宮沢賢治の銀河鉄道の夜が昔から大好きで、今までに何度も本を読み返したりしてきた。なぜ好きなのか。彼の世界観や言葉の表現が綺麗で、もの凄く寒い時の透き通った空気に似ていたから。何故か強く惹きつけられる、そんな物語だった。

何故なのか、その何故に今日、気がついた。どうして今まで気づかなかったのか。

母方の祖父母にはとても可愛がられて私は育った。特に祖父は私にたくさんの愛情を注いでくれた。だから私は母よりも祖父のことが大好きだった。祖母も母と同じ位大好きだった。

その祖父母は旧樺太に住んでいた。終戦後、捕虜になりニ年程経って北海道に戻ってくることができた。母は祖父母が捕虜の時に生まれた。引揚げ船で赤ん坊が泣くと攻撃を受けるかもしれないからと、冷たい海に捨てられないよう必死にあやしていたと祖母から聞いたことがある。

今こうして私がいるのは母が引揚げ船で泣かなかったからだ。

樺太にいたということは幼い頃から知っていたが、樺太のどこに住んでいたかは祖父が亡くなるまで知らなかった。祖父が亡くなった後、遺品整理をしていた時に祖父母が樺太の落合というところに住んでいたと知った。

樺太から引揚げてきた人たちで、落合を懐かしみ手書きの地図を作成していた。その地図を遺品整理の時にみつけて、あぁ落合というところに住んでいたのだなと漠然と思ったのを覚えている。

祖父母が亡くなって何十年も経ち、今どうして銀河鉄道の夜が好きだったのか。

そうだったのか。だから私は懐かしいような悲しいような気持ちになるのか。

落合に住んでいた祖父母、少なくとも祖父は子供時代を過ごしたその場所を大切にしていたのだなと思った。だから地図の作成に関わったのだと思う。祖母もまたたくさんの思い出がある地だっただろう。

私は樺太に住んでいたことはないし、樺太の話も祖父母からほとんど聞いたことはなかった。でもすごく惹かれたということは、何かを感じ取っていたのかもしれない。

そして、祖母は元々岩手の人だった。

不思議な繋がり。



祖父の樺太関連の本などを整理していたら、また強く考えこんでしまいこのブログに書きました。いつかまたこの時のことを思い出せるように。

どうして私は住んだことがないのにこんなに強烈に望郷の念にかられるのでしょうか。