ちょうど最近高校に上がったばかりで、まだ自分がいわゆる「JK」であることさえ受け入れられていなかったのが、今や年度末を迎えようとしている。


私が「JK」となったことを受け入れられなかったのには理由があると思う。

それは、あまりにも自分が考えていた「JK」像と現実のそれがかけ離れているからである。

今じゃすっかり読まなくなったが、小学校時代は、例によってこんな私も周りと同じように少女漫画というものを読んでいた。

そこに描かれるのはだいたい、華のJC、JK(特にこっち)。

数年後には、全く予想できないが、こんな煌びやかな世界が待ち受けているものだとある意味洗脳されていた。

だが、時が経つのは早かった。

小学校の時追いかけた大きい背中。大きい歩幅。

今や、私は追いかけられる側となっていた。

私にとってみれば「暗黒の」中学生時代。

中高一貫であることは、暗黒が終わることがなさそうであると暗示する。

別にいじめられていたとかいうのではなく、逆に(他の学年ではあったそうだが)自分の学年にあからさまなそういうものがなくてとても良かったと思っている。

「暗黒」というのは、ただただ私が鬱々と陰気に過ごしていただけである。(前の記事でも話したことはあるが)

まぁ喜ばしいことに「暗黒」からは一年をかけて抜け出したと言えるわけだが、だからと言ってもう自分が「JK」の真ん中の時期に差し掛かろうとしていることを受け止めることができたわけではない。

まぁ、人生というものはそういうものなのかもしれない。

自分でも完全には受け止めきれないまま、ただただ時は過ぎて行き、置いてけぼりにされた者らは、人知れず社会から消えていく。


最近宇宙にはまっている。

宇宙に目を向ければ、人間などちっぽけというのも憚られるほど何の影響も与えられない、地球にとっての砂粒よりも、何よりも小さいもの。

地球のような球体が多く集まって太陽系ができ、太陽系のようなものが多く集まって銀河が構成され、そこまででもとてつもない大きさである銀河が集まって銀河群ができ、そのもはや想像を超越するデカさの銀河群が集まって超銀河団に。

ちなみに、超銀河団まで行くと、大きいものは、その領域は数億光年、100000個を超える大型銀河が集まっているとかいう。

一光年でも途方もない距離。数億光年?何ですかそれ?

想像を絶するにも程があるというか。

だからこそ、魅力を感じるのだろう。

私にとって天体とか星とかを含めた宇宙というのは、人間という私の中で最も煩わしいものなどまるで存在しないかのような、言葉に表せないような感動を秘めたものである。

人間の意思など介入しない、いや、介入しないどころか、最初から地球など、人類など、私など、なくてもよいのだ。


私、というか人間というかが、何も食べなくていい、飲まなくていい、というか摂取しなくていい、空気も吸わなくても生きていける(もはやそれは生きているのかもよく分からないが)ものだったならば、宇宙を永遠に旅することだろう。

この目で、銀河を、星を見、この体で、ブラックホールに吸い込まれたり星に降り立ったりしてみる。

いや、そういえばこの生身の体では、何を摂取しなくても生きていける体だったとしても、流石にブラックホールに吸い込まれたり太陽に降り立ったりその他あらゆる未知の星に降りたとうものなら宇宙の塵となって消えるだろうから、バイエンススーツ(劣化しない)を常に着用していることにしよう。

不老不死もおまけにつけておけば、永遠の宇宙の旅人の完成である。