<もくじ>

 

前置きのひとり言

空港から市内への移動 & クスコ宿泊場所

・ マチュピチュ日帰り観光

・ クスコ市内半日観光

・ クスコ〜マチュピチュ、グルメの旅

 

 

 

 

 

 

■ マチュピチュ観光 ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日帰りでマチュピチュに行ってきて、使ったツアーはこちら

 

格安 クスコ発マチュピチュ1日ツアー・マチュピチュ入場券・往復列車チケット付 [英語ガイド]

 

備考:

・  ガイドとのやりとり含めて全て英語 (※日本語NG)

・  前日にホテルに手配担当が来て事前連絡MTGあり

・  添乗員がついていないので、注意 & 自分の努力が必要。

 

ホテル〜駅まではドライバー、ドライバーが駅に案内してくれて、列車は自分で乗車、到着後に繋ぎのガイドと待ち合わせ、ガイドさんがバス停まで案内してくれてバス乗車後、マチュピチュ到着後に繋ぎガイド②と待ち合わせして、観光ガイドにバトンタッチ。これで晴れてマチュピチュ観光。帰りは自分で列車の時間に気をつけつつ列車乗車まで実施し、ドライバーと待ち合わせした駅まで戻って、ドライバーにホテルまで連れて帰ってもらう。という流れ。

 

 

 

 

 

 

 

日数に余裕があってトレッキングが好きで、虫刺され対応が平気な人は、絶対にInka Trailをオススメします。インカ時代と同じ道でマチュピチュに行くなんて、素敵すぎるでしょ酔っ払い

 

でも、南米の虫刺されはなかなか強烈で、私も刺されたのですが、治りが遅くてイライラします笑い泣き ホテル&街で登山系の観光客が腕や脚をたくさん刺されているのも見かけているので、虫刺され対応は必須です。ちなみに私はパナマの虫刺されも全然治りが遅いので、中南米全般的の虫耐性が低い模様滝汗

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のマチュピチュツアーは日帰りなので、出発は、なんと朝の4時40分!5時開始の朝食にすらありつけないうえに、温水器が稼働していない時間だったので朝シャワーもできず、出発当初は非常に機嫌の悪い私でしたニヤニヤ

 

 

 

 

そこから車に揺られて1時間30分、到着したのはOllantaytambo街。ここから列車に乗るのですが、駅の前では、ちょっとした物売り/朝ごはん売りのおばちゃんがいて、朝ごはんに飢えていた私は、早速いただきました。

 

買ったのは、ベーグルみたいなパンと目玉焼きのサンドイッチ、ココアのマーブルケーキ、そして温かいココア。ココアは薄味気味で、謎の油があって、まぁこんなもんかって感じだったけど、アタリが、ココアのマーブルケーキは当たりでした!ほんわかと甘いながらも、バターも入っているしっとりケーキで、私にはとっても好みの美味しいものでした酔っ払い

 

 

 

 

 

 

 

サクッと朝食を食べてから、駅でチケットとパスポートを見せてから、ホームへ。 マチュピチュ行きの列車はたくさんあり、私たちが乗るときも10分前の列車に乗る人達でホームが賑やかでした。

 

今回乗ったのはPeru Rail. 少し高級な列車で、テーブルにマット・シルバーまで揃えてくれていて、天窓もついてるおしゃれ列車。ツアーで手配していただいたものだったのでこれになりましたが、少しランクを下げた、普通の電車もあるのでこんな高級仕様がデフォルトではございませぬ滝汗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅内のカフェでも朝食は購入できるものの、値段がだいぶ跳ね上がるので、ローカルの朝食を食べていてラッキーでした。でも、まさかの、列車内でも朝食で飲み物とにんじんケーキが振る舞われ、さすがに半分だけいただいて残りはカバンに一旦保留しましたちゅー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

列車はInka Trailするための人を途中下車させながらも、ゆらゆら走ること1時間、マチュピチュ駅のあるAgua Caliente 街に到着。

 

