オウロバ

オウロバ

アレコレを適当に。

Amebaでブログを始めよう!
なんか、なにかを綴りたいって気持ちでAmebaにもどってきてみた。
まあもともとこのブログはそんなに書いてなかったから、
あまり目的意識とかはないブログだったので、
逆に何をどう書けばっていうのはイメージがあまりないのだけど。

何かを吐き出すツールとしてツイッターも使ってはいるけれど、
あちらは文字数の問題もあるし、フォローされてることでの気を遣う部分もなくはないので、
なんとなく言葉にするのが抵抗あることも多く、
もやもやを吐き出すのは難しい部分もあったり。

といってもAmebaもなんかいろいろ複雑になってきてるっぽいので、
機能次第ではこういう風に気軽にあれこれ書ける場ではないのかもだけど。

それも含めて今後の自分の新たな在り方を考えるために、
まあはじめるだけはじめてみるのもいいのかなと思い、
とりあえずこうして無軌道に言葉を綴っている。


この一年で、自分の身の回りが大きく様変わりをした。
とても大事だった存在も居場所も失い、
安心できる、笑顔になれる空間を無くした。

今はとても苦しいけれど、
どうにかしてまた自分の安心できる場所をみつけていかないと、
苦しいをひきずり続けてしまうだけだから、なんとかしたいと思う。

ブログという手法は自分が随分前に使っていた手法だけれど、
立て直すためにそこに戻ってみるというのもアリなのかもしれない。
演技について、というか、
作品や世界についてぼんやりした違和感がずっとあった。
でもなんとなく考えてるものが大きすぎるのか、
まとめるには深すぎるのか、
なかなかうまく言葉にできずに、
なんとなくな違和感と居心地の悪さを感じつつ、
まあいいかって横においてきた。

しかし、世の中のいろんな作品にふれるたびに、
その違和感はふくれ、
だんだんと素直に楽しめない感覚が強くなってきた。

最近とにかく多いファンタジーもの。
現実にはない異能力や、
ヒーロー願望的なものを満たすという意味で、
人気があること自体はわからなくもない。

しかしあまりに飽和し、
テンプレートをなぞるようにファンタジーってこんなものって作品が増え、
そうなるとどんどんどうしようもない違和感が頭の中で大きくなってきている。

ファンタジーといえば当然ながら戦うことが前提の作品ばかりになる。
戦いはなくファンタジー世界の日常が描かれる作品なんてほとんどないだろう。
じゃあ戦うファンタジーとはなにか。
『殺すこと』であり、
または『敵を征圧すること』や『重症を負わせること』であろう。
実際現実的に、人と戦うことが当たり前であった時代、
他者を攻撃することに現代的なモラルがあるわけがない。
だからこそ日本でも戦国時代は存在したし、
世界でも『領地の奪い合い』、すわなち『殺し合い』は存在した。

私にとって戦うとはそういうもの。
自分なのか相手なのか第三者なのかが血を流し、
力で屈服されるものこそが戦いの本質だ。

剣と魔法のファンタジー。
現代モノの異能力バトル。
最近とても多いジャンル。
その両方に共通するよくある設定は、
特別な能力を持っている人間がでてくるということ。

しかし特別な能力をもっていたらヒーローになれるのか?
私のなかで答えはとても否定的だ。

なぜか。
特別な能力、すなわち『凶器』をもっている人間に対して、
必ずまわりは畏怖の感情をもつから。
そんなの当たり前。
だって、いつ気まぐれに理不尽に、
自分に対してその『力』がむくかわからない相手を、
無条件に信じるなんてできるはずがない。

私が感じている違和感のひとつがこれ。
仮に剣と魔法のファンタジーや現代モノ異能力バトルがあったとして、
そんな特殊能力をもった存在が社会に受け入れられるはずがない。

