一昨日に引き続き、昨日も研修を受け
相変わらず監視されていた。
それは全然構わないのだが、
電話応対のロープレのやり方が上手ではなかった。
Eさんが応対する番になって、
インストラクターは
知識があるからか、
重箱の隅を突くように
応対している人に細かい質問をしていった。
質問攻めに合って、焦っててんぱったEさん。
その後も散々ダメ出しをされていた。
研修が終わったあとに、
Eさんに声をかけにいく。
「基本は出来ていたから大丈夫☆向こうのやり方が下手くそなんだから、気にしちゃいけませんよ(^-^)」
「いやいや、大丈夫ですよ~」と言いながらも目を潤ませて
「ありがとうございました」と行って帰っていかれた。
さて次は、インストラクターの番。
タイムシートのチェックの時に話し掛ける。
「先生、あれはまずいわ~」
?!という顔で見てくるインストラクター。
「Eさんのロープレですよ、彼がてんぱって、喉がカラカラになって、2回もお茶を飲んでいたのに気づかれなかったんですか?」
「あぁ、たしかにてんぱっていたわね」
(気づいてたんかい!)
「それじゃあダメですって、てんぱらせたら何にも頭に入りませんよ。
研修の目的って、研修生に自信を持たせてデビューさせることでしょう?
逆に自信を奪ってることにどうして気づかないんですか??」
意外にもインストラクター、
涙目になっていた。
「研修の改善点を書いたので読んでおいて下さい」と紙を渡す。
帰り際に
「あと、そこに書いてあることで話したかったらいつでも時間作るので言って下さいね。俺は先生方とコミュニケーション取りたいので。」と伝えて。
さて、本日。
出勤して驚いた。
インストラクターの表情
研修の空気がこれまでと違う。
これまではギスギスしてグレーで陰気だった空気が一変して
まろやかで色彩豊かな心地良い陽気な雰囲気になっていた。
インストラクターのものの言い方も
それまでは
「○○はいいけれど、○○と○○と○○がダメ」という言い回しだったのが
「○○はダメだったけれど、○○と○○と○○がとっても良く出来ていたわ」に変わった。
あのあと心を入れ替えたのだろう。
人相の変わったインストラクターを
我が子を見守る気分でニコニコと見ていた。
休憩時間に話し掛けに行く。
「先生、今日は研修いい感じですよ。まろやかになってる」
「えぇ?!いままではピリピリしてたとでも?」
(うん、めっちゃしてたさ。とは答えずにスルー)
「先生、今日は表情が明るくて、美人ですよ☆」
「化粧がうまくいったのよー」
(いや、化粧のじゃなくて気持ちが変わったんだよ、とは答えずにスルー)
「勿体無いなぁ、メガネからコンタクトにして、ダサイ制服から私服に変えたらもっとよくなるのに!」
本気で想ったことを伝える。
やたら嬉しそうなインストラクター。
そのあとの研修も良い雰囲気は続き、
今日は一日、
誰の心も圧迫しない心地良い研修となった。
人を圧迫して楽しんでいた
50代の頭の固そうな女性でも
しっかりと伝えれば
心入れ替えてくれるのですね。
言って変わる人は素直な人。
あと、女性は何歳になっても美しくあった方がいい。
昨日の夜と、今朝と
インストラクターが変わるように
那古野(なごや)神社でお参りなどもして
祈っていた甲斐があった。
ようやく明日から
皆が安心して研修を受けられるようになりそうだ。
そして俺
ようやくマーク無しで研修が受けられるか?!(笑)
そうそう。
昼休憩の時に、派遣元の人が職場に来て昨日インストラクターにモノ言ったことを
「あなたの印象が悪くなるから損」と注意された。
案の定、色んな人に話が伝わっているらしい。
そして「何かあったらまずわたしたちに言って」とお決まりの派遣トーク(笑
「いや、間に人を挟んだらこじれますよ。絶対に直接話したほうがいい」
「中抜業は大変ですよねー」と皮肉る。
先生の表情も含め、今日の研修がこれまでと変わったことも伝え納得させ
「どうもご迷惑おかけしました!」と伝え、笑顔でお引取り頂く。
今日もよく働いた。
モノ言うのって、自分と相手のためにほんっとに大事ですね。
ホテルを先月で辞めて、
今は、コールセンターで研修を受けているのだけれど
世の中の縮図を見させて頂いております。
管理しやすい、【大人しく言う事を聞く人間】を育てたいインストラクター、
そして、何か感じていても、【事なかれで物を言わない】猫かぶりの研修生たち。
インストラクターが「なぜを持って教えているか?」と問いかけると
大したことない、ただのルーチンワーク。
決して、理由をもってやっていない。
なぜ、その仕事をしている??
