まずはじめにことわりますが、ここでいう「男」「女」はあくまで大きな区分上、男女を用いてるだけなので、
人によっては性別と以下の記述が反転することがあります。しかし、このどちらかのタイプに属することだけは
確かだと言えます。つまり、コスプレには二種類のコスプレがあるのです。
(あくまで批判ではなく、分析です。)
●オタク的な意味でのコスプレ(男性的コスプレ)
オタク的コスプレでわかりやすい例は、男の娘です。これは、特殊な性癖をもった人々だけではなく、男性の多
くは女キャラのコスプレをしたがります。これは当然コスプレというものが「そのキャラになりきる」ことに意
味があると考えているからです。つまり、「誰かに見られて賞賛される」ことはあまり前提としていない。
自分がお気に入りキャラになりきる感覚というのは要するに、「身体が入れ替わってしまった」というあのラブ
コメの王道設定を追体験していることになります。憧れの女の子の身体や気持ちを手に入れる、好きにできると
いうのは男性なら誰でも一度は憧れることです。これは一種の同人活動と捉えることができます。同人誌で自
分の好きなキャラが思うように描かれていることに喜びを見出すのと一緒で、自分が演じることでキャラを思い
通りに扱うのです。
男の娘の一部は自分のコスプレ姿を鏡に映してオナニーをするわけですが、彼らはナルシストというわけではあ
りません。なりきったキャラやコスチュームに付随する身体を自由に扱えることに、またその身体と同期して性
的刺激を味わえることに快感を感じているのです。だからこそ、彼らは自分が似合わないごつい身体でも無理に
女キャラのコスプレをするのです。
このタイプのコスプレは、「幼児のなりきり」も同じですし、純粋にそのキャラが好きな女性がコスプレをする
場合にも同じです。
要は「キャラと精神的に同化するためのコスプレ」がひとつのパターンとしてある、ということです。
もちろん笑いを取るためにやったコスプレなどは例外ですよ。
●アイドル的な意味でのコスプレ(女性的コスプレ)
こちらはオタク的な意味でのコスプレとは違い、「身体を物質化するためのコスプレ」です。言い換えると、
「人に見られるためのコスプレ」ということになります。露出が多いコスプレイヤーはまさしくこれにあたりま
す。ここで男女で区別した意味がわかってくると思います。彼女らの目的は人に見られて賞賛されることにあり
ます。もっと言えば、キャラを入り口に自分を見てほしいのであり、自分を承認してほしいという欲求となりま
す。そのために彼女らは「自分らしくあることを放棄」します。自分を承認してもらうために、自分らしくある
ことを放棄するというのは、一見矛盾に見えます。
男性の視点の話をしましょう。彼女らが承認してほしいのは、男性からです。その際の男性の視点とは、男性な
ら誰もがうなずくように、性欲的視点です。ショッキングなことに(でも風俗があるという事実からも当然であ
るように)、男性の性欲的視点から見れば乳房と性器がまずあり、そのオプションとして周囲の身体があります。
男性が風俗に行くときは、もちろん乳房と性器があることが前提で、そのうえで容姿の善し悪しで風俗嬢を評価す
るわけです。性処理をしてくれない風俗嬢がいくら美人だろうと、お金を払うことはありません。もちろん、
嗜好によっては、性的シンボルが脇の人もいればお尻の人もいるでしょうが、それも同じ事情です。
コスプレイヤーは、そのような視点に「性的行為なし」で応えるために、「見た目的な意味でキャラクターになり
きる」、もしくは「乳房やお尻などの性的なシンボルの露出をあげる」のです。
つまり、「そのキャラを現実的に描きなおしたCG作品」となるか、「性のシンボルとそのオプション」へと自身を
切り詰めるかの違いといえます。もちろん、「絵画的な意味でキャラクターになりきる」と「性的なシンボルを露出
する」行為はまったく違うことです。しかし、「自身を絵画にするか、性的なシンボルにするかという違いはあれど、
他者の視線のために、自身を物質化する」という意味では同じなのです。
特に性的シンボルを強調している人ほどその傾向は強い。キャラクターに絵画的になりきっている人は自分の
