目次


1.露地栽培は生きるにあたってのペースメーカーになりうる=環境と調和できる

2.農を通して人間をつくる

3.農を通して野菜をつくる

4.農を通して景観をつくる

5.農を通して絆をつくる



岡安賢治のブログ 岡安賢治のブログ



1.
露地栽培は生きるにあたってのペースメーカーになりうる=環境と調和できる



以下に詳述しますが、個人にとって、社会にとって、生きるうえでのメリットがありすぎると思われるため、



「自分が愛情を注げる程度の面積の田んぼと畑を極めて公共性の高い家事の一部としてやる」(部屋を見れば性格がある程度わかるように、畑を見れば性格が見えてくるものです。自分の畑を外にさらすということは自分の部屋をスケルトンにして住んでいるのと同じようなものですし、さらには自分の内面を他者に暴露していることにもなりえます)



ことを推奨しております。



生きるということは環境と調和するということであり、時間的、空間的により広い範囲の環境に調和することは種の存続の観点からも極めて重要でしょう。



露地で農作業をしながら生きるということは、太陽を中心に据え、地球の自転および公転と共に生きるということであり、これは「より広い範囲で環境に適応する」ということの一例となります。(露地における農作業は日中しかできないのがよいですね。日の出・日没という制約条件により欲望の制御が可能となり、ペースコントロールがうまくできます。)






2.農を通して人間をつくる




感性を開いて環境に身を委ね、生き物や植物を時に愛で、時に観察し、身体をうまく工夫して使う。このように知性と感性と身体をバランスよく使いながら生きる生活こそが人間的な生活だと思うのです。さらには、自然相手がゆえの臨機応変な計画性や主体性、謙虚さが育まれますし、上述の一人一学問ともリンクしています。野菜の生育過程を見つめ続けることにより、人間を相対化することができたり、慈悲心が育まれるというメリットもあるでしょう。





3.農を通して野菜をつくる


これは定義上作りますね。

食糧は今の人間の身体構造を前提に議論する限り生存に必要不可欠なものですから、仮に食糧自給率が低い場合には、外交上非常に不利となりますし、安全保障上極めて危険であるとも言えるでしょう。(国という単位だけでなく、都道府県や市町村、集落、家庭、個人等、様々なスケールで自給率を見積もり検討することが大切でしょう)



また、現状の低いエネルギー自給率においては、他国に足元を見られたとしても止む無しと言えそうです。エネルギーの移動と質的変化に着目し、賢い農法を実践することが肝要でしょう。(「太陽を中心に据えて生きる」ことのメリットは、上記ペースメーカーになることのほか、エネルギー自給率の上昇(例えば太陽光発電)も含まれています。さらに、「太陽の下での平等」というより高次の人間社会への転移が期待されます)



さらに、グローバリズムの世界においても風土は均質化されないわけだから、当然、各風土に応じた野菜を(できれば自家採種により)作っていければ、それが奇を衒わなくとも各畑のブランドとなり、ひいては良質の食文化形成の起点となるでしょう。(その土地固有の気候・風土があってはじめて育まれる野菜を作っていれば、種のみが盗まれたとしても被害は軽微であり、その野菜を再現するためには気候・風土ごと盗む必要が生じますから強力なブランドになりえます。これからの時代は、暴力を振るうとすぐに壊れてしまうものを大切にしていくとよいでしょう)






4.農を通して景観をつくる



田畑は国宝に引けを取らない超重要文化財です。従って、畑を維持・管理するということは「文化財保護」に該当しますし、また、畑を創造することはパブリックな作品の制作だと言えるでしょう。畑は単に野菜を作るところではありません。環境に調和した形で畑(農地)やまち自体をデザインするという意識と工夫が必要でしょう。



故郷の人々の大勢が主体的に畑づくり=まちづくりをすることにより、より一層の郷土愛が育まれるでしょう。






5.農を通して絆をつくる



食物は古今東西問わず必要とされるものでかつ、人間に根源的な喜びを与えるものです。つまり、食物は強力なコミュニケーションツールとみなすことができるのです。従って、オリジナリティあふれる食を通して世代間、異文化間の交流を促進させることが可能でしょう。特に、共同で農作業をし、同じ畑で作った野菜を共に食べる経験を重ねれば、深い絆の形成が期待され、このことは社会の安定と個々の生存に大きく資すると考えられます。



農や食を通じた交流を促進させたい所以です。


上記、農を中心とした「ひと・野菜・景観の育み」を続けることにより、良質の文化形成が期待されます。

生タマネギ、生ねぎ、カレー、ハンバーグ、多くの外食やジャンクフード、スナック菓子、コーヒー、焼肉、ソーセージ、酒、たばこ。

これらの食物は、以前は平気だったものが多いのですが、最近は食後、身体発の不快信号が脳に伝達され、イライラしたり、粗雑な精神状態に陥ったりしていまいます。今でも味自体は大好きですし、食べることもできるのですが、心の平安を重視したいので極力避けています。

