「創世統一理論」 とんでもないタイトルになってしまいました。
2019年6月25日火曜日 15時12分33秒 日本標準時「創世統一理論」とんでもないタイトルになってしまいました。私は「昼夜の神」論ができたとき、これは必ず創世神話に証拠が出ているに違いないと思い色々と探しました。しかし創世神話の力点は「混沌が分かれて天地となる」となっていて、この中に「昼夜の神」論を強引に押し込むのはかなり無理があるのです。代表的な神話として日本書紀をあげます。 <日本書紀神代上>第一段本文 世界のはじまり(混沌)昔、まだ天と地が分かれておらず 陰と陽が分かれておらず 混沌としていて鶏の卵のようでした。そこにほんのちょっと兆しがありました。(浄化精製→天地が分かれる)その澄んで明るいものは 薄く広がって天となりました。 重く濁ったものは地となりました。天となるものは動きやすく 地となるものは固まりにくかったのです。なので天が先に生まれ、 次に地が固まりました。そしてその後、その中に神が生まれました。 /// end 創世神話の眼目は「天地分かつ」なのです。辛うじて「昼夜の神」論の内容が出ているのは、混沌から分かれる時に「浄化、精製」という過程が書かれていることです。これを入れる事により全体の論理的な平衡が取れなくなっています。即ち、太祖神の創られた世界の「天」は「清く明るい」「地」は「汚く暗い」という論になってしまいます。これは事実に反しています。このような論理的な矛盾を持った謎の文章を多くの神話が持つと言う事は、なんらかの事情があるのです。当初から私は、この文は「天地を分ける」という仕事と「昼夜の神」の神産みの仕事を、無理矢理に合体してあるためだと理解しました。しかし、どう考えてもこの文章を解くことはできませんでした。ところが最近になって与えられたアイデアによって、先ず先の「二つの天地」が創世記から解読されました。二つの天地の構造が解けました。「天」 第一の「天」 神々の所在地*****************************「地」 上層 「霊界」 上の水 中間層 第二の「天」 おおぞら 神のオワスところ 下層 「地上界」 下の水「昼夜の神」論と「二つの天地」論の統一二者の共通点双方ともに太祖神による天地創造の直後の「地」を舞台としているのです。故に二つの話は時間と場所の軸が重複しているのです。「二つの天地」論では、「はじめ」、「地」は「水」で満たされた立体なのです。空中に浮かぶ球形の水世界の真中に水平に「おおぞら(空間)」を差し込んで球形の水球を上下に分けたようです。「上の水」「下の水」が出来ました。この三層の中間層の差し込まれた「おおぞら」という空間が「天」だと言うのです。「昼夜の神」論では、「地」という空間に太祖神の吐き出した「昼夜の神」の材料となる「混沌の水」で満たされました。「殻の神」はそれをかき混ぜて「浄化精製」し「軽く、清く明るい」は上に登り、「重く、汚く、暗い」は下に沈むのです。次に、上下に成分毎に分かれて分離された「地」の中身を「上下」に二つに切り裂き「分けた」、そこから「昼夜の神」が産まれる、という筋書きです。「創世記」は「一日目」に「昼夜の神」論、二日目に「二つの天地」論、という二つの話に分けて説明してあります。しかし、世界の「創世神話」は上記の日本書紀のように一つの話として同時に書かれています。「天地」が分かれて出来る話の中に「浄化精製」の話を組み込んであります。「創世記」の場合は、それぞれが別々の意味を持つ話として説明する必要から分けたものと見ています。実際は「創世神話」のように同時に成されているのです。この二つを統一して説明できなければならないのです。6月13日、この話の合体の方法が分かりました。一連の動作を創世記を使って説明します。その前に、「昼夜の神」論でその存在を仮想存在として設定したのが「殻の神」です。「昼夜の神」を産み出すためには不可欠な存在として立てました。この天地創建の全責任を負う責任者であり主神である「殻の神」の実像を正確に報告しているのが唯一、中国の創世神話「天地開闢」なのです。初めに載せます。中国の創世神話 「天地開闢」昔々、天と地がまだ一つであった頃、宇宙はただ混沌としていた。この混沌の中で巨大な体を持つ神・盤古が生まれた。盤古はすくすく成長し、1万8,000年の時が経った。ある日彼は目をさましたが、目の前は真っ暗で何も見えない。