間際に、二の丸、三の丸をちょっと覗き見して来ました。😁



1番上が三の丸、1番下が二の丸。

こうして、約40分くらい滞在した山上ノ丸でした。

戻る時の山道は、石に着いた苔や、滑りやすい石に気を使いながら降りて行きました。

こうして、鳥取城の山上ノ丸、山下ノ丸を攻め落としました。

駐車場に戻ったら陽暮れになっていました。

今回は、超ロングバージョンな記事になりました…最後まで目を通して頂き感謝です。

旅はつづく…。

夜明け前の更新となりました。星空


今日は昨日の雨もあがり、天気は回復のようです。晴れ



数日前に城ヶ根山にある、城ヶ根展望台と呼ばれる場所へ登って来ました。富士山


この山頂には昔いつの時代か誰が城主だったのか不明ですが、城址だったとか・・・。!?


オイラが知るところでは、御作城址(みつくりじょうあと)と呼ぶ人もいます。得意げ


それと、その山の麓にある天徳治を訪ねて来ました。クラッカー


おこしやすだ。 城ヶ根山。


場所は旧藤岡町にあります。OK


オイラの自宅から原付バイクで1時間かけて行きました。自転車


この城ヶ根山へは、旧藤岡町で有名な藤の回廊(藤の花がたくさん咲く場所)からの入り口と、天徳寺からの入り口がありますが、オイラは藤の回廊からの入山となりました。音譜


おこしやすだ。 ここからスタート。


画像の階段は傾斜がいきなりキツイ階段になっていますが、その前に、横にある説明看板にじっくり目を通しました。目


そして、急な階段を眺めて、いざ出発です。アップ


おこしやすだ。 説明看板。


あ、そう言えば、先日スマホから自分のブログを見てみました。アメーバ


説明看板を拡大して見たのですが、文字が読み取れないようですね。しょぼん


う~ん、ごめんなさい、オイラはいつもパソコン画面で満足していました。NG


スマホ、携帯で拡大しても画像の文字は読み取れないかも知れませんので、お許し下さいね。しょぼん


おこしやすだ。 この階段を・・・。


後ろを振り返らず、一気に上がりました。ロケット


そして、上りきって初めて下を見ると、うわ~っと声が出るほど、驚きの高さでビックリでした。叫び


おこしやすだ。 下を見れば・・・。


わずかな時間で意外と高い所まで上がっていたようでした。時計


まずはその場で、水筒のお茶を飲み、行く先の道を見ると、これまでのいろんな山道と変わりの無い道で、この先の予想の立たない道先を警戒してしまいました。注意


おこしやすだ。 いよいよここから。


始めはなだらかな階段でしたが、山道はそう甘くはないんですよね。えっ


おこしやすだ。 こんな道だけど。


やはり、予想通りに途中から傾斜がキツくなりましたね。汗


1つの山の山頂近くまで上りましたが、木々の隙間からの景色は見えない道でした。ビックリマーク


やがて、緩やかな坂道となり、目指す山の山頂を示す看板が見えて来ました。目


おこしやすだ。 指示通りに向かう。


しばらく緩やかな坂道を気分良く下って行きました。音譜


おこしやすだ。 緩やかな坂を下る。


下って行く途中で、目的地らしき建物が、木々の間からチラッと見えましたので、つい撮影してしまいました。カメラ


おこしやすだ。 展望台か?


その建物は近くに感じて見えましたが、実際はまだまだ長い道の途中でした。あせる


おこしやすだ。 湿地を渡り。


坂道はいつの間にか終わり、下りきった所は湿地になっていました。とかげカエル叫び


そして、再び上り坂に変わっていきました。右上矢印


その途中、休憩小屋があって、そこで再び、水筒のお茶を口にして、タバコを吸って一休みする事にしました。タバコ


おこしやすだ。 休憩小屋で一服。


2つ目の山を登り始めているのは自分でも判りました。合格


休憩を終えて、慌てずに、自分のペースで、一歩一歩階段を上がって行きました。あし


おこしやすだ。 先はまだ長い。


ちょうど、階段が急な傾斜になって息があがり始めた頃、何かが前に立ちふさがるように立っていました。はてなマーク


おこしやすだ。 なんだ?


何か判らない存在に、少し恐怖に似た怖さを感じました。叫び


正体が判るまでは油断出来ない緊迫感がこみ上げていました。!?


