師走は街中が慌しく、中でも本日の大晦日は、活気に溢れていますね
上の写真は吉祥寺のサトウ
言わずと知れたメンチカツの有名店です。
このお店は1年中が大晦日のように活気付いています。
今日で2010年が終わりますね。
みなさんはどんな過ごし方をされましたか?
私は過ごし方と言うよりは、
過ぎてしまった1年でした。
来年はきちんと1日1日を過ごして生きたいと思います。
近頃、1年の様子を振り返って漢字1文字で表すことが多いようですが、
私の2010年は、「悩」でした。
とにかく悩み、悔やみ、考え、躓き、泣きました。
来年は、
「越」とか「歩」「幸」「笑」というような1年になることを祈って・・・・・・
つい先日、勤め先の沖縄料理屋さんの忘年会がありました。
オシャレなご飯屋さん→スナックというコース。
いつも一緒に働いている店長(三線&民謡アーティスト)と
その彼女(加藤あいかと思った)、
上司(ピアニスト)、
私がいない時間に働く変わり者の美大生+その彼女、
常連のお客さま方、、、
計10名の小さな忘年会。
ほとんど初めてお会いする方ばかりなので、仲良しのピアニストの方とばかり話していましたが、
スナックに移動してカラオケ大会になってから、
マラカスを片手にみなさんの唄に集中
私は2番目にマイクを渡されて、18番の小泉今日子を歌わせてもらいましたが、最初のほうに歌っておいて
本当によかった。
みんな本当に歌が上手い上手い( ̄▽+ ̄*)
もちろん日頃LIVEに出演しているアーティストが混じっていることもありますが、
沖縄の方って
歌が上手いことがまるで当たり前の様で、
更に心というか、歌心がきちんと込められていて、
鼻で上手いっぽく歌うとか、そういう概念が無いかの様に、
夏川りみさんの様な、BEGINさんの様な歌唱力を当たり前のように披露してくれる。
本当にみんなすぐにCDを出せるくらいの歌唱力で、
言葉を失います。
その日は、
「19の春」や「あめりか通り」といった沖縄民謡を歌ってもらいました。
つい涙が溢れそうになりながらも、この楽しい場の雰囲気を壊したくなくて、
こらえるのに必死でした。
歌が流れてくると、
誰からともなく、
「ハッハッイヤーサッサ~」と声が出てきて、
指笛を吹く。
たまにカチャーシー(沖縄の手踊り)を踊り始めたり・・・・・・
そんな空間がすごくあったかくって。。。。。。
それだけでも嬉しくて温かくて泣きそうでした。
26年間住んできた東京のこの街で
大好きな沖縄の人達に囲まれて、
大好きな沖縄の歌と沖縄の人達の優しさに包まれている。
最高の贅沢です。
いまこうして私がこの空間にいるのはきっと偶然ではないんです。
たまたま見つけてたまたま飛び込みで雇ってもらったこのお店。
特にバイトの募集があったわけでもないのに、たまたま通りかかりに気になって電話をしました。
そしたら、たまたまランチタイムのアルバイトさんが突然一身上の都合で退職して困っていたところということで、
面接も履歴書も無いままおしゃべりしただけで採用に。
働き始めてから
「どうして沖縄が好きなの?」
と聴かれたので、
「理由は色々ありますけど、
例えば、大山朝常さんというコザ市の市長さんだった方がいて、
その方の本に感動して。
でもその方は亡くなっていて。お孫さんに会いに行きました。
自分でも何故自分が沖縄に動かさせるのかわからないけれど大好きなんです」
と説明しました。
店長目を丸くして
「大山朝常さん???とってもお世話になった方だよ。僕の大変お世話になった国語の先生は朝常さんの娘さん。僕の名前は朝常さんから頂きました。おうちも近所だったよ。コザ市だからね。」
もう本当にビックリしました
他にも私が沖縄でお世話になった女性が、実はいま私が働いているお店に通っていたこと等、、、
縁が巡っているような、不思議な共通のものがありました。
店長にとどまらず、
常連さんの中にも、
朝常さんと関わりの深い方がいらっしゃって、
米軍基地に朝常さんと一緒にこっそり忍びこんだお話など、、、、、、
図書館でも本屋さんでも知ることのできない話を耳にすることができました。
これは偶然とは言えないように思います。
そんな背景を胸に、
沖縄の民謡と心の温かい人達の中でこうして私がいることがありがたくて
言葉がみつかりません。
沖縄の人達は、
たくさん悲しい思いをしました。
戦争でたくさんの命がなくなりました。
国会がどうだとか、政治がどうだとか、
「自分1人が選挙に行っても何も変わらない」というそんな政治の力によって
沖縄のたくさんの命は奪われました。
たくさんの理不尽な悲しみがありました。
そんな時も、どんな時も歌を歌って指笛を吹いて、
ニライカナイを信じて上を向いて生きてきたのが島人です。
その力強さと心の温かさに私は何と伝えるべきか言葉が見つからないけれど、
ありがとうと言いました。
もちろん、今の沖縄の若い人は故郷の歴史を知らなかったりもする。
沖縄の人だから必ず温かいわけでもない。
けれど私が一緒に時を刻む島人は、とっても温かい人達です。
私が人参を何度注意されても上手く切れないことがありました。
千切りがどうしても太くなってしまう。
そんな時、腕を組んで「どうしようね~何でかな~」と悩む店長。
私は怒られると思ってしょんぼりしていたけれど、
店長から出てきた言葉は、
「里紗はどうしてバランスが悪いんだろうね。
このバランスの悪さを直すためにもこれからの人生の為にも
この太い人参を1つづつきちんとした細さに直しなさい。」
と微笑んでくれました。
ある時は、
私がバイトに着き、
とても悲しそうな顔をしている時、
いつも一緒に働くY子さんが、
「おいで~」と両手を広げてくれました。
思いっきり抱きしめてくれました。
開店準備や時間を気にしないで何分も何分も
店の真ん中で強く抱きしめてくれました。
私はこんな風に自然に優しくできる人、
嘘のない思いやりのある言葉を言える人達と出会えて幸せです。
いつしか沖縄の虜になり、
沖縄沖縄と想い続けてきました。
今年、父の映画の主題歌にずっと大好きだった
かりゆし58が大抜擢されLIVEへ行き、
沖縄でもLIVEに招待していただき、一緒に那覇で呑みました。
そして、沖縄料理屋さんに勤務して、
今私は本当に沖縄の人のこころに支えられて今を生きています。
本当に
にふぇーでーびる。
これからも、宜しくお願いします。
Y子さん、今年の最後の賄いに、大好きなフーチャンプルー作ってくれてありがとう
脳梗塞で倒れてから作らなかった、から揚げを揚げてくれてありがとうおばあちゃん。
今年1年、このブログを読んでくださった
あなた
本当にありがとうございます。
みなさんの2011年に幸多からんことを祈って・・・・・・
2010年12月31日 小林里紗