盤古は無性に腹立たしくなって、どこからか大きな斧を持ってきて、混沌に向かって思い切り振り下ろした。すると混沌は切り裂かれ、中にあった軽く清らかなもの上に向かって天となった。また重く濁ったものは下に降りていって地になった。天と地とが分かれたあと、盤古はこれがまた閉じてしまうのではないかと恐れ、頭で天をつき、足で地を踏みしめ、天地の真ん中に立ってその変化に身をまかせました。すると天が一丈高くなるほどに地もまた一丈厚くなり、盤古の背丈も一丈伸びていきます。このようにしてまた1万8千年が経ちました。天は極度に高くなり、地もまた極度に厚みを増し、盤古の背丈も極度に伸びていました。盤古の背はいったいどのくらい伸びたのでしょうか、9万里と言う人もいます。この巨人はまるで長い柱のように天と地の間にすっくと立ち、二度と再び世界を混とんに戻すことを許しません。盤古はたった一人そこに立ちつくし、非常に大変な仕事をやり続け、また1万と8千年が過ぎました。こうして天と地の構造はだんだんと形となり、それが再び閉じる心配はなくなりました。盤古には休息が必要でした。こうして彼はついに倒れたのです。、、、、、この「盤古」が「殻の神」である理由。それは 誕生のタイミングにあります。ポイントは「天地分かつ」の前に産まれる「神」、これが「殻の神」なのです。 盤古神話の冒頭・・・ 「昔々、天と地がまだ一つであった頃、宇宙はただ混沌としていた。この混沌の中で巨大な体を持つ神・盤古が生まれた。」....end ・・・天地が分かれる前の「混沌」から 盤古が生まれた、とあります。この神は多くの神話の中でも見つけることが難しいのです。その代表が古事記日本書紀の天之御中主神アメノミナカヌシノカミであり、もう一人が中国の創世神話 「天地開闢」の神である「盤古」なのです。ただ記紀の天之御中主神は名前だけしか出てきません。下の解読を完成して見ると、「盤古神」という存在の唯者でない事に改めて気づきます。ここで、根本的に押さえておかなければならない盤古論です。この「天地創建」は太祖神が、この大変な仕事を任せられる尊い息子として「盤古」神を事前に産みだしました。そしてその難しい仕事を伝えて「よろしくお願いします」と付託されました。この「天地創建」は最初から最後まで、全行程が「盤古神」の管理下で「盤古」自身が働き、なした事なのです。創世記のように「・・・せよ!」と誰かを使って創ったのではないのです。そのことも「盤古神話」に書いてあります。よって、その「盤古」の働きという観点を追加しました。<盤古>創世記 一章 一日目 の「昼夜の神」論をもとにひも解いてまいります。< 第一幕 > 神 天地創建 01:1はじめに神は天と地とを創造された。これは創世記のみに出てくる秘密の世界です。神話には見えないのです。この時点で「神々」が住む「第一の天」と「地」が造られました。「天」の中身については全く想像ができません。この「第一の天」は当ハッカーが初出だと思います。何人と言えども見ることも知ることも出来なかった、存在自体を知らなかったのです。メシヤもサタンも知らなかったみたいです。「地」とは、被造世界の建設予定地のような広大な空間が実体世界創造の為に創造されました。この時点では、未だ ”一つの地”は巨大な空洞、空っぽでした。イメージとしては、「巨大なピンポン玉」です。外壁があるのです。< 第二幕 > 「殻の神」「盤古神」の誕生太祖神は「天地創世」の指揮者、主管者として「殻の神・盤古神」を生みだされました。「昼夜の神」論では 実体の無い「殻」のような神、と設定しましたが、盤古神話では「巨大な体を持つ神」となっています。後追いですが、こちらの方が正しく「昼夜の神」と同じくらいの質量を持つ 神 というのが正解です。太祖神 の構想の設定が違っていました。この神は「三貴子」尊い三人の息子の一人として先駆けて生まれました。この神の場合は、どのような過程を経て産まれたのか、想像するしかありません。人の子 と違って父母から生まれるのではないのです。ところが、「盤古神話」には、成長期間があったとあります。想定外です。覚醒「盤古はすくすく成長し、1万8,000年の時が経った。ある日彼は目をさましたが、目の前は真っ暗で何も見えない。盤古は無性に腹立たしくなって、どこからか大きな斧を持ってきて、混沌に向かって思い切り振り下ろした。」ここにこの神の誕生の仕方が書いてあります。そして「盤古」の性急な性格が見て取れます。