そして、その建物らしきモノにたどり着いた時に、場違いなモノに愕然としてしまいました。ガックリ


なぜ、こんな所に遊具があるの?そんな思いでした。汗


おこしやすだ。 場違いな遊具。


ナニコレ珍百景応募級の遊具でした。合格


こんな所で、誰が遊ぶの?わざわざここまで来て子供が遊ぶの?まさか大人がこれで?妙におかしくなりましたね。にひひ


その遊具の先には光が差し込む階段の終わりが見えていました。キラキラフラッグ


おこしやすだ。 おお!終わりか?


最近の城址巡りのおかげで、山登りにも慣れて来たような感じのオイラです。得意げ


確かにどこもキツイ道ではありますが、足の痛みとかが出なくなりましたね。合格


その階段の最後を踏み終えた時には、目の前に紅葉と、先ほど道の途中で見かけた建物が建っていました。もみじ


おこしやすだ。 山頂に着いた。


この場所には山頂を示す石碑が建っていました。えっ


おこしやすだ。 山頂を示す石碑。


その石碑の横には、お地蔵さんが祠の中にありました。あせる


おこしやすだ。 お地蔵さんがあった。


その祠の横壁には説明看板があったので、それを読んで、お地蔵さんに手を合わせて、無事を感謝しました。祝日


おこしやすだ。 説明看板。


この場所からも景色は見えない訳では無かったのですが、せっかく展望台があるのだから、そこからの景色を楽しみたくなりました。虹


おこしやすだ。 この最上階へ。


この展望台からの眺めは、やはり上った者しか判らない感動と喜びがありました。音譜


おこしやすだ。 猿投山。


豊田市最高峰?の猿投山が近く大きく見えました。富士山


すぐ下の町の様子は小さくジオラマの一部のようでした。叫び


おこしやすだ。 町は小さく見えた。


いつでも思う事ですが、こんな高い所からの景色は、何か自分の中で、何かを大きくさせてくれますね、それが何なのか判りませんけど・・・。ベル


1時間くらいその場で過ごしたと思います。時計


とりあえず、山頂であり、城址でもある場所です。(御作城址)手裏剣


気になるのが、もう1つの上り口でした。ビックリマーク


それが知りたくて、天徳寺へ行って見たくなりました。ラブラブ


その後、来た道を戻って、元の場所までなんとか戻り着き、その時点で十分の満足感はありました。満


おこしやすだ。 元の場所へ戻った。


この城ヶ根山の尾根の反対側を目指しバイクを走らせました。自転車


時間にして10分掛かったでしょうか?天徳寺に着きました。砂時計



おこしやすだ。 天徳寺に着いた。


寺への入り口にはここでは有名な四季桜が咲いていました。桜


狂い咲きではなくて、この時期に咲き誇り、この地域ではこの桜のお祭りも今、四季桜公園でタイムリーで行われています。ハロウィン


もちろん春にも咲く、そんな品種の桜です。ブーケ2


おこしやすだ。 四季桜。


この日訪れた時には満開間近でした。満


今日辺りは、この桜を見に出かける人が多い事だと思います。男の子女の子


一昨日のラジオの交通情報でもこの桜見物の人の車で渋滞しているとの事でした。車


おこしやすだ。 一足先に見れた。


いよいよ今回のもう1つの目標である、天徳寺訪問となりました。クラッカー


おこしやすだ。 山門。


山門を抜ければ、すぐ側にも四季桜がありました。桜


ちょっと変わった屋根の本堂が見えました。えっ


おこしやすだ。 本堂。


さて、どこかに城ヶ根山への上り口があるはず・・・。はてなマーク


周囲を見回せば、本堂の横に小さな看板がありました。目


おこしやすだ。 看板があった。


その看板の指示される先へ進めば、また指示する看板があり、その奥に説明看板が立っていました。OK


おこしやすだ。 ここが上り口。


さすがに、もう登る気力はなかったので、もしもここから登る人は参考にして下さい。メモ


おこしやすだ。 説明看板。


ここからは観音様が並んでいるような事を記載してありました。かお


並んでいたもう1つの看板は、先ほどの藤の回廊からの上り口と同じ看板でしたので、ここではアップしませんので、あしからず。OK


おこしやすだ。 上り口始めの様子。


それらを全て見て、オイラはもう一度城ヶ根山の姿を見たくなりましたので、山の姿が良く見える所を探して撮影して来ました。カメラ


