お母さんが鬱・お父さんはPOEMS症候群(難病)

お母さんが鬱・お父さんはPOEMS症候群(難病)

58歳にして鬱病を患ったお母さんを
サポートする娘のブログ。

難病を患ったお父さんの(POEMS症候群)
記録も同時進行で綴っていきたいと思います。

鬱を患ったお母さん。診断されて8ヵ月経過。

詳細を忘れないためにもその時々の様子を

記載していこうと思います。



Amebaでブログを始めよう!

帰宅そうそう、母に話を聞いてみると


ことの始まりは3月11日


誰もが記憶に新しい


東日本大震災の影響が大きかったと


当時は話していた。



日常では目にすることない


非日常的な光景


目を疑いたくなるような映像


日本でこんな出来事が起こってるのかと


本当に信じられなかった。


続く余震に、またいつ地震が起きるのか


不安な気持ち、1週間程度だろうか


私もTVから情報を得ていた時


あまりの恐怖に夜眠れなくなり


精神的にいつもの自分じゃ


なくなっていることを感じた。


旦那さんのアドバイスで、しばらくは


震災のTVは見ないほうがいい。


と、しばらくTVからは遠ざかっていた。


そんなこともあった中、母が


震災の映像を毎日毎日見てたら

眠れなくなってきた


と話してくれた。



私も同じような経験をしていたし


母も元気がないだけで、さほど変わりはないし


ちょっと自律神経が乱れてしまったんじゃないか?


時間が経てば症状も落ち着くんじゃないか?


素人的感覚でいた。



この時までは・・・




続く・・・








忘れもしない10数年前の元旦の早朝6時頃


丁度友達がお泊りに来ていた時のことだった。


朝からお父さんが慌ただしく、いつもと


明らかの違う様子で、苦しい、呼吸が出来ない


と、ヒィヒィゼィゼィ過呼吸の様な発作を


起こしていた。


「病院に連れてってくれ」


お父さんは苦しそうにそう言うけど


私は「救急車」を選択した。


救急隊に来てもらったほうが


迅速な適した対処をしてくれるだろう


素人判断は危険すぎる


そう感じるほど、状態はよくなかった。



お父さんの様子から、息が上手に吸えていない


過呼吸っぽいな?と判断し、咄嗟に袋を渡し


口に当てがってもらい「吸って・吐いて」


側で一緒に声を掛けた。


高校時代に過呼吸もちのクラスメイトがいたので


対処法の知識はあった。



「5分くらいで到着します」


救急車が自宅に来るまでの時間が


このなにも長く感じたのは、この時が初めてだった



・早くして

・まだ来ないの????

・こんなんじゃ救急車来る前にお父さんが死んじゃう

・救急隊は何やってんだ?早くしろ



追い込まれるような感覚と苛立ちの中


遠くからサイレンが聞こえてきた。


友達とお母さんにお父さんの側に付き添ってもらい


私は一目散に外に飛び出し


救急車の姿が見えたら急ぐよう手招きをし


自宅へ導いた。正直ほっとした。


酸素マスクを当ててもらえばいくらかは


お父さんの呼吸も楽になるんじゃないかな


ただただそう思うばかりだった。


救急車に乗りこんだお父さん


私達も搬送先に行かなくてはならない為


寝起きのまま病院へ向かった。


友達も付き添ってくれて心強かった。



ただ・・搬送先もお正月休み。


緊急外来は開いていても


担当の先生が・・・整形外科って(泣)


この病院大丈夫?って思ったけど


この近辺では1番大きな総合病院


先生も専門の先生に指示をもらったのか


そのへんは定かじゃないけど


とりあえず滴を2本打ってくれた。


点滴が終わる頃にはお父さんも随分


落ち着いた様子だったのでホットした。


大事に至らなくて本当に良かった!!




でも・・・この頃から、着々とお父さんの身体に


病魔が忍び寄っていただなんて


誰も知る由もなかった・・




続く・・・

実家までは高速を飛ばして4時間弱


夜の21時過ぎに実家に到着。


どんな様子なのか、どんな表情をしているのか


内心とっても不安だった。


でも、私が動揺しちゃいけない、そう思っていたけど


「ただいまー」と元気よく帰ることはできなかった。



何ヵ月ぶりだろう・・実家に帰ってきたの


覚えていないくらい帰省していなかった私


お母さんに声を掛けると、私が想像していたより


はるかに調子はよさそうだった。


電話をしたその日まで、お母さんは


仕事に行っていたと聞いた。


調子悪いのに仕事行けたの??と聞くと


何とか行ってたけど・・昨日でおしまいにしてきた。と


受け答えははっきりしていたものの


元気のないお母さん・・


とりあえず、事の真相というか背景を


しっかり知りたかった私


矢継ぎ早にお母さんに問いかけた



続く・・・

























とにかく仕事熱心だったお父さん。


仕事一筋40数年。


小さいころの記憶を辿ると


お父さんに遊んで貰った記憶が殆ど無い。


・寝る前の怖い話


・お馬さんパカパカ


・人間鉄棒


この3つ位かな?!レパートリーは。



家族でどこかに出かけたことなんて


片手で数えられる位だった。


だからといって、淋しく感じたことは


1度もなかった。


家はお父さんが仕事で不在。


お父さんはいつもお仕事。が当たり前だった。



小さい頃の記憶を辿ると、お父さんの趣味は


音楽鑑賞?!レコードプレイヤーがあって


自作のスピーカで桂銀淑さんの曲を


よく聴いていた気がする。


MJも好きだったのかな。


当時はVHSのテープでスリラーをよく見てた。


ムーンウォークがかなり上手だった^^


ここぞとばかりに披露してくれたお父さん。



スポーツの趣味も結構あったみたいで


若い頃はスキューバ、スキー、ボデイービル


などなど楽しんでたみたい。


素潜りもできるって言ってたかな?!



特に夏が好きだったみたいで、夏男だ!!


なんて自分でよく言ってたのを思い出した。


健康だけが取り柄で、虫歯も1本も無し!!


病院とは縁遠かったお父さんが


50にして患った病気は・・・



続く・・







旦那さんの元に嫁いで4年を迎えようとしている私。


母の日間近・・・毎年何かしらお母さんに


プレゼントを渡してるんだけど


昨年は自分のことでいっぱいいっぱいで


プレゼントの用意が出来なかった。


電話だけでもと思い実家に電話をすると・・・


思ってもいない発言が返ってきた


「お母さん鬱かも」耳を疑った。



詳しく話を聞いてみると


数か月前から眠れなくなっていたと。


持病の高血圧でお世話になってるお医者さんに


相談したところ、軽い眠剤と安定剤の


2種類を処方してもらっていて


これを飲んでも眠れなかったら


専門医で受診して下さい。


そう言われていたらしく


「昨日お医者さんにお父さんと行って来た」


か細い声が受話器越しに聞こえた


5月初旬だった・・・



「えらいこっちゃえらいこっちゃ」


オドオドしている自分がいた。


とりあえずお母さんの側に行きたい


お母さんの様子を把握したい、顔がみたい


当時は私も仕事をしていたので


上司にすぐ電話をし、18時からの


最終の仕事だけキャンセルのお願いをして


業務終了後、すぐに実家に向かった



 続く・・