お好み焼が好きであった。


好きであった、という過去形を使うのは、現在ではそれほどまでにお好み焼を食べようと思わないからである。


高校時代などは週に2~3回ぐらい食べていたように思う。その当時に「お好み焼が好きか」と問われれば、間違いなく「はい、好きです」と答えていただろう。


高校時代にいっていたお好み焼屋は「五万石」という名前だった。「中途半端な石高を店名にしているな」と当時は思っていたが、私の高校のあった地域の藩が五万石の城下町だったことに由来していると後に知った。


豚玉が300円ぐらいではなかっただろうか。その街には何件かのお好み焼屋があり、部活やら、つるんでいる友達やらで、行く店が自然と決まっていた。


五万石で、テレビの恋の話やら進学の話やらをよくしていたことを思い出す。それほどよい高校生活でないと当時は思っていたが、そういう思い出があることを思うと、それなりによい青春時代だったのでないかと思える。


味はといえば、まったく覚えていない。まあ普通の味だったのだろうし、それでよい。「あそこが旨い」だの「あそこはソースがいまいちである」などと話している高校生も気持ちが悪いものだ。


土曜日はお好み焼きが昼食であることが多かったように思う。家で食べるお好み焼きは広島風で、卵を後から一つのせ、ギューギューと押して作っていた。


お好み焼きを押すと「やわらかくならない。お好み焼は押すものではない」などと注意をされることがあるが、非常に鬱陶しい。好きなように焼いて食うのがお好み焼ではないのか。また関西人のお好み焼に関するこだわりを聞かされ「それが一番だからそうするように」といわれるのも嫌である。


地域、地域、人、人に食べ方、味の好みがあるものであり、それを他人に押し付けることは、野蛮な行為だ。


さて、どうして私がお好み焼からとうざかっているかといえば、おこうしたお好み焼講釈をたれる人間の存在と、その値段である。


300円でお好み焼を食べていた私には東京のお好み焼屋で1000円ぐらいするお好み焼を食べる気にはどうしてもならない。あの高校の帰り道に食べた、300円のお好み焼があれば、今の私も毎日、お好み焼を食べるだろう。


こう書いていて思った。


1000円だろうが2000円だろうが、あの高校時代の気持ちに戻れ、ああもくだらない話を酒も入れずにできるのであれば、毎日でも食べるだろう。


私にとってお好み焼とは、高校生時代の雰囲気で食すべき食べ物なのである。



先日、友人の結婚式いってきた。


都内の有名ホテルでの華やかな結婚式で、さすがは一流企業に勤める夫婦の結婚式といったところであろう。


有名ホテルだけあって、料理も素晴しいフランス料理である。


メインの鴨肉もその柔らかさは、普段、鴨といえば、蕎麦屋の鴨南蛮ぐらいしか食べない私には、驚きであった。ただ柔らかいだけではなく、存在感のある弾力も同時に持っている。鴨というのは本来こういう味がするものなのだと素直に関心した。


他の料理も手の込んだ調理が行われており、見た目にも華やかで、皿に色があふれている。フランス料理が世界中でご馳走として持て囃されていることに、納得する料理であった。


しかし、何かが足りない。


それは、醤油と出汁の味である。


フランス料理に醤油と出汁の味がしないのは当然だ。しかし、私はこの二つの味がないとどうしても物足りない。

我ながらこの保守的というか単純な味覚が情けない。だが、30を過ぎた今から、どうにかなるものでもあるまい。


私は30歳になった今でも一度も海外に出たことがない。


海外に対して臆する気持ちが強いのは、言葉の問題もあるのだが、それ以上に、醤油と出汁の問題である。


食べ物のことを心配し、世界を知ろうともしない自分はなんとも小さい人間だ。世界をまたにかけ、働き、戦う人など、私から見れば全員、英雄である。


卒業旅行にハワイにいく女子大生に対してすら羨望の眼差しで見てしまう。


簡単なことだ人は言う。しかし、どうしても嫌なのである。当分、私はこの国から出て行くともりはない。


自己嫌悪を感じながら醤油と出汁を味わい続ける日々である。



馬タケノコとは馬の大動脈です。

中野の味楽来という焼肉屋にここ4年ばかり通っている。

裏通りにある小さな焼肉屋で有名だったりということはない、ごくごく普通の街の焼肉屋である。

激安でもなければ、高くもない。

しかし、味楽来には馬タケノコという珍しいメニューがあり、これがこの店に通う、一番の理由となっている。

前記の通り、馬タケノコは馬の大動脈なのだが見た目はタケノコの水煮を思わせる、黄色がかった白色のリング状の肉だ。

血管ということもあり、コリコリとした食感なのだが他のコリコリ系の部位に比べて、肉厚であるので、ジューシーさもある。

ジューシーなためか、レモン汁との相性が非常によい。

この馬タケノコを食べて以来、妻といく焼肉は味楽来としている。

私はここと決めると、その店に通い続ける性質があるので、妻からすれば、退屈であるらしい。

「もう少し違う店に連れてってよ」などと言われたことも一度や二度ではない。

私は「焼肉は味楽来というのは、家例である」と妻に説明し、新しい店の開拓を拒否している。

習慣なり、家例なりをコロコロと変えるのに、私は反対である。

面倒であるし、第一、落ち着かないではないか。

味に関しても「どこが旨い」「ここが旨い」と言い、あれやこれやと店を渡り歩く人間もいるが、大概は徒労に終わっているように思えてならない。

結局は馴染み深い味というものが、最大の美味であると私は考えている。