おこしやすだ。 城ヶ根山全貌。


展望台が小さく見えましたので、望遠レンズを使い撮影を試みました。ひらめき電球


おこしやすだ。 展望台が撮れた。


午前中から夕方前くらいまで、オイラはこの辺りで、しっかり時間を過ごしました。おにぎり


だけど、どんな人がここの城主だったのか、どんな出来事があったのかは不明でミステリーな城址です。ナゾの人


今回もいい汗をかく事が出来ました。汗


長文最後まで読んで頂き、感謝します。ニコニコ



アメンバー募集中 アメンバー募集中 アメンバー募集中


読者登録してね 読者登録してね 読者登録してね


フォローしてね フォローしてね フォローしてね


こんばんは。ニコニコ


しばらく腕と言うか、首筋と言うかの痛みが相変わらず痛くて、それと仕事を開始したせいもあってお休みしていました。注意


先週から、夜中の雷が騒がしく寝不足になったり、何かとそれなりの動きがあったオイラです。OK


ブログネタはそれなりの準備をしていたので、また徐々に更新していくつもりです。チョキ


昨日、この腕の痛みについて、知り合いからアロマ塗ってもらったり、マッサージしてもらったり、おまけに電気でビリビリするヤツとかしてくれて、それで最後に湿布張ってもらったりして頂きました、嬉しかったですね~、おかげで、今日は痛みも和らぎ気分も上々で、ブログ更新する気になりました。アップ


いよいよ、オイラの自宅周辺では夜の気温が20度を切るようになって来ました、これまでタオルケットで寝ていたのが、毛布に切り替えました、扇風機はほとんど使わず、網戸だけで十分に眠れていますが、やはり明け方は毛布でも寒いくらいですね。あせる




さて、長い前置きはおしまいにして、先日、旧吉良町(現在は西尾市)へ行って来ました。車


これまでも、赤穂浪士の敵方の吉良上野介のゆかりの町を記事にした事がありましたが、今回はそれ以外で行けなかった城址を訪ねてみました。音譜


今回訪れたのは東条城址です。クラッカー


おこしやすだ。 東条城址。


この城址の近くには、いろんな史跡があって、年代はともかくいろんな歴史上の人物の絡んだ史跡がある所です。ニコニコ


そのうち徐々にこの辺りのまだ訪れていない場所へ足を運ぶつもりでいます。走る人


この城址は、吉良上野介の先祖が居城にしていた城です、今川から独立した徳川家康が後にここを攻めて奪い取り、三河を平定した最後の城ですが、家康の父が幼い時にはこの城を頼って来たのに、その後時代は過ぎて、家康がこの城を取るなんて、戦国の世のはかなさと言うか、厳しさですね。叫び


おこしやすだ。 うっかり通り過ぎた・・・。



東条城址が見えた小高い山を目指して、車を走らせていたら、うっかり駐車場の看板を見逃して通り過ぎてしまいました。NG


Uターンしてすぐに駐車場へたどり着き、いよいよ散策の開始でしたが、この日は残暑が厳しくて、すぐに汗が流れ始めましたね。汗


おこしやすだ。 いよいよ散策開始。


車で来た道を戻るように道路沿いを歩きました。走る人


おこしやすだ。 この道を戻る。


駐車場から歩き始めて約5分くらいかな?すると、道路の脇道のは入り口に道しるべが建っています。目


おこしやすだ。 ここから入る。


この石柱の横には当時、高札が立てられたと言う看板がありました。ニコニコ


おこしやすだ。 ここに高札が出されたらしい。


この脇道を歩き始めれば、のどかな田んぼや畑が見えて来ます。目


おこしやすだ。 ここを歩く。


更に山へ登るように登城口の看板が立っていました。キラキラ


おこしやすだ。 いよいよ登城開始。


山の斜面の坂道はそれほどきつく無かったですね、これまでいろんな山城を登って来たけど、それらと比べれば、全然平気でした、ただ、オイラの苦手なヘビの存在が気になるくらいでした。えっ


おこしやすだ。 何か出て来そうだった。


登城口から歩き出して、それほど時間は掛からずに、トイレのある広場へたどり着きました。トイレ


おこしやすだ。 広場に到着。


この広場の隅から隅までを軽く様子見のつもりで、説明看板などを見て分かった事ですが、ここは三の丸跡だったようです。目


オイラの後方には遠巻きで見ていたあの櫓がありました。!!


