こんばんは。
しばらく腕と言うか、首筋と言うかの痛みが相変わらず痛くて、それと仕事を開始したせいもあってお休みしていました。
先週から、夜中の雷が騒がしく寝不足になったり、何かとそれなりの動きがあったオイラです。
ブログネタはそれなりの準備をしていたので、また徐々に更新していくつもりです。
昨日、この腕の痛みについて、知り合いからアロマ塗ってもらったり、マッサージしてもらったり、おまけに電気でビリビリするヤツとかしてくれて、それで最後に湿布張ってもらったりして頂きました、嬉しかったですね~、おかげで、今日は痛みも和らぎ気分も上々で、ブログ更新する気になりました。
いよいよ、オイラの自宅周辺では夜の気温が20度を切るようになって来ました、これまでタオルケットで寝ていたのが、毛布に切り替えました、扇風機はほとんど使わず、網戸だけで十分に眠れていますが、やはり明け方は毛布でも寒いくらいですね。
さて、長い前置きはおしまいにして、先日、旧吉良町(現在は西尾市)へ行って来ました。
これまでも、赤穂浪士の敵方の吉良上野介のゆかりの町を記事にした事がありましたが、今回はそれ以外で行けなかった城址を訪ねてみました。
今回訪れたのは東条城址です。
東条城址。
この城址の近くには、いろんな史跡があって、年代はともかくいろんな歴史上の人物の絡んだ史跡がある所です。
そのうち徐々にこの辺りのまだ訪れていない場所へ足を運ぶつもりでいます。
この城址は、吉良上野介の先祖が居城にしていた城です、今川から独立した徳川家康が後にここを攻めて奪い取り、三河を平定した最後の城ですが、家康の父が幼い時にはこの城を頼って来たのに、その後時代は過ぎて、家康がこの城を取るなんて、戦国の世のはかなさと言うか、厳しさですね。
うっかり通り過ぎた・・・。
東条城址が見えた小高い山を目指して、車を走らせていたら、うっかり駐車場の看板を見逃して通り過ぎてしまいました。
Uターンしてすぐに駐車場へたどり着き、いよいよ散策の開始でしたが、この日は残暑が厳しくて、すぐに汗が流れ始めましたね。
いよいよ散策開始。
車で来た道を戻るように道路沿いを歩きました。
この道を戻る。
駐車場から歩き始めて約5分くらいかな?すると、道路の脇道のは入り口に道しるべが建っています。
ここから入る。
この石柱の横には当時、高札が立てられたと言う看板がありました。
ここに高札が出されたらしい。
この脇道を歩き始めれば、のどかな田んぼや畑が見えて来ます。
ここを歩く。
更に山へ登るように登城口の看板が立っていました。
いよいよ登城開始。
山の斜面の坂道はそれほどきつく無かったですね、これまでいろんな山城を登って来たけど、それらと比べれば、全然平気でした、ただ、オイラの苦手なヘビの存在が気になるくらいでした。
何か出て来そうだった。
登城口から歩き出して、それほど時間は掛からずに、トイレのある広場へたどり着きました。
広場に到着。
この広場の隅から隅までを軽く様子見のつもりで、説明看板などを見て分かった事ですが、ここは三の丸跡だったようです。
オイラの後方には遠巻きで見ていたあの櫓がありました。
こんな近くにあった。
景色や、看板を見ながら、オイラの自宅周辺では聞かなくなったツクツクボウシの声に耳を澄まして過ごしました。
説明看板1。
説明看板などは拡大にしてご覧頂く事をお薦めします。
説明看板2。
登城して来て、この場所でいきなり説明看板が所々に立っていて、それを次々読んで理解するには、頭の悪いオイラにとってはちょっと苦しかったですね。
説明看板3。
上の画像にある説明看板は分割しましたので、良ければじっくり読んで下さいね。
分割その1。
ちなみに、この看板に出てくる小牧砦とは、この城のすぐ近くにある砦の事で、小牧長久手の戦いなどの小牧とかの地名とは無関係です。
分割その2。
自分の中で空想を描きながら読む歴史は、実におもしろみが出てきますよね?
分割その3。
三の丸跡は、実は古城公園と言う名前になって整備されていたんですね。
三の丸跡は今や公園。
この公園(三の丸跡)入り口の横には、神社がありました。
八幡社。
だいたいですが、どこでも神社と古墳、神社とお寺、神社と城址ってセットになっているんですよね、って事でここでもそんなセットになっていました。
とりあえず、中に入り様子を確認したりしました。
境内。
特に何か特別なものがある訳でもなくて、普通に建っているお社でしたね。
一応説明看板がありましたので、それを押さえておきました。
説明看板。
説明看板にありますように、土塁のなごりを探してみました。
すると、この社の裏側に木々がうっそうとしてそれらしきものが伺えました。
土塁跡。
さて、オイラは神社ばかりに気を取られること無く、山頂の櫓を目指しまして歩きました。
遂に近くまで来た。
来る時に車からチラッと見えていたこの櫓、とうとう間近で見る距離になりました。
いったい、どんな所なのか気になって仕方がありませんでした。
遂に登城!
