最近

「ウディ・アレン 映画の中の人生」

を読み終えてから

コメディー映画を強化中。


キートン、ロイド、チャップリン、マルクス兄弟の見ていないのも

たくさんあるし

エノケン、ロッパ、クレイジーキャッツなんかにも触れたみたいと思うし

たら~

そういいながら今、夜中にフレッドとジンジャーの「トップハット」の

有名なダンスシーンをyoutubeで見て独りで盛り上がってました上げ上げ

「グリーン・マイル」でも登場する ヘブン~♪アイム イン ヘブン~♪

流れるような夢心地

天国は白黒です。


 おっとコメディーからミュージカルにそれる。



ウディー・アレンの昔の作品を見たけど

なんだか最近のハリウッドのどたばたよりずいぶんハイセンスで

面白いと思う。うーんすごい。

ドンッ

小学生のときは

「エースベンチュラ」(ジムキャリーの動物がいっぱい出てきて、やたら奇声を上げてる映画)

なんかでも喜んでたんだけど

さすがに目が肥えたとじぶんでも思う。

そういえばそのころは熱心に

ごっつ、ウリナリ、ナイナイ、季節の途切れ目の、馬鹿殿、まで

や~、ほんとよくお笑いばっか見てたもんだ。

知らぬまに私のセンスも磨かれてるといいなと思うのですが

・・・妹にはかなわない。


アノ子は天性かしら

誰に似たんだか・・・

プー

えーー

いまから

久々に書きまぁーーす。

(岡田トシキの芝居冒頭風)


もう12月。

はや12月。


これは12月の最初の土日、それから今日の3日間のことです。

(岡田トシキの芝居演劇風。)


かあさま、とうさま、ばばさま、じじさま

いかがお過ごしでしょうか。

 (と、ここでゆらゆら揺れながら手をブランブランさせて・・・

 ・・・いいかげんこんな一部にしかわからないネタはやめよう。)


近況

就活についてはまったく進展していないどころか

停滞、放棄気味。

もはや心配どころか気にしてもいない。

始末に終えない。

その上、海外逃亡までたくらんでいる始末。


パスポート取得のためにかあさまが送ってくださった

当の昔に期限の切れたパスポート

その小学生の証明写真に

なんだか自分の年齢に納得いかない。

今日この頃です。


そんな始末に終えない

納得いかないままの

年の瀬



久しぶりの恵比寿、写真美術館にいってまいりました。

あそこは、いいところだ。


写真鑑賞ついでにホールで見た映画がまたよかった。

アフリカ北部の子供たちが音楽大会に出るドキュメンタリー映画。

と、まぁ私、そういう要約は苦手なんだけども、

どんなにうまい要約しても、見ないとわからないものがある。

それも大スクリーンで見ないとね。

音がいいんだ。音楽が。


見ているうちにいろんな大切な気持ちを思い出して

知らぬ間に涙がぼろぼろ出てきてしまった。


野田秀樹の戯曲

野獣降臨の中にこんな台詞のやりとりがあったのも思い出した。

ウサギをかばうブリアン少年に

段田安則演じるマッドサイエンティスト風の所長が言う


大人になってもその親切心をいつも忘れないでいられるか。


少年は、

ときったま忘れて、ときったま親切かもしれない。と答える。


いつもできないぐらいなら、親切なんかするな。


あぁ

私はなんでこんなにでるのかわからない涙を流しながら

ときったまで、時々で、しばしば、な自分の親切心に

内心で自嘲しながらもうれしく思った。

忘れてはいない。


映画を見ながら、

アフリカ、戦争、紛争、死、暴力、飢餓、・・・

様々なつたないイメージや情報の断片が頭に浮かんでは消え

映画に登場する子供たちとちょうど同じ頃の

私の少年(少女であるが少年のような)時代の思い出が浮かんでは消えた。


そういえば、何も知らないのによく戦争や、世の中のよくないこと

そういった理想から反する大まかな固まりに

反抗意識や恐怖、憤慨を覚えていたものだ。

対象が大まかなだけに、いまいち行き場のない

できそこないのいらだち。


バイトや授業や、掃除や食事やをこなしていくいわゆる普通の、

ニュースにもろくに触れない大学生の生活の中で、

どんどんそういう敏感さは薄れて行ってしまう気がする。



少年の親切心はいつもはっきりとしている。

映画のメッセージなんかよりずっと単純明快だ。


同じように明快な劇団四季のミュージカル

夢から醒めた夢の言葉を借りると


善人と悪人との幽霊がひしめく冥界の駅で、

エンジェルは言う


みんなが幸せになれたらいいなぁ。 と、


それに対してデビルはいつもこうだ。


甘ったるい考えだ。

人はいつも自分のことしか考えない。


私が少年だったら(一応以前は少女だが)

エンジェルに賛同し、デビルを敵とみなしただろう。

それが少年の信念だ。


けれど、大人になるにつれわかるのだ。

悲しいかな、デビルの言うことも間違ってはいない。

エンジェルのまっすぐな気持ちに心を奪われながら

デビルのこれまでの経緯や、

悪人を厳しく見分ける役所業務にも思いをめぐらす。

よい面ばかり見、単純に信じるには、少々知りすぎてしまった。



映画の子供たちはどうだろう。

何もわからぬまま、誘拐され、親を殺され。

厳しい、つらい、情況に追い込まれ、

それでも

音楽に触れているときの笑顔。


こんなとき、こんな子供たちを知ったとき、

いくらデビルにけなされようと、ののしられようと、

まっすぐな想いを抱かずにはおれない。

映画を見ている最中に、

近頃思っていたことの確信を得た。


世界をすすめていくのは前向きな想い。ただそれだけだ。



映画のラスト

少年達、少女達のその後の夢が

短い文章で語られしめくくられる。


まっすぐだ。

このままみんなまっすぐにいいほうへすすめばいい。

そう思った。



近頃出合った教授で、

少年のような目をした人がいる。

キラキラした目で、

作る作品はとてもまっすぐで明るく

語り口調も、行動も、品のよい雰囲気だ。


週に一度の授業で会話するたび

いい影響をくれる。


前向きな想い。

親切心を

この怠惰な年の瀬にも忘れさせない

素敵な出会いに

そんな機会を私にくれるみんなに

あらてめて感謝。

月夜の晩に

とびだしていった狼男が

かぐや姫とデートの約束をしたという

そんなまさかとは思ったが

貢物を探しにまたとびだしていってしまった

月夜の晩に

電柱に隠れた口裂け女が

ビール缶を手に戻ってきた

お情けにもらったのだと

大口あけて笑っていた

月夜の晩に

さまよい出た魔女が

目を輝かせやって来る

あなたの魔女と誰かの魔女が同じ空で出会うこともある

あなたの魔女は居場所が知れず

月夜の晩には影ばかり

けれど誰かの魔女もそうなのさ

心配しなさるな

みなの魔女の居場所は知れない

好き放題に慰めて目を輝かせて出て行ってしまった魔女は

今度はいつ戻ってくるか知れない

記憶が闇にばらけていく

月夜の晩に

いたたまれず流れ落ちた涙が

水溜りを波立たせた

涙は水溜りを湖に

でこぼこのポテトチップに

ひらめきは笑顔に

そしてまた月夜の晩に

月夜の晩の魔力に

月夜の晩に

月が追いかけてくるのか

それとも月を追いかけているのか

見極めてやろうと助手席の窓に張り付いていたぼうやが

月夜の晩に

ハンドルを握って前を見据えなければならなくなったという

助手席ではぼうやが窓に張り付いている

何を見ているんだい

お月様

月夜の晩に