こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

【コウペンちゃんⒸるるてあ】

今日は、投稿ネタ

 

#自分を褒めてあげよう

 

におじゃましております( ・ω・)

 

毎日、ブログ書いて、えらい!

褒めてみました( ・ω・)

ちなみに、私がソーシャルゲーム『三國志覇道』を

やっていたとき、最初に作った軍団の軍団名は、

『褒めに来たエライ』

でした。戦争ゲームの軍団名でこの名をつけようと思うのは、

私だけでしょうねぇ( ・ω・)

 

 

さて、神武征討記の制作秘話です( ・ω・)

 

最新作

第87話

「轟け!陰陽太極退魔砲!

魔龍ナーガを討て!」

 

 

さて、第87話では、驚異のメタルボディを持つ

魔龍ナーガに、ミカワノタケチヨ達が大苦戦していましたが、

インドから応援の神様(仏様)が登場しました。

その登場シーンを振り返ってみましょう( ・ω・)

 

 

 

カーリー「西から…インドから何かが飛んできている。

この光の気は…まさか、ヤツか!?」

 

 

出雲(島根県)出雲大社、神々の間…

スサノオ達のいる異空間に光が飛来します。

 

 

オオクニヌシ「なんと!?この光は!?」

 

スサノオ「ブラフマー、ビシュヌ、シヴァら三神は

インドを動けないと聞いていたが。

まさか、あんたがこの日本(ヒノモト)に

応援に来てくれるとはな。

きっと、人間たちは、将来、

大和(奈良県)の地に、あんたのでっかい像を

作って祭ることになるだろね( ・ω・)」

 

アフラ・マズダ「まさか、まったく宗派の違う神々がこの島国に集まってくるとはな。

面白い。」

 

スサノオ「あんたのことは何て呼ぶのが正しいんだ?

バイローチャナ?ビルシャナ?それとも…」

 

大日如来「マハー・ヴァイローチャナ…

もっとも、この日本(ヒノモト)の言葉なら、

この語が言いやすいかな?

一切の諸菩薩の本地・大日如来。」

 

オモイカネ「仏教の世界の最高神とも言うべき存在。

大日如来か。」

 

大日如来「魔王カーリーは、比叡山というところにいるのか。

では、私はそこへ向かおう。」

 

オオクニヌシ「大日如来殿。しかし、我らは肉体を持って地上に直接現れることができません。

もし、地上に行くのであれば、神降ろしをできる霊力の高い人間の力を借りる必要があります。」

 

大日如来「大坂という地にいる神の戦士ヤマトノショウトク。

彼は仏に帰依する素養を持っているようですね。

私は、ヤマトノショウトクを通じて、地上で行動しましょう。」

 

スサノオ「わかったぜ。ヤマトノショウトクの近くにスライムになってるオオモノヌシがいる。

俺が大坂にいるオオモノヌシの所まであんたを飛ばすから、あとは、

ヤマトノショウトクと直接交渉してくれや( ・ω・)」

 

大日如来「スサノオよ。それでは大坂まで私を飛ばしてください。」

 

スサノオ「ほいよっ( ・ω・)」

 

 

 

インドから応援に来てくれたのは、なんと大日如来でした。

ちなみに、名前だけ出てくる

ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神は、

インドのヒンドゥー教で最高神的な存在の三神ですね。

大日如来は、仏教、特に真言密教では最高神格の如来様です( ・ω・)

 

 

さて、『大日如来』。

もともとのインドでの名は、

マハー・ヴァイローチャナと言われています。

このマハー・ヴァイローチャナからから来た名前に

毘盧遮那(ビルシャナ)仏があります。

そう、奈良の大仏様です( ・ω・)

 

大日如来について、

高野山霊宝館のホームページから説明を引用してみましょう。

 

 

(高野山霊宝館ホームページより引用)

 

仏に関する基礎知識:大日如来(だいにちにょらい)

重文・大日如来像 金剛峯寺

大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊(しょぶっしょそん)の根本仏として帰依し観想されている本尊です。

大日如来の名前は、大日の智恵の光が、昼と夜とで状態が変化する太陽の光とは比較にならないほど大きく、この世の全てのものに智恵の光をおよぼして、あまねく一切を照らし出し、また慈悲の活動が活発で不滅永遠であるところから、特に太陽である「日」に「大」を加えて「大日」と名づけられています。

