3日前に母方のじぃちゃんが亡くなりました。
数え年90歳で亡くなる前まで
畑仕事をしていたそうで。。。
身内が亡くなるのは
20年ぶりぐらいのことだったので
私自身、身近なものとして
改めて『死』を意識するきっかけになったので
綴り残しておこうと思います。
看護師として
人が亡くなる場面には
何度も遭遇してきました。
看護師として
初めて人の死をみたのは
沖縄県の病院に就職して
間もない頃。
その方は
身内のいない女性の方で
静かに息を引き取りました。
今まで整形外科に勤めていたので
人の死に遭遇することがなかったため
わたしにとってはかなり衝撃的な瞬間でした。
先輩看護師と死後のケアをするわけですが、
用意するものがたくさんあるので
(清拭するためのバケツやタオル、着替えやエンゼルケアセットなど)
先輩看護師が部屋を退室し
色々物品を取りに行っていました。
わたしも一緒に必要なものを
準備しに行かないといけなかったのですが、
どうもその部屋から出られずにいたことを
今でもよく覚えています。
『家族がいなくて亡くなってしまって
きっととても心細くて寂しいから
部屋に1人にすることは出来ない』
そういう感覚になっていました。
部屋で数秒でも1人にさせることが
できなかったのです。
先輩看護師がお部屋に戻ってきてから一緒に
死後のケアをしました。
先輩看護師からしたら
この人何も準備しないで、ただ部屋にいたのか、、、と
思われていたかもしれませんが。。
死んだ人にも
意識はある。
当時、霊的な知識など
全くなかった私でしたが
漠然とそういう感覚があったのだと思います。
それからさまざまな『死』を
看護師として関わって参りました。
今こうして霊的な世界を体感し
知った以上、想うことは
人は物理的に死を迎えたとしても
その人の意識、魂は確実に存在している。
ということです。
肉体を脱いだだけであり
魂は永遠に在るんです。
じぃちゃんに触れた時
とても冷たかったですが、
この肉体にのって
今まで人生を全うしてきたんだなと思うと
とても勇敢で、頼もしくて
愛おしくて、大切な姿でした。
そして『我が人生、悔いなし』という
力強いメッセージが伝わってきました。
人が死ぬことは悲しいことだけど
意識は側にあります。
あの世は時間と空間の概念がないので
必要であればいつでも
私たちのことを見守ってくれています。
じぃちゃんが亡くなったことで
私の感覚としては、
今までにないぐらいの距離感でより近くに
存在してくれてる感じで
コミュニケーションが取れる感じがあります。
物理的には触れることが
難しくなってしまったけど
意識はずっと側に在るのです。。
そして、
生きているって本当に本当に奇跡で
愛おしい瞬間、感謝すべき瞬間なのです。
物体や人に触れること
触れることで愛情を感じること
美味しい食事を味わうこと
感情を味わうこと
お金を稼ぐこと
欲望を満たすこと
承認欲求を満たすこと
美容に取り組むこと
運動をすること
本を読むこと
音楽を聴くこと
大笑いすること
温度を感じること
洗うこと、清潔になること
結婚、離婚、妊娠、出産
興奮を感じること
苦労や努力をすること
自然を感じること
旅行をすること
言葉を伝えること
ハグすること
生きているからこそ
できることなのです。
物質世界でしか
味わうことができない感覚です。
子ども達に大好きって伝えて
ハグすることは
物質世界だからこそ
味わうことのできる最高の愛なんです。
だからこそ
生きるを全うしてほしいし
自分もそうでありたいと思うのです。
この世に生まれ落ちた奇跡を
全てを味わって
『愛と感謝』を肌で学ぶのです。
じぃちゃんの死を経験して
生きることの奇跡や
死んでも魂は永遠に在るということを
改めて再確認いたしました。
深い愛と感謝を
教えてくれたじぃちゃん、有難う。
優しい優しい大好きなじぃちゃん。
🌈