これは食に関する「個人的戒律」と言えるでしょう。

「個々が自身の身体の特徴や状態に応じた戒律や思想(もちろん身体の変化により変わる可能性はあるでしょう)を持って賢く生きていく」

この生き方が今後の主流になっていくのだと予想しています(一人一宗教)。

多くの人々が、主体的に検討することなく、同じ諸戒律の下で生きている現状は、生き方としては雑すぎるのではないかと思っています((ごめんなさいね。行動や思考の様式をルーティン化することにより脳にかかる負荷を減らすという戦略が生存に資するという側面はあると思います。))。

そんなわけで、各宗教の戒律の起源に興味を持っています。そこには人間の身体にとって普遍的なものもあるでしょうし、たまたま個人的戒律が固定されてしまったものも含まれるのでしょう。宗教から学びアップデートしたいのです。
 
ちなみに、お酒に関しては、たとえば収穫祭などの心から祝うべきイベントのときのみ、年に数回少したしなむのはありだと思っています。そういうお酒の飲み方こそが本当の贅沢であり、文化的な生活とはつまりそういうことだと思っています。


「一人一道」を推奨しています。

私の場合、書という「自画像」と向かい合い続け、心技体を育み続けたいと思っています。

書を通して、身体各部や精神の微妙な力みや異変、呼吸の乱れに対して敏感になり、早期の修正ができるようになりますし、型ができてくるにしたがって立ち振る舞いに品が出てきます。さらに、器用さや技術の獲得はもちろんのこと、書の文化や日本の文化についての造詣が深くなり、自国を相対化する際の基盤を獲得できますし、試行錯誤をしつつ上達していくというあらゆるものごとの習熟に共通する訓練をすることも可能です。もちろん、他にも様々な効用があります((後日詳述予定))。

数年後、書道教室を開設し、各自の道の手助けをするとともに世代間や異文化間の交流を促進させる予定です。具体的には、WWOOF等で来てくれた外国人のかたがたや、舞鶴在住の外国人のかたがたを対象に、書道教室(サークル)への参加希望者を募り、書芸術に触れてもらうとともに、子どもたちを始めとした地元の人々との交流を深めることを考えています。

「自身および自身のルーツを掘り下げることを学びの根本に据える」

このスタンスは、以下に述べた理由により、非常に重要だと思っています。

私は勝手に「一人一学問」を推奨しています。

各人が異なる身体構造と生い立ちを持っている無二の存在なのですから、当然、人の数だけ掘り下げるべき対象が存在するわけですし、各人が自身とそのルーツについてのエキスパートになれるわけです。

徹底的にローカルに向き合うことにより、独自性が獲得され、より魅力的なひと・まち・文化の形成が期待されます。

また、ローカルに対する注目は、外部への興味を喚起するとともに、外部理解の際の拠点となりえます。つまり、普遍性の獲得に寄与します。その結果、平和的共存のために不可欠である他者や異文化に対する深い理解と寛容の精神の獲得が期待されます。

上述のローカルに寄り添う「一人一学問」を通した独自性と普遍性の獲得は、個々の生存はもちろんのこと、文化の維持・発展、種の存続にも資するでしょう。

以上の理由により、私は自己教育に励むと共に、故郷における教育および学ぶ場や仕組みの提供にぜひ携わりたいと思っています。

具体的には、農、書道((下記「一人一道」参照))、私塾を通して知性・感性・身体をバランスよく育むことを考えています。とりわけ、農は自分の生まれ育った環境を最もよく知る手段の一つであり、例えば、初等・中等教育のほとんどの内容は農から説き起こせると考えています。さらに、農を含む自然の中での遊びにより、知的好奇心に駆動され、観察する、考える、調べる等、生き抜くために不可欠な学びの基本となる態度の習得が期待されます。

ところで、人道的側面はもとより、良質の文化維持・発展、治安維持のためにも、学びの機会および学びの楽しさを知る機会は、貧富等の境遇によらず、等しく得られることが望ましいと私は考えます。

そこで、この信念をシステムに反映させる方法の一つとして、所得の低い家庭等で学びたい意志をもった子ども達や成績の芳しくない子ども達には特待生制度として授業料を減額、または免除したいと考えております。状況次第ではボランティアでもよいでしょう。また、故郷の人々が少ない経済的負担で気軽に参加し、主体的に野菜・景観・自身を育むことができる「志民農園」の開設を検討しています。