柳生新陰流外伝 角倉与市郎
第二巻 ②
佐々木トシトシは源平の合戦後、兄が守護として近江国を頼朝公より拝領し、その領地内の吉田の庄に日本でも最も古いといわれている吉田城を構え、以後吉田姓を名乗る。コノ吉田の城は現代も残り、吉田神社があると聞き及んでおる。兄者の佐々木も佐々木神社として近江にあるらしい。この佐々木神社の神紋は四つ目結である。巷では、これは染め模様の目結いと説明されている。
おろか者! 鹿の子絞りから武家の紋章になったのではない。卑しくもご先祖様の紋章が着物の柄であるとは、なんたる破廉恥。では、この紋章に平四つ目七つ割とあるが、この理由が説明できるであろうか。源平の合戦以来存続した武将の末裔がお答えしよう。四つ割なら誰しも納得できよう。しかし、七つ割とある。どこが七つであるか。どの辺を足しても引いても七にはならない。家紋の図は日本家紋由来総覧 を見ていただきたい。
遥か昔、日本の神は全宇宙をつかさどる法則のことであった。天空を駆けて戻ってきた隼もこの宇宙の神の法則にしたがった。今風に言えば宇宙物理学の法則とでも言おうか。宇宙とはこの地球のことでもある。これは単純に物理学といえる。しかし神の領域は物理だけでは無く、数学、生物、歴史、化学など気を抜いてふやけているであろう受験生にも及ばない広大な領域の法則なのである。
この宇宙の神は古代メソポタミアでanと呼ばれ、日本では幼少のころ、母上から道端でオシッコをさせられたとき、ミミズも蛙もみな御免、マンマンちゃんanといった、あのanなのである。幼少のころ悪戯が過ぎたとき、だも見ていないと思って悪さしても天の神様が見ておられる。天の神は何も言わない、何もされない、でも、いつも貴方様を見てござらっしゃる。と今は亡き母上によく言われたものである。
この天空の神anは文字記号あるいは神の印では十文字の+で示されたのである。未だ正規の文字が存在しなかった遥か昔 + は天空の神を現したのである。この天空の神のお告げ、宣託は七つの枝の大木に降りたのである。今でも神社に行くと神木と呼ばれ大切にされシメナワがかけられている大木が多く見られる。そして、日本の神の数え方は神木由来なので一柱、二柱と呼ばれている。このため神の印である + を古代メソポタミアでは天の神anと発音し、この神の宣託が舞い降りる七つの枝の大木も神とされるにいたったのである。日本の神主さんの祝詞の最後にanと発音される。これはまさしく,シュメール語メソポタミアの神anをよばれているのである。我々日本人の多くは「天空の神、その印は夜空の星の瞬き」に見守られているのである。
天空の神とその宣託を受ける七つの枝の大木も神と同一視され、+ を七つの聖なる数とされ、神文の十字 + を七と呼ぶようになった。これが欧米ではラッキー7と今日言われるようになったのである。そして四葉のクローバーが何故か願いが叶うまじないのような形で今も伝わっているのである。この四つ葉のクローバーは佐々木神社の神紋である四つ目結と同じで、中央に天空の神の印である + が隠されているからである。島津家の家紋もこの天空の神の印である + なのである。ということは、四葉クローバーと島津家と佐々木家は遥か遠い昔、同一神であったということになる。ちなみにメソポタミアでも、天空の神の印 + を数字の七と呼んでいた。これを島津の方に確認したところ、十字の十ではないことは聞き及んでいた。しかし七とは知らなかった。との返答であった。そこですかさず島津家と角倉家とは昔親戚同族であったと告げたところ不信なご様子であった。柳生新陰流一子相伝者には顔で笑っていても心すなわち影は笑ってなかったことをみのがさなかったのである。 したがって島津家の家紋は丸に十の字ではなく七の神紋であるといふのが正解である。さらに佐々木という姓は、古称 ササラ木 である。さらに古くは ジャサラ木 であった。ジャサラの木とは古代メソポタミア シュメール語で天空の神の宣託が降りる七つの枝の神木のことであった。日本の佐々木神社の神とシュメールの神は同一であったことになる。