おこしやすだ。 こんな近くにあった。


景色や、看板を見ながら、オイラの自宅周辺では聞かなくなったツクツクボウシの声に耳を澄まして過ごしました。音譜


おこしやすだ。 説明看板1。


説明看板などは拡大にしてご覧頂く事をお薦めします。サーチ


おこしやすだ。 説明看板2。


登城して来て、この場所でいきなり説明看板が所々に立っていて、それを次々読んで理解するには、頭の悪いオイラにとってはちょっと苦しかったですね。はてなマーク


おこしやすだ。 説明看板3。


上の画像にある説明看板は分割しましたので、良ければじっくり読んで下さいね。音譜


おこしやすだ。 分割その1。


ちなみに、この看板に出てくる小牧砦とは、この城のすぐ近くにある砦の事で、小牧長久手の戦いなどの小牧とかの地名とは無関係です。チョキ


おこしやすだ。 分割その2。


自分の中で空想を描きながら読む歴史は、実におもしろみが出てきますよね?ニコニコ


おこしやすだ。 分割その3。


三の丸跡は、実は古城公園と言う名前になって整備されていたんですね。合格


おこしやすだ。 三の丸跡は今や公園。


この公園(三の丸跡)入り口の横には、神社がありました。目


おこしやすだ。 八幡社。


だいたいですが、どこでも神社と古墳、神社とお寺、神社と城址ってセットになっているんですよね、って事でここでもそんなセットになっていました。得意げ


とりあえず、中に入り様子を確認したりしました。目


おこしやすだ。 境内。


特に何か特別なものがある訳でもなくて、普通に建っているお社でしたね。ニコニコ


一応説明看板がありましたので、それを押さえておきました。カメラ


おこしやすだ。 説明看板。


説明看板にありますように、土塁のなごりを探してみました。目


すると、この社の裏側に木々がうっそうとしてそれらしきものが伺えました。チョキ


おこしやすだ。 土塁跡。


さて、オイラは神社ばかりに気を取られること無く、山頂の櫓を目指しまして歩きました。走る人


おこしやすだ。 遂に近くまで来た。


来る時に車からチラッと見えていたこの櫓、とうとう間近で見る距離になりました。クラッカー


いったい、どんな所なのか気になって仕方がありませんでした。ドキドキ


おこしやすだ。 遂に登城!


入り口にある説明看板に目を通して、いざ入場!クラッカー


おこしやすだ。 説明看板。


中に入れば、一瞬その殺風景な広場に驚きました。叫び


おこしやすだ。 広場しかない。


残暑の中で動いただけに、汗がしたたり始めていましたが、それを打ち消すような気持ちの良い風が吹きぬけていました。汗


せっかくなので、この広場のグリ沿いを歩いてみました。チョキ


おこしやすだ。 広場から見る櫓。


山頂といってもそれほど高くはないのですが、周りに田畑が広がっているので、風通しの良さがあるようですね。グッド!


おこしやすだ。 説明看板。


遠くから見ていた櫓を目の前に、何かしら感無量に近いような気分になっていました。ニコニコ


おこしやすだ。 歴史ロマンを感じる。


オイラなりに、この広場(本丸跡)を歩きながら当時の歴史ロマンに触れ、そして感じながらここからの景色を楽しんでいました。音譜


おこしやすだ。 説明看板。


説明看板によれば、この櫓は定かな位置が判らないとの事ですが、ですから、歴史ロマンを感じるんですよ、歴史は時代と共に薄れて確実な伝えを残すもの、そうでないものとありますが、だからそれが面白さでもあるんですよね。にひひ


おこしやすだ。 櫓から見た景色。


この櫓、実際は立ち入り禁止(昇り)になっていますが、その建物の横からでも十分に景色を堪能できますよ。目


おこしやすだ。 城址を示す石碑。


どこの城址にも、戦いの話が付きまといます、それに伴って、城址にはいつも物悲しい話や死者の事も頭に入れなければいけません、今回もそんなこの城址での戦いの話や、悲しい話など説明看板などから伺える事が出来ました。しょぼん


おこしやすだ。 石碑から本丸跡を望む。


この日はオイラの自宅周辺では聞く事が無くなった、元気なツクツクボウシの声をたくさん聞く事が出来ました、やはりそんな事でも気温差を感じる事が出来ましたね、まだ夏に近いような残暑でした。にひひ


おこしやすだ。 説明看板。


空を見上げ、この地を見つめ、そしていろんな事を想像して1人だけ、今はこの時だけの城主となっているオイラ・・・歴史は何かを物語っているような気がしました。にひひ


おこしやすだ。 本丸跡。


今ではだだっ広い広場ではありますが、その昔、ここは相当立派なお城だった事がオイラでも判ります・・・と言うのは、これだけの広さにいろんな建物を想像すれば、それなりに強固な城構えになることが一目瞭然ですから、そりゃあ、敵方(家康)からすれば、なんとしても手にしたい城だったでしょう。ニコニコ


