前回までのお話はこちら。

 

 

2012年1月。

僕は、法テラスのスタッフ弁護士を任期途中で退職し、

養成時代にお世話になった埼玉総合法律事務所に入所した。

 

 

埼玉総合法律事務所は、東日本大震災後に、現在の場所に移転しており、

僕は、現在の埼玉総合法律事務所で、3つのグループのうちの

2課に所属した。

なんやかんやは、大家が変わっても存続したぞ( ・ω・)

 

 

 

埼玉総合法律事務所では、事件収入に応じた分担金を各弁護士が事務所に入れていたが、

まあ、そこそこの分担金は入れていた方かなと思う( ・ω・)

後のあさか総合法律事務所とちがって、10人を超える複数の弁護士の共同事務所

だったので、個人的には経済的にも楽だった。

まだ、過払い金請求もあった時代だったし、この頃が一番、お金持ってたかな。

すぐ、若い弁護士や司法修習生におごって使っちゃってたけど( ・ω・)

 

原発被害救済弁護団(埼玉)の原発賠償の事件も、もちろんやっていたけど、

別にそれに特化していたわけでもない。

債務整理事件、離婚事件、相続事件、労働事件、交通事故事件、契約トラブル事件、

不貞の慰謝料請求事件、子の監護権争い、親権者変更、親子関係不存在確認、認知請求、

いろいろやってたかな。

 

ファックス1往復で報酬200万円になった事件もあったし、

組長さんに債務不存在確認訴訟して、組長さんに取り立てあきらめてもらった事件もあった。

 

僕は、59期の弁護士だけど、

埼玉総合のときは、64期、65期、66期の新人弁護士とはよく事件を一緒にやったと思う。

 

埼玉総合は、司法修習生も、指導担当弁護士は違っても全4クールいたので、

別の弁護士が指導担当の司法修習生を刑事事件の接見に連れて行ったり、よくしてた。

だいたい、接見した後、一緒にお酒を飲んでおごってあげるような日々。

それでも、当時は、別に経済的にキツいとか思ったこと無かったなぁ・・・

まあ、余裕があったから、面倒みてたんだろうけど( ・ω・)

 

ネット21相談もこの頃始まった。

 

 

いろんな被災者の人の交流会に参加して、交流しながら法律相談したりもしてた。

 

刑事事件に関しては、あんまり多くは無かった気がする。

川越と比べて、浦和は国選があまり回ってこなかった印象。

国選が回ってきても、だいたい被疑者国選で不起訴にしてたので、

刑事事件の法廷に行くことも少なかったように思う。

 

否認事件は、だいたい不起訴。

傷害致死事件で不起訴になった事件もあった。

裁判員裁判の名簿には登録してたけど、

強盗致傷で被疑者国選についても、不起訴か、

窃盗と傷害での起訴だったりで、裁判員裁判には

まったくならなかった。

 

起訴されて被告人の弁護をしてたのは、

覚せい罪使用の事件か、刑務所出ておなかすいておにぎり盗んじゃった

常習累犯窃盗の人たちの事件だったかな。

常習累犯窃盗まで行かない段階なら、アパート探して、シェルター利用しながら

生活保護申請して、アパートで自立していった人たちもいた。

 

児相から回ってきた事件で、虐待親権喪失させた未成年者の未成年後見を

やるようになったのも、埼玉総合にいた頃だったか。

 

2年6ヶ月の埼玉総合時代。

いろいろあったように思うが、

いざ記事に書いてみようと思うと、

守秘義務の関係で書けないことがほとんど(^^;)

 

まあ、忙しく、比較的普通の弁護士生活してたのが、その頃だったのかな。

 

(つづく。)