真言密教の根本経典である『大日経(だいにちきょう)』と『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』には、衆生の救済者としてそれぞれ異体的な性格をもち、特定の誓願をもった諸仏諸菩薩をはじめ諸神が説かれていますが、これらの全ての諸尊は、大日如来より出生し、大日如来の徳をそれぞれが分担し、また衆生救済にあてられている諸尊の働きも大日如来の徳の顕現であると説かれています。

根本経典である両経には、大日如来の徳の現れ方を、多くの諸尊との関係において説かれていますが、その関係を図示したものが胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅で、この両曼荼羅を総称して両部(両界)曼荼羅と呼ばれています。

この両部曼荼羅に描かれている大日如来の姿は、釈迦如来や阿弥陀如来のような出家の姿ではなく、うず高く髪を結(ゆ)うなど、一般に菩薩形と呼ばれる姿をされて他の如来とは異なっている点が特徴といえます。菩薩形の姿である大日如来は、宇宙の神格化とも考えられる密教観から、宇宙の真理そのものを現す絶対的中心の本尊として王者の姿をされているといわれています。その姿は帝王にふさわしく五仏を現した宝冠(ほうかん)をつけ、菩薩よりもさらにきらびやかな装身具を身にまといます。背に負う光背は円く大きなもので日輪を表し、諸仏諸尊を統一する最高の地位を象徴するにふさわしい威厳のある姿です。

大日如来の姿の基本は変わりませんが、両部曼荼羅に描かれる大日如来の手の結び方(印相)が異なるところから、古来より胎蔵大日如来・金剛界大日如来と区別して呼ばれています。

胎蔵大日は、膝上で左の掌を仰けておき、その上に右の掌をかさね左右の親指の先を合わせ支える「法界定印」を結び、金剛界大日は、胸の前にあげた左拳の人差し指をのばし、右の拳をもって握る「智拳印(ちけんいん)」を結んでいます。

(引用終わり)

 

 

実は、私は、大日如来についての説明を何度読んでも理解できていません。

おそらくは、簡単に理解できるような存在ではないのでしょうね。

とりあえず、とってもすごくて尊い仏様だと理解しています( ・ω・)

 

 

日本人は古来からの日本の八百万(やおよろず)の神々を信仰するだけでなく、

古くから仏教の思想を取り入れてきました。

大日如来の元であるヴァイローチャナも、仏教発祥の地であるインドでは、

インドラ等の台頭してきたヒンドゥーの神々に圧迫され、敵対者として扱われていたようです。

インドは、ヒンドゥー教やイスラム教の勢力が強くなり、仏教は廃れてしまいました。

むしろ、仏教は、発祥の地インドよりも、東南アジアや日本などの東アジアで

広く信仰されてきたと言えるかも知れません。

 

 

ついでに、奈良市観光協会の「大仏の全て」というサイトを引用してみましょう( ・ω・)

 

 

 

(大仏の全て・奈良市環境協会サイトから引用)

東大寺大仏 -盧舎那仏とは-

聖武天皇は、災害や政変、反乱などが相次ぐ当時の社会不安を、仏法の力によって解消しようと(鎮護国家思想)、全国に国分寺の創建を推進する一方、大仏造立を発願。 東大寺の本尊として世界最大の金銅仏、盧舎那仏(るしゃなぶつ)の造営が始まり、天平勝宝4年(752年)に開眼法会が盛大に行われました。

◇ 盧舎那(ルシャナ)・毘盧遮那(ビルシャナ)=いずれもサンスクリット語のヴァイローチャナの音訳で、光明があまねく照らすという意味の「光明遍照」と漢訳される、華厳経の教主です。平安時代の密教で宇宙の根本仏とされる大日如来は、ビルシャナ仏から展開した仏です。

◇ 大仏さまと大仏殿の造立には当時人口の約半分、のべ260万人もの人々が協力しました。

 

仏教伝来 -どのようにして仏教が伝わったか-

仏教は、紀元前6世紀(紀元前5世紀説も有)に、インド、ネパール国境付近のシャカ(釈迦)族の王子として生まれた釈尊の教えです。 釈尊は青年時代に、人の生・老・病・死などの苦悩に深い思いをいたし出家。 約6年間にわたる苦行や瞑想により、仏陀(覚者)となられ、 悟りの内容や、だれもが覚者となれる可能性があることなど、その教えを広めました。 日本ではまだ縄文時代で、竪穴式住居に住み、狩りや植物などの採集などで生活していました。 その後、ガンダーラやバーミヤンからシルクロードの長い旅をして、

