9月は、自民党総裁と立民党代表の選挙がありました。選挙といっても、それぞれの党員関係者の中での選挙でした。結果は、自民党は石破茂氏、立民党は野田は、自民党総裁と立民党代表の選挙がありました。選挙といっても、それぞれの党員関係者の中での選挙であり、一般選挙とは少し異なります。結果は、自民党は石破茂氏、立民党は野田佳彦氏が、いわゆる新党首となりました。石破氏は、鉄道マニアの趣味があり、野田氏は、船橋出身で、私にとっては両名ともとても親近感があります。まずは、御祝を申し上げます。
そのような時期でしたが、人生の充電期間中の私は、9月26日からJRの大人の休日倶楽部フリーパスで北海道まで行ってきました。鉄道だけで最北端の稚内まで、2日かけて行ってきました。
稚内の町を歩いて散策すると、群れを成したエゾシカがあちこちで見かけました。夜になると宿の駐車場にキタキツネがいました。気温は半袖では肌寒くジャンパーを着るほどでした。
日露戦争勝利により樺太の北緯50度以南が日本領となり、日本は鉄道や郵便局などインフラ整備をしてきました。稚内は、樺太の大泊を結ぶ稚泊連絡船(ちはくれんらくせん)の玄関口、青函連絡船でいう青森の位置づけでした。ソ連軍の侵攻の1945年まで続いていました。
ソ連軍の侵攻時に戦火の中、樺太の真岡郵便局にて働いていた9人の女性電話手が自決した話は映画にもなっています。稚内には9人の乙女の慰霊碑には「戦争は再び繰り返すまじ、平和の祈りを込めて尊き9人の乙女の霊を慰む」とありました。
稚内は漁業の中心地ですが、1977年(昭和52年)の排他的経済水域いわゆる200海里漁業専管水域により漁獲高が激減してしまった。
ロシア語の看板があちこちにあるようにサハリンからのロシア人観光客の受け入れも盛んであったが、ロシアのウクライナ侵攻以降皆無である。
稚内市の人口は、3万人、ピーク時の5万人から3万人に減少しているようで、やはり地方の人口減少が問題です。
稚内では、国際情勢、政治的決断により翻弄されてきたこと、エネルギー産業など企業誘致をしている、人口減少が止まらないことを散策して感じました。
冒頭の二人の新党首には、地方の人口減少を止める政策を是非実行していただきたい。