盤古神は、太祖神から「天地創世」の構想理想、そして「殻の神」の使命など一連のことごとを教えられ「お願いします」と託されました。「盤古神話」 昔々、天と地がまだ一つであった頃、宇宙はただ混沌としていた。この混沌の中で巨大な体を持つ神・盤古が生まれた。/// endとなっていますが、この「混沌」とは太祖神の単身時代の「混沌」のこと考えられます。神話の以前の話です。次の「注入」以前です。< 第三幕 > 注入太祖神の内容物の「地」への注入創世記の行間に成された書かれていない重要な作業です。「昼夜の神」論では、ドロドロ 混沌の太祖神の全てを「地」に移す、為に、それは太祖神自身ではできないので「殻の神」が移す作業をする。神は「身を任せる」と言う立場という設定でした。しかし、この度は、太祖神は命一つを残して尊い三人の息子に全てを相続して自らは身を引く、という設定なので、「地に移す」ことまではご自身でできるのです。こういう筋書きが出てきました。<注入>「昼夜の神」二神の材料となる、「混沌」の太祖神の内容物。太祖神は自らの内臓まで「地」に吐き出しました。「地」は太祖神の吐き出した「混沌」の水に満たされました。嘔吐物? 太祖神は殆ど瀕死の状態となります。この後は、全てのことは「盤古神」が差配します。< 写真 >「地」という容器は巨大な太祖神の吐き出した「混沌の水」の水球の様相として虚空に浮かんでいます。この後は、太祖神は何事も出来なくなります。太祖神の所在地は元の場所にあり。日本書紀・「幽宮(かくれのみや) 永久に静まる宮、に坐す」これは殆ど「死んだ」というふうに解釈されています。しかし、神としての人格は残っているのです。< 第四幕> 「混沌・カオス」1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。「神話」ではここから見える状態となりました。最初に見えるのが「混沌カオス」なのです。上記の作業によって「地」が「混沌・カオス」の水に満たされた「地」の状況を報告しています。創世神話の定石 「始まりは混沌」世界には多種多様な神話がありますが、「創世」世界の始まりの話は「混沌・カオス」となっているものが多いようです。・ギリシャ神話 世界の始まりは、なにもない無の世界。そこに始めて生まれたのは、カオス(混沌)でした。カオスは、その名のごとく混沌であり、あらゆるものが渦巻くものでした。・メソポタミアの「エヌマ・エリシュ」始まりは、混沌の中で水が渦巻いていた。・朝鮮半島・済州島の「天地王ボンプリ」 昔、世界には天も地もなく混沌のみがあった。・古事記序文 、さて、宇宙が開闢(かいびゃく)し、間もなく混沌は固まりましたが、天地の営みはまだ始まりません。 まだ名前も行為も存在せず、形も知られません。しかるに、天地が初めて分かれ、・・限りなくあります。< 第五幕 > 「浄化、精製」1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。その作業を行ったのは「殻の神」なのです。「殻の神・盤古」の働き盤古神は、虚空に浮かぶ巨大な水球のような混沌の海を巨大な棒でトルネードの様にコーロコーロとかき混ぜました。すると、軽く清く明るい 成分は、上に登り、重く汚く暗い成分は下に下る、 巨大な水球の「地」は成分毎に上下に分離し、層ができています。底には「ヘドロ」が溜まり、頂きは「光」を放つようになりました。これが「昼の神」と「夜の神」を分けるための「昼夜の神」論 の要点となります。「神話」の定石 「天地分かれてできた」創世記以外の神話の場合日本書紀「その澄んで明るいものは 薄く広がって★天となりました。重く濁ったものは★地となりました。 /// end創世神話でいう「天」とは「上の水」「上の地」のことであり、「地」とは「下の水」「下の地」のことなのです。これが神話の創世の結論です。「混沌」が「分かたれ」「混沌」が晴れて「天と地」となって完結するのです。その後に万物創造などが展開しています。次の難しい「切断」の話は見せません。「神話」では、これで簡単に幕引きとしていますが、事実は違っているのです。「天」の設定が「嘘」なのです。「嘘」を入れたので意味不明になりました。凡人我々の理解は、この程度で良いのですが、「創世記」は譲りません。< 第六幕 > 切断、分離 「おおぞら・天」の差し込みここが、最も重要なのです。「昼夜の神」論と「二つの天地」論が合流しているのです。