沖縄さんぽ~漫湖に浮かぶ大きな山!それは豊見城グスク♪ | ライター司会者、パラレルワーカー小鍋悠のゆるゆる日記in沖縄♪

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沖縄出身在住。カメラ&ライター16年目。新聞、雑誌、web..etc。司会160回超。OL時に10年営業No.1→現中小企業様コンサル50名様突破。趣味は沖縄さんぽ&Tb.pf

豊見城グスク

豊見城グスク。

 

こんにちはウインク音譜

ことば×音のライフワーカー小鍋悠ですチューリップ赤

最近よくライティングコンサルのご依頼を受けます!

小鍋悠ライティングコンサル

 

 

 

さぁて、私は大学生の頃に沖縄の文化財や史跡に目覚め、ことあるごとに沖縄をアッチャーアッチャー(歩く×2)していますが、今回は、13年前ぐらいからずーっと気になっていた山の正体がようやく分かりましたので、興奮ぎみにブログをUPします(笑)チューリップ赤チューリップ黄

 

 

冒頭の写真↑は、沖縄本島南部・豊見城市のとよみ大橋から見える山。ラムサール条約に登録されている湿地「漫湖」に接していて、まるで湖に浮いているような美しい山。

手つかずの自然がありのままに残っている貴重な山です。

 

私は13年前、こちらの近くでアルバイトをしていたことがあり、毎日のようにこの山を眺めていては、「なんて美しい山なんだろう」と思っていました。

でも上るまでは行かず、13年が経過・・・ヒヨコ

 

でも機運が訪れました!

 

私が務めているラジオ番組・FMとよみ「夕焼けシャンシャン」の私の放送曜日(木曜日)では、ときおり豊見城市のことを紹介しているのですが、この山の場所も豊見城市なので、取材がてら「山に行ってみよう!」と上ってみたのです!

 

湖に浮かぶ(ような)美しい山、行ってみたくないですか?車音譜

 

いやぁ私は、すごく興味津々で行って参りました!ラブラブ!

 

豊見瀬御嶽

といっても、場所の名前もわからないし、住所も分からないので、調べようもありません。でも、今は本当便利な時代ですねぇウインク

山の近くでgoogle mapを開けると、今自分がいる場所を特定してくれて、目的地の山まで道順を示してくれるんですチョキ

 

それでたどり着いたのがこちら上差し

※現在、豊見城グスクは参拝客以外立ち入り禁止。

 

豊見瀬ウタキ

頂上まで上ると「豊見瀬ウタキ」が目の前に!

ウタキ(御嶽)とは沖縄の方言ですが、分かりやすくいうと神様のいる拝所のことですキラキラ

本土では神社やお寺みたいなものでしょうか。沖縄はもともと石や木など、自然にあるものを拝んでいて、後から沖縄各地の神社やお寺が出来上がっていますよねー

本当沖縄あるある!

 

沖縄の山や森、自然深いところに入っていくと、高確率でこういった拝所に当たります。

 

ただ神様の居場所なので、むやみやたらに訪問するとバチが当たること、沖縄の昔の人は、よーく知っています(本当)。

 

私も大学生時代の10代の頃、教授の調査で入ったといえども、むやみやたらに大量に史跡に入ったので、高熱が出て病院の薬でも治らず、もしや?と思ってユタ(あの世とお話する方)さんへ相談したら、やはりそうでした。(ええ、ユタさんに怒られましたとも滝汗

 

それ以来、拝所に入るときは、自分の名を名乗って、ここに来た目的を述べて、お賽銭をお入れしたりと、手を合わせています。

今回は、ラジオでの豊見城市の情報発信が第一の目的でしたので、その旨を拝所の神様にもお伝えしましたクローバー

 

ちなみにこちらの豊見瀬御嶽は、代々、豊見城村の村落祭祀を取り仕切っていた豊見城ノロが管轄していて、ウマチー(沖縄の昔の行事の1つ)のときは、ノロが門を開けて中で祈願したそうです。

戦後、ノロや神女達が沖縄戦で亡くなったりと、現在はノロは不在だとか。(※豊見城市史より)
 

 

 

豊見城グスクには井戸や古墓などたくさんの拝所

 

豊見城グスクは、漫湖に面した石灰岩台地標高54mの位置に経っている城跡。お城は、琉球王国時代の南山の王様の弟「汪応祖(おうおうそ)が14~15世紀に築城したと伝えられています。

琉球の城跡のなかでも大きいほうらしく、面積は11,079坪。

 

その昔、城の周辺は豊見城村の前身とされる村、城の南部に南風原村(むら)、西北部に西原村があり、これらは豊見城村の前身。

城の南には南風原門、北には西原門があったようですクローバー

 

 

城が今はないということは、落城したという歴史があるということですが、落城は、琉球王国時代、尚巴志(しょうはし)王の策略の1つチーン

 

豊見城城を探ってくるよう命じられた尚巴志王が遣わせた女スパイは、女物売りに化け、城にいた按司をまんまと騙し、按司は女性から品を次々と買い取りました。そのまま女性は按司の側室になり、川へ架けた城へ繋がる橋も、女性の要望により架けたとか滝汗

 

その後、いろいろ按司から良い話を聞いた女物売りは、その旨を中山王(琉球で一番の王様)に報告。そして、中山城からは兵が送られ、豊見城城は水が豊富ではないところを見て、火攻めにされ、とうとう落城したといいます汗

 

落城して降伏したのは丙(ひのえ)の日だったので、後の世は、丙の日に御嶽上りは厳禁され、翌日に上っていたとか。

 

お城は、豊見城按司代々の居た城だったそうですが、その所以は、アマミキヨの子孫が豊見城城の付近の南風原村や西原村に定着し、天孫氏(琉球王国以前の王様系統)の孫が勢力を増して、豊見城城を小規模ですが築いたものと言われていますやしの木

 

そのあと、琉球を3つに分けていた三山(北山、中山、南山)のうち南山が強力になって、南山王は同系の汪応祖および子の豊見城按司を派遣して城主となし、城を増築して大規模にしたと考えられています。

そして、戦後、米軍の採石場になっていたため、城跡は原型を失っています。

 

ただ、現在も豊見瀬御嶽(とみせうたき)は残され、私も今回、グスク周辺にあったお通し御嶽、湧泉、古墓が合祀された拝所と香炉をたくさん見ることができましたニコニコクローバー

 

拝所には説明板もありました乙女のトキメキ

今回のブログ内容は「豊見城村史」「豊見城市史」から参照。


興味がある方は、写真を大きくして読んでみてください照れ晴れ

 

豊見城グスクからみた180度ビューの絶景!

私はいつも反対側からこの山を見ていたので、とっても感動!!

 

さぁて、今度は、どこをさんぽしようかなぁ車チューリップ赤

 

 

 

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