私は神戸の沖永良部島(鹿児島の南の島)出身者の集まりで瀬利覚会(村)の会長も白浜会(知名小校区)の会長も経験し故郷の人々を喜ばせたいと考えていました。
そして、故郷の人々で建てた神戸沖洲会館を『金のなる木』、故郷の人々を「喜ばす場所」にする予定でした。(平成名水100選のジッキョヌ”ホー”のイメージ)
また、介護の世界が現在の盛んな状況になるのが分っていたので、神戸沖洲会館での開催を10年以上も前、3回提案しました。(周辺に故郷のお年寄りが多く、昔苦労したお年寄りを喜ばせたいと思っていた。)
すると、神戸沖洲会には能力がないので私が開催したら応援するし協力するとの約束で、神戸市役所を辞め兵庫県からデイサービス開催の許可を取得しました。しかし、その途端神戸沖洲会は”やっかみ”などから「貸さない」と発言しました。
今でも私のデイサービス開催にはまったく拘っていず、神戸沖洲会で開催したら良いと考えています。
個人的には、いつかは心ある方が、後輩が実現することを願っており、私は地球環境など(昨年倉敷の友人、今年千葉の幼馴染が大型台風の被害に、そして、地球環境は益々被害が拡大し、”まったなし”の状況)世界で最も信頼の厚いローマ法王から2度も賛同の手紙を頂いた、別のボランティア活動にエネルギーを向けて行く予定です。
<実現のメリット>
- 年間約5千万の純益、故郷の人々に還元し会館も建替可能
- 故郷の方は無料、三味線を聞かせ、故郷の踊りを見せ、故郷の食べ物ユキミシやトウフジキムヌなどを提供
- 故郷の人々の雇用も生まれ、小さな子供の世話も可能
- 後継者育成、そして循環(今世話する人が、やがて世話される立場)
- 千葉や倉敷でも開催、やがて尼崎、加古川、鈴蘭台でも開催
- 寝たきりの施設も建設(当時ほぼ補助金で可能)
- 鹿児島関係の催しなどに寄付で協力可能
- 各村、徳之島、奄美、鹿児島全体の発展に資する
- その他
<私が考える実現しなかった主な理由>
- 名誉顧問で、同じ瀬利覚村出身の藤井民文氏が、突然亡くなった。 (彼が存命の時はとても順調に進展)
- 早い段階で友人の協力を求めなかったし、逆に友人の怒りを抑えていた。その理由は故郷の人も都会の人も話すと全員賛成で、私は話し合いさえすれば実現できると考えた。
- 当時N会館理事長と概ね毎週のように酒を酌み交わしており、約束を破るなどまったく念頭になく、書面を求める事は思い浮かばなかった。
- 神戸沖洲会が私を相手に対話した場合、10人でも多数が束になっても、私に負けると思い込んでいた。
- 事前に白浜会の顔役(沖洲会会長や理事長経験者数名)に相談した時は全員賛成で、一石二鳥どころか3鳥にも4鳥にもなると発言していたS氏が突然裏切った。(後記8の関係か?)
- 当時瀬利覚会会長が、「瀬利覚会の役員会では反対」と嘘の発言をした。
- 当時神戸沖洲会には、しっかりとした、骨あるの人物、人格者がいなかった。 約50名の顔役に手紙を送付しても無反応。そして、話を聞く度量のある人もいなかった。 また、法律違反を犯しウソを言い逃げ廻るので市役所時代の友人に『北朝鮮と同様の団体』、愚かな団体と言われ、それがネットに出ても、否定する人さえいない。(とても情けない団体)
- 推測では神戸沖洲会の顔役が元瀬利覚会の会長で私の前任者に顔を潰されたが、折悪くその時デイサービスの話を出した。(私は事後に知る)