・創世記 1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。・創世記 二日目 1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。最も難しい 二つの作業 となります。第一の「分ける」「昼夜の神」論で「分ける」は「切断、切り離す」という意味です。ここが大きな意味を持つのです。「盤古神」はどこからか持ってきた巨大な「御剣」を真横に振り払い、巨大 と言えば想像もつかない「地」の水球の最も太い腹の部分を真横に完全に切り裂き貫き切断しました。スイカを真横に真っ二つに切るようです。盤古神話にはこの部分が記録されています。 盤古神話 ・・・(盤古は)どこからか大きな斧を持ってきて、混沌に向かって思い切り振り下ろした。すると混沌は切り裂かれ、中にあった軽く清らかなもの上に向かって天となった。また重く濁ったものは下に降りていって地になった。 //end「盤古神話」はあくまで神話の定型を踏んでいるのです。「天と地」になった、という文言を入れてあります。多少のズレはありますが、盤古神が「大きな斧」で「混沌」を「思い切り」切り裂いた、と言っています。盤古神が 切断 の実行犯であることを自白しています。この上下に切断され分かれた「混沌の水」とは、 神話 「昼夜の神」論 「二つの天地」論************************************************上半部 天 「昼の神」原料 「上の水」下半分 地 「夜の神」原料 「下の水」二つ目の「分ける」この部分は「二つの天地」論の話です。 創世記 二日目 1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。/// endこれが創世記の「第二の分ける」です。盤古神話には続きがあるのです。「地」が上下に二つに切断されました。ところが問題が起こったとあります。上下に離された水球は切り口が元に戻って引っ付こうとした、というのです。「盤古神」はその隙間が塞がらぬように広げていくのです。盤古神話にはそれが詳細に書かれています。 盤古神話より、、、天と地とが分かれたあと、盤古はこれがまた閉じてしまうのではないかと恐れ、頭で天をつき、足で地を踏みしめ、天地の真ん中に立ってその変化に身をまかせました。すると天が一丈高くなるほどに地もまた一丈厚くなり、盤古の背丈も一丈伸びていきます。このようにしてまた1万8千年が経ちました。天は極度に高くなり、地もまた極度に厚みを増し、盤古の背丈も極度に伸びていました。盤古の背はいったいどのくらい伸びたのでしょうか、9万里と言う人もいます。この巨人はまるで長い柱のように天と地の間にすっくと立ち、二度と再び世界を混とんに戻すことを許しません。盤古はたった一人そこに立ちつくし、非常に大変な仕事をやり続け、また1万と8千年が過ぎました。こうして天と地の構造はだんだんと形となり、それが再び閉じる心配はなくなりました。盤古には休息が必要でした。こうして彼はついに倒れたのです。、、、、/// end朝鮮半島・済州島の神話「天地王ボンプリ」「 昔、世界には天も地もなく混沌のみがあった。ある時、混沌の中に隙間が生じ、天地王ボンプリが生まれた。ボンプリは、天と地を互いに引き離そうと、隙間の四隅に銅柱を立てた。/// end ※この「ボンプリ」も「殻の神」に該当します。まとめてみました。「昼夜の神」論 では 上の水 と 下の水 を分ける 事が目的である に対して、「二つの天地」論 では 間に「おおぞら」天 を作り 三界 に分けることが目的なのです。ここでは、この二つのことが連続して行われたのです。理屈っぽい当ハッカーは、この理屈を考えてみました。・「混沌の水」は一つの「地」という巨大な容器の中に入っている。・上の水 下の水 に「切断」され離れました、しかし、それは「地」という容器の中でのこと。その境界が問題です。言わば「真空切り」のような状態、傷口は生のままに曝されている。そのままに放置すれば再び引っ付いてしまいます。これを完全に分けるには境界面に壁を作り「地」という容器自体を「分ける」必要があります。工事が必要です。・実際に成されたこと。応急措置として、この水球の切断されて出来た隙間に絶縁物として「そら空」空気の層を吹き込みました。これで接触することがなくなりました。盤古は、そこにどんどん空気を吹き込み続けました。