写真をみてうっとりするだけで満足する場合もありますが、性的な人はそうもいかない。彼女らは男性に欲望
されてはじめて完成するのです。もちろん、イケメンコスプレイヤーもナルシストではない限りこちらの意味
でのコスプレになるでしょう。語源の「コスチューム・プレイ」の意味からは、こちらのほうが近いですね。
つまりは、
「自分を見てもらうために、自分自身ではなく、キャラクター的魅力、性的魅力によって見てもらう」
というのが、アイドル的な意味でのコスプレとなります。
●この分析の意義
結局のところ、私がこの両者で問題としたいのは、「両者の男女比の違い」です。男性的、女性的という言葉が
ある程度なりたってしまう現実に辟易してしまうのです。「女性が性的欲望の主体」にもなれますし、「男性が
性的欲望の客体」にもなれる。男性が女性のために性的客体となることは、とても少ない。
「身体を物質化するということは、自身を被所有物、従属の対象となること」を意味します。露出コスプレイヤ
ーは、男性の欲求に従属することによって、自己承認を行っているわけです。別にそれはそれでいいのですが、
女性はもっと多くを男性に望むことはできるし、女性は男性に望まれすぎる必要がない。女性は男性を見た目で
判断しないことを自慢気に語る人が多いように思いますが、むしろもっと見た目や性的なシンボルを要求しても
いいのではないか、ということです。
生物的に女性はそういうものだ、という意見があるかもしれませんが、BL文化などを見ればわかるように、女
性は男性を性的欲望の対象とすることも多々ある。
なぜBLが男同士になるかと言えば、「欲望の主体は男性であり、女性たりえない」という刷り込みがあるため、
男を品定めする女性像というのが、女性には想像がつきにくい、感情移入しにくいというのがひとつの背景にある
と思われます。
女性の男性化、男性の女性化がある程度まで進むことで、両者の枠から外れた人、あるいは、両者を自由に行き来
したい人が生きやすい世の中になるのではないでしょうか。
ここまで、お読みいただきありがとうございました。
人によっては性別と以下の記述が反転することがあります。しかし、このどちらかのタイプに属することだけは
確かだと言えます。つまり、コスプレには二種類のコスプレがあるのです。
(あくまで批判ではなく、分析です。)
●オタク的な意味でのコスプレ(男性的コスプレ)
オタク的コスプレでわかりやすい例は、男の娘です。これは、特殊な性癖をもった人々だけではなく、男性の多
くは女キャラのコスプレをしたがります。これは当然コスプレというものが「そのキャラになりきる」ことに意
味があると考えているからです。つまり、「誰かに見られて賞賛される」ことはあまり前提としていない。
自分がお気に入りキャラになりきる感覚というのは要するに、「身体が入れ替わってしまった」というあのラブ
コメの王道設定を追体験していることになります。憧れの女の子の身体や気持ちを手に入れる、好きにできると
いうのは男性なら誰でも一度は憧れることです。これは一種の同人活動と捉えることができます。同人誌で自
分の好きなキャラが思うように描かれていることに喜びを見出すのと一緒で、自分が演じることでキャラを思い
通りに扱うのです。
男の娘の一部は自分のコスプレ姿を鏡に映してオナニーをするわけですが、彼らはナルシストというわけではあ
りません。なりきったキャラやコスチュームに付随する身体を自由に扱えることに、またその身体と同期して性
的刺激を味わえることに快感を感じているのです。だからこそ、彼らは自分が似合わないごつい身体でも無理に
女キャラのコスプレをするのです。
このタイプのコスプレは、「幼児のなりきり」も同じですし、純粋にそのキャラが好きな女性がコスプレをする
場合にも同じです。
要は「キャラと精神的に同化するためのコスプレ」がひとつのパターンとしてある、ということです。
もちろん笑いを取るためにやったコスプレなどは例外ですよ。
●アイドル的な意味でのコスプレ(女性的コスプレ)
こちらはオタク的な意味でのコスプレとは違い、「身体を物質化するためのコスプレ」です。言い換えると、