おこしやすだ。 この辺りにも櫓があった。


今では本丸跡には芝が敷き詰められ、ちょうど遠足か何かで、この場で弁当を広げるにも良い感じの場所だと思いました。おにぎり


おこしやすだ。 説明看板。


いろんな説明看板を目にする度に、この城址の規模が薄っすらですが、判り、自分の物差しでは計りきれないその雄大さを感じるのと同時に、今ではのどかな風景と自然な音や鳴き声などを存分に味わう事が出来ました。キラキラ


おこしやすだ。 ここにも何かを示す看板が。


山は山でも孤立した、言うなれば、モッコリとした山で、周りに街道があって、田畑しかない、城を構えるには絶好のポイントだったのかも知れませんね、説明看板から察すれば、入り口は2つだけの城だったかな?と思います。はてなマーク


おこしやすだ。 説明看板。



オイラは本丸跡から出て、車に戻る足取りで歩き始めました、途中、虎口跡の外側を眺める事が出来たので、その様子を見れば、少々険しさを感じる斜面でした、やはりそれなりの防御を備えている城だと言う事も判りましたね。ニコニコ


おこしやすだ。 虎の口跡の外側。


オイラは車に戻り、次なる場所へ走らせていたらポツンと建っている石碑を見つけました。目


おこしやすだ。 石碑を見つけた。


この東条城を囲んで戦いになった、言うなれば、この城が落ちて三河が平定された戦いの石碑でした。!?


おこしやすだ。 石碑から東条城址を望む。


城の周りではたくさんの戦死者が出たらしいようです。ドクロ


今の様子からはとてもそんな事は想像出来ませんけどね。えっ


おこしやすだ。 田畑が広がる。


ここでの戦いで有名になった人の最期の場所へ、ちょっとだけ寄り道して行く事にしてみました。チョキ


おこしやすだ。 再び歴史ロマン。


オイラは知ったかぶりで、能書きはたれたくないので、その都度出てくる説明看板などで、ご覧頂いている方々の想像で、歴史ロマンを感じて頂けるとありがたいですね。合格


田畑のう~ん、ほぼ中央くらいですかね、そこにひっそりと祠のようなものがありました。目


おこしやすだ。 田畑のほぼ中央に。


車を農道の路肩に停めて、そこからその祠へ向かい歩きました。走る人


おこしやすだ。 これがそうなのか?


戸を開く事が出来無いので、ガラス越しにカメラを向けて中を撮影しました。カメラ


おこしやすだ。 お地蔵様があった。


それにしてもこの場所は当時の村人?から手厚く保護されてきたんでしょうね?それと、ここで討ち死にした人への慰めもあったんでしょう。汗


この祠の横には更に地蔵が数体と説明看板が建っていました。目


おこしやすだ。 これがポイント。


この城址を訪ねてから、この城でのいろんな事が判りかけてきましたし、最後この場で少し悲しさがこみ上げて来て、なんだか目を閏わせるものがありました、今の時代でも厳しい事がたくさんありますが、当時の人たちの事を考えれば、まだ今の時代の人間で良かったと思い直しましたね。しょぼん


おこしやすだ。 説明看板。


この場を離れる時に、もう一度小高い山の上にある櫓の城址を見つめ、この地蔵様に手を静かに合わせるオイラでした。かお


そして、オイラは次なる目的の場所へ車をかっ飛ばして行きました。ニコニコチョキ



ペタしてね 読者登録してね アメンバー募集中 ペタしてね


こんばんは。ニコニコ

週初めの月曜日、寒い外で星を眺めてみました。星空

冬の星は綺麗ですが、なぜ寂しく光るんでしょう?オイラだけでしょうかそう思うのは・・・。しょぼん

さて、今回は、これまたドライブ中の通りで見つけた看板からの話です。クラッカー

実は、その看板の存在は知ってはいたのですが、いつも通り過ぎるだけの道で、見るたびに、また今度、そして、また今度・・・が、いつものオイラでした。あせる

だけど、いよいよ本気でその場所に行ってみようという気になりまして、遂に訪れました。クラッカー

看板の指示で入り込んだら岡崎市立下山小学校の校門前の駐車場で行き止まりとなりました。!?

そこから見ると、山に櫓が立っていました。目

{8427DD5F-1BCE-4CF7-9FB3-F71BA1FA21E2:01}櫓が見えた。

目測だけではそれほど歩いて遠くは無さそうで、楽勝!気分でした、それと久しぶりの山城訪問、ワクワクしながらその櫓に向かい歩き始めました。走る人

{A0022997-9557-45D2-856D-B1A4A3EABE0B:01}体育館とプールの横を行く。

歩き始めて、山道に入る前に説明書きされた碑が建っていました、それにじっくり目を通し、どんな城址だったのかを前知識として頭に叩き込みました。OK

{CE1893FB-1B1B-440B-94CF-6613B10BAE24:01}説明の石碑。

その石碑の場所から小学校の校庭が見えて、山沿いには仕切りのつもりの柵が立っていました、それだけでも昔の城の雰囲気が出ていますよね。グッド!