すると隙間はどんどん広がり高くなっていゆき「おおぞら」になりました。盤古神の働きにより「天」はどんどん高くなってゆき巨大な空間ができました。そして予定の高さまで広げられたのです。盤古神は「良し」として、最後に上下の「水」と「おおぞら」の境界面に丈夫な壁を作り、完全に分離し、二度と接触したり越境したりできないようになりました。★繭まゆを作る「かいこ」のイメージが浮かびました。「お蚕さん」は体内で絹糸の原料を合成し、それを細い糸として吐き出して内側から「繭」という壁を作ります。盤古神も自身の体内で材料を合成し、そこから「いと」を吐き出して壁を作ったのでしょうか。これで「地」という容器は「三つの部屋」のある容器となりました。「第二の天地」が太祖神が創ったものでは無く「盤古神・盤古神」の命懸けの業だ、というのが驚きです。「おおぞら」そこに元に戻らないように「柱」を立てた、というのです。これは第二の「天」の性質を表現するものでしょうか。この第二の「天」、我々の感覚と相当にズレがあるようです。「三層世界の完成」これで、完全に「上の水」「天」「下の水」という「三層世界」となりました。完全に分けられました。創世記の二日目の完了です。これで二つの目的がなされたのです。以外に小規模な第二の「天」「天」と言えば「無限に大きい」と考えますが、上記の内容を想像すると、どうも「天」だけが突出して大きいということはなさそうです。「地」という容器の限られた範囲の中のことなのです。天地が近かった、という神話神や巨人が、天地を分ける。https://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A9%E5%9C%B0?edc=MNGTRアーマンチュウメーの足型(沖縄の民話)大昔は天と地がくっつくほどで、皆、這って歩いていた。これでは困るので、沖縄の国の初めの神アーマンチュウメーが、両足を固い岩に乗せて踏んばり、両手で天を高く押し上げた。おかげで人間は立って歩けるようになった。岩にめり込んだアーマンチュウメーの足型は、今も残っている。巨人と天地分離の神話昔、天と地の距離が近かった時、トゥング氏という巨人がいた。毎日、水牛に乗り、肩に犂(すき)をかついで田に行った。いつも犂が天にぶつかったので、トゥング氏は怒り、犂を水牛につなぐ棒をはずして、天を突き上げた。こうして天は、今のように高くなった(ベトナム北部、ムオング族)。/// endこれらは、「天」を押し広げた盤古神のことを言っているのです。< 第七幕 > 「名づける」とは、「昼夜の神」の誕生創世記 1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。/// end日本書紀 、、その澄んで明るいものは 薄く広がって天となりました。 重く濁ったものは地となりました。 、、、そしてその後、その中に神が生まれました。 /// end日本書紀 第一段一書(四) ある書によると…… 天地が初めに別れて、神が生まれた。 それが国常立尊(クニノトコタチ)。 次に国狹槌尊(クニノサツチ)。 /// end天地開闢 (アイヌ神話) 昔、この世に国も土地もまだ何もない時、ちょうど青海原の中の浮き油のような物ができ、これがやがて火の燃え上がるように、まるで炎が上がるように、立ち昇って空となった。そして後に残った濁ったものが、次第に固まって島(現北海道)となった。島は長い間に大きく固まって島となったのであるが、その内、モヤモヤとした氣が集まって★一柱の神(カムイ)が生まれ出た。一方、炎の立つように高く昇ったという清く明るい空の氣からも★一柱の神が生まれ、その神が五色の雲に乗って地上に降って来た。 ///endいずれの神話も 別れた天地 からそれぞれ「神」が産まれた と言います。神話の「天地」とは「上の水・下の水」の事です。ここで現れた「神」とは「昼夜の神」のことです。ここで、上下に分けられた「混沌」は未だに「水」、成分だけは浄化されていますが、それがどのようにして人格を持った「神」となっていくのか、そしてそれにどのように「殻の神・盤古神」が関わるのかが定まりません。先の「昼夜の神」論のなかでも明確な答えが出せませんでした。☆新たにイメージが出てきました。二つの卵を羽の下に入れて温める盤古神 親ニワトリ盤古神最後のこの作業も「殻の神・盤古神」によってなされるのです。この作業は「温める」という5%が加えられて完成するようです。