「人に見られるためのコスプレ」ということになります。露出が多いコスプレイヤーはまさしくこれにあたりま
す。ここで男女で区別した意味がわかってくると思います。彼女らの目的は人に見られて賞賛されることにあり
ます。もっと言えば、キャラを入り口に自分を見てほしいのであり、自分を承認してほしいという欲求となりま
す。そのために彼女らは「自分らしくあることを放棄」します。自分を承認してもらうために、自分らしくある
ことを放棄するというのは、一見矛盾に見えます。
男性の視点の話をしましょう。彼女らが承認してほしいのは、男性からです。その際の男性の視点とは、男性な
ら誰もがうなずくように、性欲的視点です。ショッキングなことに(でも風俗があるという事実からも当然であ
るように)、男性の性欲的視点から見れば乳房と性器がまずあり、そのオプションとして周囲の身体があります。
男性が風俗に行くときは、もちろん乳房と性器があることが前提で、そのうえで容姿の善し悪しで風俗嬢を評価す
るわけです。性処理をしてくれない風俗嬢がいくら美人だろうと、お金を払うことはありません。もちろん、
嗜好によっては、性的シンボルが脇の人もいればお尻の人もいるでしょうが、それも同じ事情です。
コスプレイヤーは、そのような視点に「性的行為なし」で応えるために、「見た目的な意味でキャラクターになり
きる」、もしくは「乳房やお尻などの性的なシンボルの露出をあげる」のです。
つまり、「そのキャラを現実的に描きなおしたCG作品」となるか、「性のシンボルとそのオプション」へと自身を
切り詰めるかの違いといえます。もちろん、「絵画的な意味でキャラクターになりきる」と「性的なシンボルを露出
する」行為はまったく違うことです。しかし、「自身を絵画にするか、性的なシンボルにするかという違いはあれど、
他者の視線のために、自身を物質化する」という意味では同じなのです。
特に性的シンボルを強調している人ほどその傾向は強い。キャラクターに絵画的になりきっている人は自分の
写真をみてうっとりするだけで満足する場合もありますが、性的な人はそうもいかない。彼女らは男性に欲望
されてはじめて完成するのです。もちろん、イケメンコスプレイヤーもナルシストではない限りこちらの意味
でのコスプレになるでしょう。語源の「コスチューム・プレイ」の意味からは、こちらのほうが近いですね。
つまりは、
「自分を見てもらうために、自分自身ではなく、キャラクター的魅力、性的魅力によって見てもらう」
というのが、アイドル的な意味でのコスプレとなります。
●この分析の意義
結局のところ、私がこの両者で問題としたいのは、「両者の男女比の違い」です。男性的、女性的という言葉が
ある程度なりたってしまう現実に辟易してしまうのです。「女性が性的欲望の主体」にもなれますし、「男性が
性的欲望の客体」にもなれる。男性が女性のために性的客体となることは、とても少ない。
「身体を物質化するということは、自身を被所有物、従属の対象となること」を意味します。露出コスプレイヤ
ーは、男性の欲求に従属することによって、自己承認を行っているわけです。別にそれはそれでいいのですが、
女性はもっと多くを男性に望むことはできるし、女性は男性に望まれすぎる必要がない。女性は男性を見た目で
判断しないことを自慢気に語る人が多いように思いますが、むしろもっと見た目や性的なシンボルを要求しても
いいのではないか、ということです。
生物的に女性はそういうものだ、という意見があるかもしれませんが、BL文化などを見ればわかるように、女
性は男性を性的欲望の対象とすることも多々ある。
なぜBLが男同士になるかと言えば、「欲望の主体は男性であり、女性たりえない」という刷り込みがあるため、
男を品定めする女性像というのが、女性には想像がつきにくい、感情移入しにくいというのがひとつの背景にある
と思われます。
女性の男性化、男性の女性化がある程度まで進むことで、両者の枠から外れた人、あるいは、両者を自由に行き来
したい人が生きやすい世の中になるのではないでしょうか。
ここまで、お読みいただきありがとうございました。