{C2BC8093-2983-41FF-987B-214C488AFAA2:01}柵が城址の範囲。

そして、オイラはいよいよ山の中へ侵入、どこの山城でもヒ―ヒ―言いながら上っていますが、今回は勾配もきつくなく、最初の目測通り、楽勝でした。チョキ

{A3932C42-62A1-4072-91FA-FA2179479DE3:01}山中侵入開始。

道も歩きやすくて、本丸跡までは比較的楽でした。!!


だけど、夏場はやっぱり行くのをためらうかも知れませんけどね。にひひ


{9CC165A0-9D3A-49BF-A770-76B556E73C1D:01}歩きやすかった。

下の説明石碑から歩いて10分も掛らずして本丸跡に到着しました。クラッカー


下から眺めた櫓は老朽していて上る事は出来ませんでしたが、その場から眺める景色はそれなりに楽しめましたよ。ニコニコ


{172B81FE-B631-4BEA-9C55-5DF0084331FC:01}本丸跡。

これが2014年最後の城址巡りとはなりましたけど、楽な山道で、それなりの景色が楽しめて良い締めくくりとなりましたね。合格

{561106B1-EDDF-4EB1-9619-7AFF137B4777:01}本丸跡からの眺め。

この城址以外にも、近くに指示看板があるのも知っていましたので、城址から降りた後、それらも全て訪れて見る事にしました。音譜

{8CE7A45F-2789-4876-BCCA-FF15428166C5:01}指示看板がある。

場所は、岡崎市と豊田市(下山町)との境目になります、近隣の方なら下山と言えば豊田市だろ?となりますが、下山と言ってもここは岡崎市の額田地区の下山です。得意げ

{54F79DF8-A02A-4BEF-AE7E-B5CF11AE698E:01}看板付近。

まずは、石川氏陣屋跡地へ歩きました。走る人

この保久城に所属していた人の屋敷と言うか、勤め先ですかね?そこを目指しましたが、これまた上の画像の場所から見える範囲です。にひひ

{E5B90EA6-87B3-4443-8CFD-350666604F47:01}歩いて数分。

説明書きでも記してありますが、石垣だけがこの時代まで残っているそうです。グッド!

今では保育園になっています。女の子男の子

{08BBBCF4-0FBA-4152-A8B6-B26A775EB417:01}説明の石碑。

時代を超えて石垣だけでも残っているのは嬉しいものですね。OK

その石垣の石1つ1つに当時の人たちの様子を想像していました。ナゾの人

{9992E8BE-3412-4362-AA57-A90C3502C529:01}石垣は当時のまま。

サ―ッとオイラは、例の如く、歴史ロマンに引き込まれていました。手裏剣

明治になるまでこのお城のそばの景色、人々の往来、ここにいた石川と言う人・・・いろんな想像が出来あがりました。OK

{4FC66BB8-38E8-43F3-AF36-C80327816E89:01}跡地は保育園。

もう1つの指示看板に記載された山下家の墓に向かって歩きましたが、これはちょっと距離がありました。ヒミツ

でも、舗装された道でしたから、安全で、歩きやすかったです。ニコニコ

山下家とは、このお城の代々の殿様ですね。!!

{615C128F-CE6D-4A80-86E7-D91A6F8F5C4C:01}山下家墓所。

この墓所から谷間を挟んで保久城址が見える場所です。キラキラ

殿様だった人々ですから、それなり風格のあるお墓でしたね。王冠2

一人ずつ手を合わせる事は出来なかったので、皆さんに対してのお参りのつもりで手を合わせました。合格

{D79FF702-94AF-4E10-BA06-4368FD904B7C:01}説明の石碑。

ちょうど、山の中腹辺りですかね?陽当たりの良い場所でした。晴れ


説明の石碑などは画像を拡大にしてご覧下さいね。サーチ


{C858ADD0-DF7F-40ED-96DE-B58423DB9DBF:01}最後の殿様?の墓。

この辺りは小さな豪族の集まった地域で、それをまとめ、それぞれが今川家、松平家、武田家におびえながら、従いながら服従して来たようです、最終的には松平家(徳川家)で落ち着くのですが・・・。本

