京街道新年早々、氏神様の祀られている関目神社へお参りしてまいりました。 豊臣政権下この辺りは大阪城へ入るための最後の関所、関目村があり、いわく「関目の七曲」と呼ばれておりました。つづら折れのように、くねくねと折れ曲がり、敵の侵入を防御していたのです。この先が野江村そして、大阪城の京橋口へと続くのです。 ○関目の七曲がり ○関目神社 ○京街道標識 ○関目の七曲、入口