552年(538年という説もある)に百済から日本に伝わったとされています。

 

国分寺創建の詔 -なぜ東大寺を建てたか-

大仏のイラスト

東大寺周辺の地図

仏教伝来後、聖徳太子などが仏教を広めました。その後、藤原京から平城京に都が移ってからまもなく、政変や皇族同士の争い、疫病(えきびょう)、自然災害が多発しました。 天平十三年(741)に聖武天皇は国分寺創建の詔(みことのり)を発し、国ごとに仏像を造り、七重の塔を建て、仏法の力によって国を救おうと考えました。

◇ 国分寺創建の詔=国ごと(当時62の国にわけられていた)に鎮護国家のためのお寺を建てる、国分寺と共に国分尼寺も創建

 

 

大仏開眼供養会から現在-その後の大仏-

天平勝宝4年(752年)、大仏さまの目に筆で瞳を描いて魂を迎え入れる儀式-「大仏開眼供養会」-が行われました。 開眼の導師を勤めたのはインドの僧侶、波羅門僧正・菩提僊那(ぼだいせんな)です。 また、中国や朝鮮をはじめ諸外国の珍しい音楽や舞踊などが披露され、当時の東アジアの中では最大級の国際イベントとなりました。東大寺は鎮護国家の役目とともに、仏教の教理を広く研究することが求められていました。華厳、法相、三論などの6宗(南都六宗)を研究する組織が整えられ、六宗兼学の寺として、今で言うところの国立総合大学の機能を持っていました。 その中で最も重んじられたのが華厳宗で、本尊として華厳の盧舎那仏がまつられました。 しかし、斉衡2年(855年)に大地震により仏頭が落下。また、源氏と平氏の戦いのなか、治承4年(1180年)には平重衡の南都焼き討ちにより、大仏殿などが焼失しました。まもなく大仏は修復、大仏殿も再建されましたが、戦国時代の永録10年(1567年)、再び戦火により大仏殿は焼失、大仏も被災してしまいます。雨ざらしとなっていた大仏は修理され、元禄5年(1692年)に開眼供養会が、続いて宝永6年(1709年)には、大仏殿の落成を祝う「落慶供養」が行われました。 その後、明治元年(1868年)に出された神仏分離令(神道を国の宗教とし、仏教と分離する政策)により、南都の諸寺がいずれも衰えたため、大仏殿も世間から顧みられない状況となりますが、困難をおして解体修理が行われました。さらに「昭和の大修理」を経て現在に至っています。

今日の大仏さまは、奈良、鎌倉、室町、江戸の各時代の合作とも言えます。世界が平和で全てのものが栄えることを願って造立された大仏さまは、多くの人々の手で護り伝えられているのです。

 

(引用終わり)

 

 

私は、奈良の大仏様は好きです。

大仏様は大きくて優しくて、なんだか、

大仏様を見ていると心が安らぐ気がします。

 

日本の仏教美術に影響を与えたアフガニスタンの

バーミヤンの石仏は、2001年にタリバン政権によって破壊されました。

イスラム教の教えそのものは悪いとは思いません。

それを曲解して、歴史的な価値のある仏教美術を破壊してしまう

愚かな人間たちが悪いのだと思います。

そして、それを実行できてしまうのは軍事独裁政権だから。

人権問題も宗教問題も、平和も、

本当はすべてつながっているのでしょうね…

 

 

日本で仏教を広めた聖徳太子の前世であるヤマトノショウトクが、

大日如来の御加護を得て、どんな活躍をしていくのか?

次回の神武征討記本編は、いよいよ魔王カーリーとの対決です( ・ω・)

 

 

 

神武征討記 次回

第88話

「比叡山の決戦!

破壊の女神カーリー!」

 

 

歴史の糸を紡ぐのは誰だ!?

 

弁護士 岡本卓大の描く

かつて無いスペクタルドラマ!

 

神武征討記

 

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

にて、絶賛連載中!

 

 

自分を褒めてあげよう

 

 

 

 

 

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