仮に受け入れられることがあったとしたら、
それは社会がその能力に屈服したときか、
社会を通じてその能力をコントロールできると認識できているときだけだろう。


それともう一つ。
異能力ものなどで理を超える能力を使用できる場合。
それをみて、その世界でのバランス能力に疑問を感じるときが多い。

たとえばテレポーターがいたとする。
じゃあ社会的に理論的にどうやってそれに対抗しているのか。
その能力を封じる、社会的な仕組みがない限り、
一人の能力で社会が死ぬ。
だって、セキュリティなんて無意味にされてしまうのだから。
仮にその能力を封じる術がない世の中にそんな能力者が生まれたとしたら、
その能力者は生きていけるのだろうか?
個人的な答えとしては、それはありえない。
その力を解明し封じる術がなければ、その能力者は殺されるだろう。
せめて100%に近い確率で隔離できる能力があれば、
せいぜい殺されずに人体実験される程度で落ち着くのだろうけど。

どちらにしても『異能力者は社会では生きられない』。
それが私の結論。

こういう考えだから、
最近のアニメなどでよくある異能力ものや魔法モノに対しては、
常に頭が違和感を感じて素直にみることができない。
そしてそれをもし自分が演じることになった場合。
より多くの疑問を考え、答えがでてこなくなってしまう。

ラノベなどでそういう系統の作品が過剰に乱発されているけど、
個人的にはそういうものはそろそろ収束してほしい。

使い手のモラルだけが抑止力になっている作品ばかりで、
正直、いやおかしいでしょってなってしまうので。
昨日も書いたヤマトへの思ったことの続きです。

昨日は主に演技面についてのことですが、
今回はOPテーマについて。

宇宙戦艦ヤマト2199の第一期OPはかの有名な『宇宙戦艦ヤマト』でした。
ただ、問題はその演出と歌い手。
Project Yamato 2199というユニット名で書かれてましたが、
検索してもらえればわかると思いますが、
JAM Projectなどを中心としたLantis系アーティスト計31組の合唱のようで。
JAM Pro好きだからあんまり悪くは言いたくないのですが、
正直これは大失敗作でした。
JAMだけが悪いわけではなく、
とにかくまとまりも主張も緊張感もない。
個人的に聴いた感覚としては、24時間テレビで芸能人が歌う『負けないで』。
あのくらいの軽さとまとまりのなさでした。

大ヒットアニメのリメイクとして大々的にテレビで作る以上いろいろと大人の事情があるのはわかります。
今売れっ子の水樹奈々さんとかも入れて、
Lantisの看板売りたかったのかもしれませんし、
少しでもそういうファンに売れたらと思ったのかもしれません。
でも、この曲は厳しい世界を往くヤマトの世界のまさに代名詞というべき曲。
そんな軽い商売心入れてしまったら世界観が崩壊するのは目に見えていたはず。
明るいわけでも楽しいわけでもなく、苦しい苦しい綱渡りのような道を往くヤマトの世界に、
なんだかよくわからない合唱としてもまとまりのないものくっつけられたら本家ファンは怒って当たり前でしょうに。

いくら大人の事情といったって、それが作品世界やファンの心を無視していいはずがありません。


そして先日放送分より第二期OPとして使用されているのが、
UVERworldの『Fight For Liberty』。

最初見たときは衝撃でした。
あまりの『ヤマト』とかけはなれた姿に。
まあ第一期OP不評だったのか大幅に人気とりに舵を切ったんでしょうけど、
本来の作品のもってるベクトルがあまりに違いすぎます。
曲自体はかっこいいとは思いますし、UVERが嫌いなわけでもありません。
ですが、こんなアクティブバトルするような作品でもなければ、
こんな少年っぽいアンチ社会なノリでもないでしょう?
某ガンダムOOにはぴったりだったのかもしれませんが、
本来のヤマトはそんな好戦的なモノではありません。


この二つのOPネタだけでもこの作品の迷走っぷりが激しくでているかと。