皆がインストラクターの言葉を必死にメモする中で、
余裕で目を見つめてジーッと話を聞いている。
(意識の重心は足の裏にし、全神経でもって集中。内容は一回で頭に入る。)
結果:めちゃくちゃマークされています(笑)
8時間後ろにインストラクターつきっきり・・・俺は悪人か(笑)
ダメ出ししたくって堪らない様子です(`・ω・)b
そんなことはお構い無しに
休憩になると
管理的な研修で
凹んでいる子やてんぱってる子が元気になるように
「大丈夫☆大丈夫☆」と声をかけていく
結果:みんなに好かれる。
幼いインストラクターのふたり
俺を叩くのは全然構わないが、
俺と親しくなったからといってその人まで叩かないで欲しい
楽しく研修して、楽しく学べばいいじゃないかー(。・ω・)(。-ω-)ゥンゥン
相方七夜の教える演劇のレッスンでも似たようなことを伝えているのだけれど
人生で一番大事なのは動機・理由・目的と最近強く感じる。
「なぜ」を持たないで生きる人は、行動の意味を失う、と。
(七夜は、「何故が具体的にイメージ設定できているから、自然ないい演技ができる」といつも言う。彼の言う「いい演技」とは、しっかり相手の伝えたいことを受け止め、それに対して思ったことを的確に伝えられるコミュニケーション力をさす)
なぜ、毎日家事をこなす?
なぜ、毎日仕事に行く?
なぜ、毎日学校に行く?
なぜ、その職業になりたい?
なぜ、結婚したい?
なぜ、子どもを望む?
俺は、このなぜの回答はすべて「愛情」にいきつくと考えている。
(あくまで、俺はね)
ある時、親父に質問した。
「なぜ、子どもを作ったの?」と。
親父はサラッと答えた。
「家族が増えれば、幸せになれると思ったからだ」と。
今、この言葉はけっこーすごいなと思う。
幸福感って
人の行いの「何故」を知りそこに愛情を見つける、
もしくは、自分が行動において愛情を発する中で生まれてくる深い深い喜び。
例えば、何気なく毎日ご飯を作ってくれている母親、
その繰り返しの行動の出発点には
家族への愛情があると
本人もしくは家族が分かると
当たり前は当たり前のベールを脱いで
愛情と感謝の気持ちが沸いてくる。
それまで手抜きだった冷凍食品が
手作りの一品に変わるかも知れない。
もしくは、弁当箱を洗おうとした母親は
中に「いつもありがとう」と手紙を見つけるかも知れない。
そして、嬉しさが込み上げる。
例えば、毎日毎日夜遅くまで仕事をする父親、
その繰り返しの行動の出発点には
本人が意識しようとしまいと、
家族を養うのだ!という意思があると分かると
当たり前は当たり前のベールを脱いで
感謝の気持ちが沸いてくる。
父親だって完璧ではない。
彼もまた人間を学んでいる。
家族が労働の感謝を、労いの言葉やカタチで表すから、
父親はもう一度「この家族の為に働いているのだ」と確認する。
彼は、翌朝も胸を張り、元気に仕事に行くだろう。
例えば、長年連れ添っている恋人、
恋愛感情が冷めてしまっていても
いつも当然にそばに居てくれることが、
その当たり前が
どれだけすごいことか分かると
もう一度欲しくてたまらなくなる。
愛しくてたまらなくなる。
そして、燃え上がる愛情の中で
抱きしめるんだろう。
愛情を知るためにも
愛情を発するために、
絶対に「他人」の存在は必要。
そして、単なる標語ではなく
【当たり前】という奇跡を実感すること。
何気なく着信のあった友人だって
あなたが元気にしているか気になったからなんだよ。
愛は具体的な行動で、
必ず愛するための対象を望む。
だから人は人といる。
虚無感が支配している社会。
無関心という病に侵され
愛情につながる「何故」を持って生きていない人たちは多い。
多分、歴史上で、一番幸福感の無い時代かも知れない。
変わり者の俺は
例えば、今何気なく聞いている
竹仲絵里さんの歌も
一人の女性が
誰かに何かを伝えたくて
その想いを持ったから生まれたのだと知ると、
それだけで感動するんです。
こういうことを書くと
難しい話ですね、とよくコメントをもらうのだけど
シンプルなことしか書いてないのですよ~。
頭で標語になってしまっている言葉(例えば愛)
を考えるから難しいのであって
全部、理屈じゃなくて胸で感じることなんです。
光流
今は、コールセンターで研修を受けているのだけれど
世の中の縮図を見させて頂いております。
管理しやすい、【大人しく言う事を聞く人間】を育てたいインストラクター、
そして、何か感じていても、【事なかれで物を言わない】猫かぶりの研修生たち。
インストラクターが「なぜを持って教えているか?」と問いかけると
大したことない、ただのルーチンワーク。
決して、理由をもってやっていない。
なぜ、その仕事をしている??
