3月11日 上杉鷹山没
財政改革、殖産興業、新田開発などの藩政改革を断行した米沢藩主・上杉鷹山が、1822年(文政5)のこの日、70歳で世を去った。鷹山は、関ヶ原の合戦後、越後最大の勢力から一転全国1、2の貧乏藩となった上杉家に養子として迎えられ、十代半ばで米沢藩主となった人物。大倹約令を公布し、50人の奥女中を9人に、木綿の着物をまとい、食事も簡素にして支出を7分の1に切り詰めるなど、自ら手本となった。鷹山の有名な家訓『伝国の辞』には、「国家人民のために立てたる君にて、君のために立てたる国家人民には之なく候」とある。