これらを散策して心地の良い汗を久しぶりにかきました。汗

これまで後回しにして来た場所を、制覇出来て良かったです。ニコニコチョキ



ペタしてねアメンバー募集中読者登録してねペタしてね

今日も暑い日です。


オイラの自宅周辺では、ツクツクボウシが鳴き、アキアカネが群れをなして飛んでいました。


秋の気配が迫って来ているはずなのに、まだまだ暑い日が続きます。


先日、用事がてらに、オイラが住む豊田市内にある挙母(ころも)城周辺を散策して来ました。


久しぶりの歴史探訪ネタになります。(笑)


今や、豊田市ですが、以前は、車の会社TOYOTAがこの地に誕生するまでは、挙母藩、挙母市と言う地名だったんですよ。


おこしやすだ。 挙母城。


挙母城は、別名を七州城(しちしゅうじょう)と言われていたそうです。


おこしやすだ。 七州城。


鎌倉時代(1309)に、この場所より1k先くらいに地頭の中條景長により、金谷城築城、織田家に滅ぼされて、その後、時は過ぎ、武蔵国より、1604に三宅康貞がその近くに桜城(佐久良)を築城、しかし、度重なる矢作川の氾濫により、現在の小高い地に、当時の藩主、内藤学文(さとふみ)が、新たな挙母城として(1782)築城。


挙母城は、金谷、桜、七州城の3つの事を言うらしいです。


では、なぜ七州城なのか・・・。


それは、三河、尾張、美濃、信濃、遠江、伊勢、近江の国が見渡せる土地だったとの事です。


今では、ビルなどがあり、何にも見えません・・・・。



おこしやすだ。 復元やぐら。


内藤学文から代々、明治維新後(明治4年)に取り壊されるまで、内藤家が居城としてきた城です。


1978(昭和53)に復元されたとの事です。


おこしやすだ。 城址の碑。


市内中心部くらいにあり、隣接する美術館辺りまでは城址だったらしいです。


説明看板をつけましたので、パソコンの方は拡大にてご覧下さい。

モバイルの方はごめんなさい、見えにくいと思います。


おこしやすだ。 説明看板。


街の中心部にしては静かな、自然あふれる場所です。


木陰が涼しくて、時折一休みするには良い所です。


やぐらの横には又日亭(ゆうじつてい)と言う建物がありました。


おこしやすだ。 又日亭。


元々は、近くにあった、寺部城主、渡辺家の書院を再現したとの事です。


大給松平家から養子入りした、乗友の第2子です。


茶道、学問の第1級の文化人で、弟が裏千家に養子入りした玄々斎だと言うことです。


詳しくは、説明看板にてご覧下さい。


おこしやすだ。 説明看板。


意外と広い敷地を歩くのは、この夏は厳しいのですが、やはり、木陰での一休みがとても気持ち良いです。


おこしやすだ。 案内図。


時折吹く風が気持ち良くて、陽射しをさえぎる木々が自然のクーラーです。


おこしやすだ。 散策道。


秋になれば、紅葉なども身近に楽しめそうです。


又日亭の横には豊安院殿のお手植えのツガがありました。


おこしやすだ。 お手植えのツガ。


豊安院?誰?


オイラも、疑問でした。


内藤家9代藩主政優(まさひろ)との事です。


彼は井伊直弼の実兄との事です。


家系図が混乱してくるオイラの頭の中です。(笑)


おこしやすだ。 隣接する美術館。


昔は、この広い土地にあった挙母城。


おこしやすだ。 美術館全景。


この美術館が建つ前は、豊田東高校がありました。


数年前に移転してしまいましたが・・・。


おこしやすだ。 散策路。


自然が多く残るこの場所には、クワガタやカブト虫の好きな木々がたくさんありました。


しかも、採集した跡や、トラップが仕掛けてありました。


オイラも夜に来て見ようかな~。(笑)


でも、ちょっと気がかりな注意書きが所々にありました。


おこしやすだ。 ひゃ~、怖い!


いくら街の中心地に近いとは言え、これはないでしょう・・・。(笑)


そんな注意書きを横目にビビリながら、散策を続けました。


そこには、句碑が建っていました。


おこしやすだ。 句碑があった。


何々・・・。


声かぎり翼かぎりや揚雀雲・・・。


ひばりって、雲雀なはずだと思うのですが、字が逆です。


おこしやすだ。 説明看板。


挙母藩士松村親光の婿養子で、松村晩翠(俳人)の句です。


市内で印鑑屋を開業したとの事です。


なぜ印鑑屋?