皆がインストラクターの言葉を必死にメモする中で、
余裕で目を見つめてジーッと話を聞いている。
(意識の重心は足の裏にし、全神経でもって集中。内容は一回で頭に入る。)
結果:めちゃくちゃマークされています(笑)
8時間後ろにインストラクターつきっきり・・・俺は悪人か(笑)
ダメ出ししたくって堪らない様子です(`・ω・)b
そんなことはお構い無しに
休憩になると
管理的な研修で
凹んでいる子やてんぱってる子が元気になるように
「大丈夫☆大丈夫☆」と声をかけていく
結果:みんなに好かれる。
幼いインストラクターのふたり
俺を叩くのは全然構わないが、
俺と親しくなったからといってその人まで叩かないで欲しい
楽しく研修して、楽しく学べばいいじゃないかー(。・ω・)(。-ω-)ゥンゥン
相方七夜の教える演劇のレッスンでも似たようなことを伝えているのだけれど
人生で一番大事なのは動機・理由・目的と最近強く感じる。
「なぜ」を持たないで生きる人は、行動の意味を失う、と。
(七夜は、「何故が具体的にイメージ設定できているから、自然ないい演技ができる」といつも言う。彼の言う「いい演技」とは、しっかり相手の伝えたいことを受け止め、それに対して思ったことを的確に伝えられるコミュニケーション力をさす)
なぜ、毎日家事をこなす?
なぜ、毎日仕事に行く?
なぜ、毎日学校に行く?
なぜ、その職業になりたい?
なぜ、結婚したい?
なぜ、子どもを望む?
俺は、このなぜの回答はすべて「愛情」にいきつくと考えている。
(あくまで、俺はね)
ある時、親父に質問した。
「なぜ、子どもを作ったの?」と。
親父はサラッと答えた。
「家族が増えれば、幸せになれると思ったからだ」と。
今、この言葉はけっこーすごいなと思う。
幸福感って
人の行いの「何故」を知りそこに愛情を見つける、
もしくは、自分が行動において愛情を発する中で生まれてくる深い深い喜び。
例えば、何気なく毎日ご飯を作ってくれている母親、
その繰り返しの行動の出発点には
家族への愛情があると
本人もしくは家族が分かると
当たり前は当たり前のベールを脱いで
愛情と感謝の気持ちが沸いてくる。
それまで手抜きだった冷凍食品が
手作りの一品に変わるかも知れない。
もしくは、弁当箱を洗おうとした母親は
中に「いつもありがとう」と手紙を見つけるかも知れない。
そして、嬉しさが込み上げる。
例えば、毎日毎日夜遅くまで仕事をする父親、
その繰り返しの行動の出発点には
本人が意識しようとしまいと、
家族を養うのだ!という意思があると分かると
当たり前は当たり前のベールを脱いで
感謝の気持ちが沸いてくる。
父親だって完璧ではない。
彼もまた人間を学んでいる。
家族が労働の感謝を、労いの言葉やカタチで表すから、
父親はもう一度「この家族の為に働いているのだ」と確認する。
彼は、翌朝も胸を張り、元気に仕事に行くだろう。
例えば、長年連れ添っている恋人、
恋愛感情が冷めてしまっていても
いつも当然にそばに居てくれることが、
その当たり前が
どれだけすごいことか分かると
もう一度欲しくてたまらなくなる。
愛しくてたまらなくなる。
そして、燃え上がる愛情の中で
抱きしめるんだろう。
愛情を知るためにも
愛情を発するために、
絶対に「他人」の存在は必要。
そして、単なる標語ではなく
【当たり前】という奇跡を実感すること。
何気なく着信のあった友人だって
あなたが元気にしているか気になったからなんだよ。
愛は具体的な行動で、
必ず愛するための対象を望む。
だから人は人といる。
虚無感が支配している社会。
無関心という病に侵され
愛情につながる「何故」を持って生きていない人たちは多い。
多分、歴史上で、一番幸福感の無い時代かも知れない。
変わり者の俺は
例えば、今何気なく聞いている
竹仲絵里さんの歌も
一人の女性が
誰かに何かを伝えたくて
その想いを持ったから生まれたのだと知ると、
それだけで感動するんです。
こういうことを書くと
難しい話ですね、とよくコメントをもらうのだけど
シンプルなことしか書いてないのですよ~。
頭で標語になってしまっている言葉(例えば愛)
を考えるから難しいのであって
全部、理屈じゃなくて胸で感じることなんです。
光流
