多くの訃報が報じられる。1年前の姿が映し出される。そこには元気に日常を過ごす姿がある。
そんな姿を見せていた一年後に・・・・とは。
人は誰もいつやってくるとも知れない死期を抱えて生きている。

後残り少ないお年頃。残念だがいづれ私にもその時が来ることを覚悟してはいる。


そのときを考える中で、お墓のことを思うことがある。
次男である上、実家を遠く離れて家庭を持つ身。私用の墓なぞ無い。準備などしていない。
このことは残される妻子を困惑させないためにもきちんとしておかねばならない。


さて、墓について日頃から思っていることからはじめてみよう。
まず墓が必要だろうかとの疑問だ。


かつてのように、多くは代々が生を享けた地またその周辺で育ち、家庭を持ち暮らし生涯を終えるそんな時代から、親子兄弟が全国に海外にと散り散りに暮らす、その生活拠点も転勤等々で不動のものでもない現代。たとえ定年後に終の棲家を新たな地に定め不動となろうが、子はまた新たな遠隔地での生活を持つ。この繰り返しで落ち着いた先は一代限りの地となりかねない。

そこに○○家の墓を建て、遠隔地での生活を持つだろう子たちにどれだけの墓参が可能だろうか?。少子化傾向も加わり、誰が墓参してくれることだろう。

嘗てのような親子兄弟孫と三代の同居どころか行き来も頻繁になど叶いにくい昨今、そんな中で孫の祖父母への親近感が希薄になっても当然。孫の代、ひ孫の代など尚更のこと墓参機会はあるのだろうか? 代々の墓は一代二代限りの墓に。


すでにそんなこんなの結果が、継承する人も尋ねる人も絶えた多くの無縁墓を生んでさえいる。


一つところに墓を固定することへの疑問。将来無縁化しかねない不安。その上高額な墓。海が好きだったからと海への散骨を希望する方も出てきた。法規上の問題があったとはいえ嘗てでは考えられなかったこと。最後を納まることへの考えも変化せざるを得ない。勝手にどこにでも納めてよいものでもない以上、ではどんな納まり方が・・と考えてみる。
管理墓地に納まるのか、寺に納まるのか、散骨?


やはり生まれ育った故郷の菩提寺に納まるのが安まるのではと思うのだが、後に続くことになる妻や子の生まれ故郷も違う。私だけとはこれも・・・。縁を持った夫婦、同じところに納まりたい。できれば子もと考えてしまうと。こうあれこれを忖度すると難しいことではある。やはり家族誰にも縁ある終の地のお寺に納まることがいいのだろうかと考える。それでこそ終の地といえるのだろう。


等々考える中、こんなことを思うのです。「移動の墓」。
妻や子が各々の生活地で時に手を合わせてくれるよう、引越しならば先々に持って移動できるほどの小さな墓。その中に一片のお骨を納めることができる、家の中、庭の一隅に置けるそんなお墓がほしいと。今私の両親の墓参りも思うようにできない。すまない思いでいっぱいなのだが、移動墓があればそれも叶う。


数年前知り合いの墓屋さんに話した。墓地の確保も難しい中、高額墓の販売の将来より、ニーズも将来もあるだろうにと思ったのだがそのような墓には興味ないようだった。今高額な墓を売ることに邁進されている。

可能なら私はこのような「移動墓?」に納まりたい。特注で作ってもらお~っと。


皆さんはお墓についてはどのように考えられているのだろう・・・・。