と疑問が増えました。(笑)


そんな、豊田市内にある、歴史探訪の散策をしました。

こんにちは。ニコニコ

今朝はすごく寒い朝でした。雪の結晶


ようやく陽が登りましたが、風が強くて相変わらず寒い日になっています。あせる


オイラはついに、温風ヒーターで部屋を暖めています。OK



梟ヶ城(ふくろうがじょう)・・・こんなタイトルの映画がありましたが、それとは全然関係ありません。映画


いろんな資料を眺めて気になっていたので、どんな所なのか行きたくなりました。音譜


豊田市にある王滝渓谷の側にあるらしいので、早速愛車の原付バイクで走りました。自転車


最近の情報かは未確認ですが。熊出没情報が出たりしている場所ですから、要注意の場所ですよ。単独ではなく、数人で熊鈴持参、ラジオ鳴らしながらの登城を勧めます。


おこしやすだ。 王滝渓谷。


オイラは何度か出向いた事がある(ブログではまだ紹介していませんが)王滝渓谷を通り過ぎて、しばらくすれば、看板が出てきました。目


おこしやすだ。 看板があった。


看板からちょっとした坂道を上れば、そこでバイクも進入出来ない道に変わり、そこから階段を歩いて上ります。走る人


おこしやすだ。 バイクを置いて。


緩やかな階段ですが、思ったよりも数が多いので、ちょっとキツかったですね。汗


おこしやすだ。 緩やかだけれど。


階段を上って行くと大きな石がゴロゴロしていました。えっ


おこしやすだ。 大きな石が。


カエデとか桜とかの木が階段の両脇に植えられていて、紅葉には少し早かったですが、秋の紅葉、春の桜と楽しめる場所でした。合格


階段の周りは山の木々しか見えませんので、早く階段を上りきって山頂の景色が見たくなりました。注意


そんな気持ちの中、ようやく建物が見えて来ました。目


おこしやすだ。 建物が見えた。


ここが、城址(本丸)のあった場所らしいです。得意げ


おこしやすだ。 説明看板。


ふむふむ・・・詳しい事が判らない城址なのか・・・それは淋しい気もしますが、昔から言い伝えで存在している城址なんでしょう。しょぼん


おこしやすだ。 説明看板。


とりあえず、オイラはこの展望台であるやぐらへ上りました。ニコニコ


景色はそれほど悪くは無かったですが、四方山々しか見えません、その隙間から街が少し見えるだけでした。しょぼん


おこしやすだ。 本丸跡を見る。


ふくろう・・・と呼ばれるだけに山々に囲まれた城だったんでしょうね。はてなマーク


おこしやすだ。 猿投山が見えた。


この日は出かけるのが遅く、しかも日暮れを気にしての撮影になりました。カメラ


おこしやすだ。 街が見えた。


本丸跡に降りて、しばし周囲を散策して例の如く歴史ロマンに浸りきっていました。手裏剣


おこしやすだ。 やぐらを見る。


たまにはこんな詳細の判らない城址もあるんですね。ナゾの人


城の詳細はオイラなりに推測すれば、戦国の時代だとは思われるのですが・・・。にひひ


なぜならば、この梟ヶ城のすぐ側にはもう1つ大田(だいた)城と言う城址があるんですが、それは松平家の城で、同じく大給城(おぎゅうじょう:松平家の城で、かつてブログで紹介済み)が近くにあって、桶狭間(織田信長の名を全国に轟かせた事件)の頃に慌てて改築したと言う記録があるらしいです。得意げ


それの前頃にはすでにこの梟ヶ城は存在したと、オイラは推測していますし、何かの理由で、この城を廃城にして隣にある大田城へ移ったのか?とか・・・元々、大田城の物見やぐら的な出城であって、時代は桶狭間よりもずっと後の長篠の戦いの頃(武田VS徳川、織田連合)の前にこの地域は武田信玄に殆ど攻め落とされていますから、それによって廃城したのか?それとも、人には語られない何か不可解なミステリーがあったのか?などと歴史ロマンが膨らみます。にひひ


そんな事を推測しながら上って来た階段を下り始めていました。走る人


おこしやすだ。 階段を下る。


今では梟の鳴き声なんて、伝説に近い鳴き声ですが、確かに、いてもおかしくは無い時代と、山深い場所です。OK


いろんな事を考えながら降りて行けば、いつの間にか元のバイクが停めてある場所まで戻っていました。リサイクル


おこしやすだ。 落ち葉がいっぱい。


オイラはこの後、先ほどから話が出ているこの城址の隣にある大田城跡を目指して移動する事にしました。ニコニコチョキ





アメンバー募集中 読者登録してね フォローしてね