東京の外れにある古びたビルの一室。そこはかつて、音楽スタジオとして使われていた場所だった。壁には防音材が剥がれかけた跡が残り、窓越しに見える街の灯りが、部屋のくたびれた空気に寂しさを添えていた。

そんな場所に、たった一枚の小さな看板が取り付けられた。
「OK Music Label」
手作り感満載のその看板には、少し歪んだ文字でそう書かれている。

「OKって…本当にこれでいいのかよ?」
椅子に座り、ギターを抱えた男が呆れ顔で尋ねた。彼の名前はタカシ、30代半ばの元プロミュージシャンだ。かつてメジャーデビューを果たしたが、一度の失敗で全てを失い、今は細々と街のライブバーで演奏する日々だった。

「だって、シンプルでわかりやすいじゃん!“OK”ってさ、誰でもわかるでしょ?」
机に肘をつきながら答えたのはユウカ。20代半ばの彼女は、大学で音楽ビジネスを学んでいたが、大手レーベルでの就職を断念し、この小さなレーベルを立ち上げることを決意した。
「それに、なんでも“OK”って意味も込めてるの。ミスしても、変わった曲でも、全部OK!そんな場所を作りたかったの。」
彼女の瞳は輝いていた。

タカシはため息をつき、ギターを弾き始めた。
「まぁ、俺がここにいるのも“OK”ってことだよな。」
彼の指先から流れる音は、どこか切なく、しかし力強かった。

 

レーベルの設立から3ヶ月が経った。彼らはまだアーティストを1組も契約できていなかったが、SNSを駆使し、「自分らしさを音楽に込めたい人」を募集する投稿を続けていた。

ある日、ユウカのスマートフォンが震えた。
「なんだろう…応募?」
画面を開くと、短いメッセージが表示されていた。

「助けてほしい。私は歌で生きたい。」

メッセージを送ってきたのは、マリナという名前の19歳の少女だった。田舎町から出てきた彼女は、大手オーディションで落選し続け、自信を失っていた。だが、最後の希望を胸に、この無名のレーベルにメッセージを送ったのだ。

 

翌日、ユウカとタカシは駅前のカフェでマリナと会った。肩までの黒髪、どこか頼りなげな雰囲気の少女だったが、目には確かな決意が宿っていた。

「歌で生きたいって、具体的にどうしたいの?」
ユウカが問いかけると、マリナは少し戸惑いながら答えた。
「私は、私自身の歌を作りたいんです。誰かのためとか、流行りの曲とかじゃなくて…私の気持ちをそのまま。」

タカシは彼女の言葉に小さくうなずいた。
「その気持ちはわかる。でも、それを形にするのは簡単じゃないぞ。」

「だから、助けてほしいんです!」
マリナの声は震えていたが、真剣さが伝わった。

「よし、やってみよう。」
ユウカが笑顔で答えた。その瞬間、マリナの表情に光が差した。

 

マリナのために準備したのは、小さなスタジオの片隅にある古びたマイクとギター1本だけだった。タカシがギターを弾きながら、マリナは歌詞を書き留めていく。

「これ、歌ってみて。」
タカシが弾いたのは、シンプルなコード進行だった。マリナは深呼吸をし、震える声で歌い始めた。

歌詞は不完全だったが、彼女の歌声には芯があった。その声は、都会の喧騒の中で埋もれてしまった多くの人々の気持ちを代弁するかのようだった。

「悪くないな。」
タカシがぽつりと呟いた。

「すごい!マリナちゃん、その声、もっと多くの人に聴いてほしい!」
ユウカは感動を隠せなかった。

 

「OK Music Label」として初のイベントを開くことに決めた。場所は小さなライブハウス。観客は10人程度だったが、ユウカもタカシもそれで十分だと思っていた。

マリナがステージに立ち、初めて作った曲「Lost Voice」を歌い始めると、観客の目が彼女に釘付けになった。心に響く歌詞と純粋な声が、狭い空間を満たしていく。

「これが、音楽の力だ…」
ユウカは心の中でそう思った。

 

ライブ後、ユウカはマリナの歌を録音し、SNSにアップロードした。投稿には「誰かの心を救う歌」というキャッチコピーを添えた。すると、その動画は徐々に拡散され始め、数週間後には数万回の再生数を記録した。

「すごい…!」
マリナは画面を見ながら呟いた。

タカシはそんな彼女に笑いかけた。
「これは始まりにすぎないぞ。」

 

だが、成功の兆しが見え始めた矢先、大手レーベルから接触があった。マリナに対して「移籍しないか」というオファーが来たのだ。

「大手に行ったほうがいいんじゃないか?」
タカシがそう言うと、ユウカは眉をひそめた。
「私たちがマリナを見つけたのに…。」

マリナは迷っていた。OK Music Labelは居心地がよかったが、もっと多くの人に自分の歌を聴いてもらえるチャンスでもあった。

 

ある日の夜、マリナはユウカに電話をした。
「私…やっぱりここで頑張りたいです。」

「どうして?」
ユウカは意外そうに尋ねた。

「私が歌いたいのは、誰かに作られた歌じゃなくて、自分の歌だから。ここなら、それができる気がするんです。」

その言葉を聞いて、ユウカは涙をこらえた。
「ありがとう、マリナちゃん。一緒に頑張ろうね。」

 

マリナの歌声は、徐々に多くの人に届き始めた。OK Music Labelも少しずつ認知され、他のアーティストたちからも興味を持たれるようになった。

スタジオの片隅に掲げられた「OK Music Label」の看板は、そのままの姿で輝き続けていた。そこに込められた「なんでもOK」という精神は、これからも多くの挑戦者を迎え入れるだろう。

「さて、次はどんな人を迎えようか。」
ユウカのその言葉に、タカシはギターを弾きながら微笑んだ。

そして、OK Music Labelの物語はこれからも続いていく。

 

ずっと。