あれは忘れもしない、2017年5月
大好きなお父さんが突然の末期がん宣告。
肺大細胞神経内分泌癌 : LCNEC ステージ4



咳がなかなか止まらなくて、おかしいなぁって思って病院へ行ったの。元々父はタバコ吸うからしょっちゅう咳してたから今回も大したことないと思ってた…


家族全員全然深刻に考えてなかった。

私「肺がんかも…」
父「俺はガンにならんよー( ̄∀ ̄)」

…お父さんいつも能天気過ぎた。




まさかあれから1年足らずで父を失うとは…ね。
お父さん、会いたいよぉ〜(T-T)







まず、LCNECって何やねんから始まった。
当時の私は肺がんの知識なんか全然なかった。

ちょっと説明すると
肺がんは大きく分けると2種類に分けられる。




小細胞肺がん: SCLCと 非小細胞肺がん: NSCLC。

SCLCは抗がん剤や放射線がよく効く。
その代わり進行が早くとてもタチが悪い。限局型ならまだしも大抵は進展型。ステージ初期で手術できても再発率が高いから油断できない。




NSCLCは主に腺がんが占めてて、抗がん剤や放射線が効きにくい。でもSCLCより進行遅いし、割とドライバー遺伝子変異があるから、分子標的薬も使える可能性高いし予後は比較的良い。



私の父のLCNECはそのSCLCよりタチが悪い!
つまり肺がんの中でもトップで予後が悪いやつだった。本当最悪だよー(T-T) 何度肺がんにするなら腺がんにしてくれと心の中で叫んだか…。


因みにLCNECは希少がんで僅か肺がんの2%しかいない。だから研究も進んでなくて、LCNEC独自の治療法が確立されてない。インターネットで調べても情報が殆どない。


未知の癌だからSCLCの治療法に準じて一般的には行われる。まぁオプジーボ保険適応SCLCはだめだけど、LCNECは保険適応で使えちゃうとこはラッキーだったな。唯一。NSCLCの抗がん剤も使えちゃうからね、LCNECは。


ところでさ!
細胞がんのガラパゴス化どうにかしてあげてくれんかね?未だに抗がん剤と放射線と手術しかないんやけど!分子標的薬も使えんし、免疫チェックポイント阻害剤も認可されてないからね。本当可哀想で仕方ないのやけど。光を与えろって感じよね。ごめん、話それました。笑






LCNECは化学療法においてSCLCより効きにくいし、進行めちゃめちゃ速かった。一難去ってまた一難が秒速でくる。

お父さん遺伝子変異無料で100個くらい調べてもらったんやけど、TP53のみ変異してた。SCLCやNSCLCはTP53と、もうひとつRB1変異してるパターン多いんやけどね...その他ドライバー遺伝子もなかったからALK,EGFR、ROS1とかの分子標的薬も使えなかった。神様は希望のき 文字も与えてくれなかった。
私の希望を悉く打ち砕いてきた…凄く残酷よ。






あ、でもSCLC、LCNEC両種ともヘビースモーカーがなる人多いから遺伝子変異(TMB)はめちゃくちゃ多いはず。だからオプジーボとかPDーL1発現陰性でも効く人はそこそこいると思ってる。NSCLCの扁平上皮癌のようにね。



うちの父はPDーL1発現陰性だった。でも9年前にサルコイドーシスという自己免疫疾患に罹ったから免疫反応が正常じゃなかったんよね。だからオプジーボ全然効かなかった。ヤーボイも試したけど併用副作用怖すぎてQOLこれ以上落としたくなくて続けるの断念したよ。お父さん肺気腫も間質性肺炎も微量にあったけんね。肺ボロボロだったんよー泣



あ、また話逸れました…笑
何伝えたいのかわからん記事になってもーた。 
何があったかより癌情報たっぷり語っただけというw



1年前LCNECをインターネットで必死に調べても何も出てこなくて、凄く困ったからこれが誰かの助けになれたら凄く嬉しいなぁって思っちゃったり(´∀`)

がんの事語り出したらわたし、止まんない…




本当に一生懸命父を救うためにアメリカ、中国の研究機関、病院に問い合わせたり、論文漁って知識つけたから記録に残しておきたくて。誰か困ってる方の参考になってくれればなって。そんな思いで癌の事も書いていこうかなって思ってます。


話を戻して、、、

まじ、ステージ4 根治は見込めないので、延命治療となります。って医者から言われた時の辛さといったら…
何で人間に生まれたの?なんで私地球人なの?なんで生きてるの?なぜ死はあるの?必死で生きる意味とか考えちゃったからね。哲学の世界1ヶ月休職した時入ってたから。



ドラマみたいな展開にメンタル弱いが崩れない訳がなく、、、ご飯が食べられない、夜眠れない、頭痛、感情のコントロールができなくて毎日泣きながらの仕事。ついには職場で倒れて、適応障害と診断。
休職を余儀なくされる。


うん、素晴らしい新入社員ストーリーだね( ^ω^ )
びっくり。あの時まじで、日本で一番不幸なのは自分だって、1mm足りとも疑わなかったからねw


あの時が人生で一番辛かった
毎日ほぼ24時間泣きっぱなし。

通勤の電車の中
会社行く道
休憩時間のトイレ
作業しながら鼻水と涙が溢れる
上司に泣きつく
帰りの電車、公園、散歩道
ご飯中も。



私「うわーん、お父さん死んじゃうもん。もう生きていたくない(T-T) なんでるちあを生んだのーこんな感情発達させた人間になんか生まれたくなかった!ミトコンドリアぐらいが丁度良かったぁ!なんなら、病気にかかっちゃう不完全な地球人に生まれたくなかった(T-T)」 ほんと毎日父や母に号泣しながら意味のわからんこと言ってた。24歳です、これでも。


父「大丈夫、俺は死にゃーせんよ( ̄∀ ̄)」

相変わらず能天気なお父さん。
でもあの時俺は癌じゃないよって自信満々に言ってて癌だったから信憑性ゼロでなんも慰めにならなかったけどね…



また続きは明日書くけど、
その人生で一番辛い時に支えてくれたのは




癌患者さんと、私と同じ境遇の方たちでした。
本当感謝しきれない。


また明日。文章下手でごめんなさい。