盤古神の働きによってできた丈夫な容器に入った「上の水」と「下の水」は丁度、二個の巨大な卵なのです。その卵を抱いて何年かかったのでしょうか。神話の世界です。何万年もかかったかも知れません。「卵」は有精卵です。中に「芽」があるのです。これはニワトリの卵と同様で、「芽」には新しい生命の為の強力な力が内包されているのです。この「卵」を盤古神が温めることによって、二つの卵の中で「芽」は全ての栄養を吸収して「混沌」が固まり人格を持つ二柱の神が出来上がります。そして「殻」を破って出てきます。出てきた二神は暫くそこに留まり、そして二神は「天」へと飛び立って行きます。後には、二神の去った後には、水は全く引き、2つの水の干上がった 上の地 と 下の地 空っぽの空間が残されました。そして 何も無い原っぱのような「天」が上下の「地」の間にあります。この後に、下の地 には「地上界」が、そして上には「霊界」が造られます。そして真ん中の「天」はどのようになるのでしょうか。しかし、現状は、それぞれは、ただの「空き部屋」なのです。「創世」という時代「昼」と「夜」という二神 が完成し、ここに「三神」が揃いました。そして「地」には、後に霊界となる「上の地」と地上界となる「下の地」、そして間中に第二の「天」という「三界」が整いました。「三界」&「三神」が調うこれで「創世」は終わりました。これから新しい時代になってゆきます。この時点で、天地創世の盤古神 の使命が完了しました。太祖神から与えられた 仕事 を成し遂げました。「不吉なお話」盤古神話より、、こうして天と地の構造はだんだんと形となり、それが再び閉じる心配はなくなりました。盤古には休息が必要でした。こうして彼はついに倒れたのです。、、、、/// end盤古神話では、「おおぞら・天」を完成して疲れて倒れた、となっているのです。しかし、事実は違います。事実は、上記の「ニワトリの孵化」の話しのように 喜々として 二つの巨大な卵を温め続け、遂に卵から二神が産まれたのです。ところが 盤古は、この二神を見て衝撃を受けたのです。特に 昼の神 これは明らかに自分よりも上等、位が違うことは、一目で分かりました。彼は一気に失望しました。そして一機に疲れが出て倒れたのです。確かに太祖神から話しは聞いていたはずなのですが、立ち上がれなくなる程の衝撃で 正に 倒れた 死んだ のです。創世神話は、盤古が倒れて完結しました。しかし、創世 これ自体は完成しました。「三界」&「三神」の完成これで、創世記、創世神話の話は終わります。創世神話では、その後は、それぞれの「万物、人、世界、創造の話」となっています。「名前」は誰が付けるのか?これが問題となります。次回に送ります。次の話は、「高天原サミット」 と題しました。恐るべし 盤古神話盤古神話は、私の説、次の高天原サミットに繋ぐしるし印を残しているのです。盤古神話の続き・・・こうして彼はついに倒れたのです。盤古が倒れた時、彼の体に大きな変化が起きました。その口から出る息は風と雲になり、その左の目は太陽となり、右の目は月となりました。・・・///endすごいです。ここに高天原サミットの冒頭で使う古事記の話しがそのまま書かれているではありませんか、アマテラスとツクヨミが産まれる場面です。イザナギ神が禊みそぎする最後の場面です。古事記 上つ巻 さらに左の御目(みめ)を洗いました時に成りました神は、名を天照大御神(あまてらすおおみかみ)と言います。 次に右の御目(みめ)を洗いました時に成りました神は、名を月読(つくよみ)の命と言います。 ///end盤古神話 ・・倒れた盤古の体から、古事記 ・・瀕死の太祖神の体から、(これは自説です盤古神話 左の目は太陽となり古事記 左の御目から(太陽神である)アマテラス天照大御神が生まれる盤古神話 右の目は月となりました。古事記 右の目から夜(月)の神である月読(月夜見)ツクヨミが産まれます。盤古神話と古事記に全く同じ事が書いてあるのです。天照大神アマテラスは、次の自説の主役です。盤古神話と古事記が連結されました。創世記を含めて創世神話は「天地分かつ」で次に進んでいるのです。しかし、私は、「恐ろしい」この続きがあることを発見したのです。創世の終わり、「三神」が「地」で誕生し「天」に飛び立って行きます。そして、太祖神の命により三神は「高天原(第二の天)」に集合するのです。ここで事件が起こるのです。このことが古事記日本書紀に書かれているのです。