昨年、これをやっていました。
厳密にはできていないのかもしれないけど、
「できるはず」みたいな、
自分への期待を捨てました。
うまくできなくて当たり前。
どう思われても、それはそう。
(できるはずなのに)できないじゃん!
キーーーーー!!!
みたいのが、全然減りました。
「あわよくば、うまくいくかも」
という助平心がないから、
「できること全部やろう」
ってなりました。
振り返ってみて、
「できること全部やる」は、
体力的にきついこともあったのだけど、
それは、
自分の体力に
ちょっと期待が残ってた面があるかもなと。
心で「これならやりたい」「できる」と思っても、
体がそうでないことってあるんだね。
それを知れたことも良かったです。
私自身が「ここまでやりたい」と思っても、
ムスメが、
「宿題してるのを、隣で見ててほしい」
とか言い出したら、
これは今までの私にとってはロスでした。
これをロスだと捉えずに、
自分に必要な「状況」だと思えたことで、
ムスメとの宿題の時間を持つことができました。
(将来的には良いのか悪いのかわからんけど。)
また、近所から苦情が出て、
練習を控えざるを得なかったりもしました。
これらのことは、
今までだったら、
できるはずなのに、なんか、
諸事情でできない!
みたいに思いがちで。
自分が2つに引き裂かれる気分だったけど
「期待しない一年」のなかで、
この状況がある私が
今の私なんだなーと、
できる中でしかできない、
それが今の私だなーと、
そう思えました。
結果も出ました。
それ以上期待しなくても、その中でなんとかできました。
具体的には、
アマチュアのピアノコンクールだけど予選通過して、
全国大会に出て、
「参加賞」以外の結果を出せました。
ムスメの宿題を隣で見ながら。
自分で音がわからないくらいの消音で練習しながら。
レンタルスタジオにグランドピアノを弾きに行き、
その中で24時間営業のピアノスタジオを知ることができたし、
自宅に防音室を作る話が進みました。
(これは夫にも感謝)
素人が、自宅に防音室作って何になるの?
と思わないでもないですが
今までの
好きなような なくても良いような
ずっと一緒にいたけど 別に別れても良いような
みたいな
曖昧だった私とピアノの関係性が
いや
ギリギリずっと一緒にいるでしょうよ
と
はっきりしたのは、すなわち
私の人生のアウトラインがはっきりしたのだと
思いました。
プロじゃなくたって
大成しなくたって
自称音楽家ってたくさんいるじゃん。
それで良い、私も
と思ったのでした。
ナリ君の「余裕と余白の話」を読んで 私は
「50歳までになるべくたくさんのピアノコンクールに出よう」
と思いました。
それは、
「ものごとは、成功か失敗じゃなく、
たくさんの小さな失敗の先に「成功」
(自分なりの納得)
があるのではないか」
という、ナリ君の
また別の記事によるものでもあります。
私はこれからも、たくさんの小さな「失敗」
から経験を得て、
自分の人生を納得して終えられるよう
進んでいきたいです。