入り口にある説明看板に目を通して、いざ入場!
説明看板。
中に入れば、一瞬その殺風景な広場に驚きました。
広場しかない。
残暑の中で動いただけに、汗がしたたり始めていましたが、それを打ち消すような気持ちの良い風が吹きぬけていました。
せっかくなので、この広場のグリ沿いを歩いてみました。
広場から見る櫓。
山頂といってもそれほど高くはないのですが、周りに田畑が広がっているので、風通しの良さがあるようですね。
説明看板。
遠くから見ていた櫓を目の前に、何かしら感無量に近いような気分になっていました。
歴史ロマンを感じる。
オイラなりに、この広場(本丸跡)を歩きながら当時の歴史ロマンに触れ、そして感じながらここからの景色を楽しんでいました。
説明看板。
説明看板によれば、この櫓は定かな位置が判らないとの事ですが、ですから、歴史ロマンを感じるんですよ、歴史は時代と共に薄れて確実な伝えを残すもの、そうでないものとありますが、だからそれが面白さでもあるんですよね。
櫓から見た景色。
この櫓、実際は立ち入り禁止(昇り)になっていますが、その建物の横からでも十分に景色を堪能できますよ。
城址を示す石碑。
どこの城址にも、戦いの話が付きまといます、それに伴って、城址にはいつも物悲しい話や死者の事も頭に入れなければいけません、今回もそんなこの城址での戦いの話や、悲しい話など説明看板などから伺える事が出来ました。
石碑から本丸跡を望む。
この日はオイラの自宅周辺では聞く事が無くなった、元気なツクツクボウシの声をたくさん聞く事が出来ました、やはりそんな事でも気温差を感じる事が出来ましたね、まだ夏に近いような残暑でした。
説明看板。
空を見上げ、この地を見つめ、そしていろんな事を想像して1人だけ、今はこの時だけの城主となっているオイラ・・・歴史は何かを物語っているような気がしました。
本丸跡。
今ではだだっ広い広場ではありますが、その昔、ここは相当立派なお城だった事がオイラでも判ります・・・と言うのは、これだけの広さにいろんな建物を想像すれば、それなりに強固な城構えになることが一目瞭然ですから、そりゃあ、敵方(家康)からすれば、なんとしても手にしたい城だったでしょう。
この辺りにも櫓があった。
今では本丸跡には芝が敷き詰められ、ちょうど遠足か何かで、この場で弁当を広げるにも良い感じの場所だと思いました。
説明看板。
いろんな説明看板を目にする度に、この城址の規模が薄っすらですが、判り、自分の物差しでは計りきれないその雄大さを感じるのと同時に、今ではのどかな風景と自然な音や鳴き声などを存分に味わう事が出来ました。
ここにも何かを示す看板が。
山は山でも孤立した、言うなれば、モッコリとした山で、周りに街道があって、田畑しかない、城を構えるには絶好のポイントだったのかも知れませんね、説明看板から察すれば、入り口は2つだけの城だったかな?と思います。
説明看板。
オイラは本丸跡から出て、車に戻る足取りで歩き始めました、途中、虎口跡の外側を眺める事が出来たので、その様子を見れば、少々険しさを感じる斜面でした、やはりそれなりの防御を備えている城だと言う事も判りましたね。
虎の口跡の外側。
オイラは車に戻り、次なる場所へ走らせていたらポツンと建っている石碑を見つけました。
石碑を見つけた。
この東条城を囲んで戦いになった、言うなれば、この城が落ちて三河が平定された戦いの石碑でした。
石碑から東条城址を望む。
城の周りではたくさんの戦死者が出たらしいようです。
今の様子からはとてもそんな事は想像出来ませんけどね。
田畑が広がる。
ここでの戦いで有名になった人の最期の場所へ、ちょっとだけ寄り道して行く事にしてみました。
再び歴史ロマン。
オイラは知ったかぶりで、能書きはたれたくないので、その都度出てくる説明看板などで、ご覧頂いている方々の想像で、歴史ロマンを感じて頂けるとありがたいですね。
田畑のう~ん、ほぼ中央くらいですかね、そこにひっそりと祠のようなものがありました。
田畑のほぼ中央に。
車を農道の路肩に停めて、そこからその祠へ向かい歩きました。
これがそうなのか?
戸を開く事が出来無いので、ガラス越しにカメラを向けて中を撮影しました。
お地蔵様があった。
それにしてもこの場所は当時の村人?から手厚く保護されてきたんでしょうね?それと、ここで討ち死にした人への慰めもあったんでしょう。
この祠の横には更に地蔵が数体と説明看板が建っていました。
これがポイント。
この城址を訪ねてから、この城でのいろんな事が判りかけてきましたし、最後この場で少し悲しさがこみ上げて来て、なんだか目を閏わせるものがありました、今の時代でも厳しい事がたくさんありますが、当時の人たちの事を考えれば、まだ今の時代の人間で良かったと思い直しましたね。
説明看板。
この場を離れる時に、もう一度小高い山の上にある櫓の城址を見つめ、この地蔵様に手を静かに合わせるオイラでした。
そして、オイラは次なる目的の場所へ車をかっ飛ばして行きました。