Agua Caliente っていうのは、熱い水、という意味で、温泉水も出ているそうですが、マチュピチュまでバスで30min程度なので、観光客の宿泊街として栄えていました。早朝の出発時間に追われることなく観光したい人には、ここでの1泊がオススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

駅に到着してさぁ繋ぎのガイドさんどこだと探したものの、どうも出てこない。5分くらい、ぐるぐる悶々していたら、ガイドさんの方から見つけてくれたのですが、atsukoがazukoになっていたうえ、苗字も部分変更されていたので全く気づかなかった。もうそのうち、azucar (砂糖)って呼ばれるんじゃないか思い始めたよ笑い泣き 

 

 

 

 

 

 

 

行きのバスは、少し列はあったものの、あっさり乗車完了。山道をジグザグゆらゆら30minほどのぼると、やっと念願のマチュピチュに到着!

 

観光ツアーが始まるまで1時間ちょい、先に写真撮影にあちこち探検して、そのあとは近くのカフェでまったりしました。ツアー案内中はゆっくり写真撮影できないので、この事前のフリータイムはとーーーってもありがたかったですちゅー

 

 

 

 

 

 

 

 

観光ツアーは、旅行会社のガイドさんがマチュピチュのガイドさんを紹介してくれて、実際は大きなグループの英語ガイドツアーに参加するような形式でした。マチュピチュの入り口の前にフリーのガイドさんがうじゃうじゃいたので、現地ガイドを特攻で探すのも全く問題なさそうでした。

 

ただ、ツアーに参加して思ったのは、ガイドによって紹介するポイントが違うので、グループ・個人に関わらず、自分で少しは事前勉強をして置いたほうが「細かい部分の見落とし」はなくなると思います。まぁ、大枠はどのガイドも紹介するので、ざっくり観光したい人は問題ないです。

 

マチュピチュ遺跡の全体を説明してたらキリがないので、atsuko的に感心したマチュピチュ遺跡のポイントを1つだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マチュピチュ遺跡、段々構造の意味 真顔

 

マチュピチュ遺跡の特徴でもある、段々畑のような構造。これは単に農作物を作るのはもちろんですが、

 

その標高差ごとに違う野菜を栽培していたそうです。

 

標高差を利用した違う作物の栽培は、適当ではなく技術研究されたものであり、モライ遺跡で研究されていたそうです。(モライ遺跡はクスコ市内から車で1時間30分程度の場所にあり。私は今回行っていません)

 

また、段々構造は表面だけではなく、中身がさらに大きな役割を持っていました。それが、

 

水の収集と浄水。

 

11月〜3月の雨季はもちろん、8月現在も雨が降ったり止んだりしているし、周囲の樹々は乾燥地ではなく熱帯雨林系の植物もある環境であるうえ、朝晩は霧があるので、「水」自体に困ってはいません。

 

ただ、どうやってそれを街に引き込んでいたか。

 

段々畑の中が、浄水器と同じような仕組みになっていて、これで水を確保し、水路に流して水を集めていたそうです。

 

そして最後に、そしてとても大切な段々構造の意味。

 

マチュピチュは急な斜面の山の中にあり、バスで来る途中も土砂崩れの工事で囲いがされていた場所もあったくらいなのですが、段々を作ることで浄水を確実にしただけではなく、排水も確実にすることで、

 

街を土砂崩れから守る役割も持っていた。

 

この段々畑の三段活用、個人的に感心しました。インカ人、すごくない?文字文化がなくて、実際どうやったのかが記録として残されてないのがめっちゃ惜しいわぁ...真顔

 

 

 

 

 

 

 

 

その他マチュピチュ遺跡の豆知識:

 

・ マチュピチュは、考古学者のハイラム・ビンガムさんがインカ文明の残る街Urubambaを探そうとしていたら、間違ってたどり着いてちゃっかり発見した遺跡。その時に村人にここは何?と聞かれ、村人はケチュア語の「古い山(Machu Picchu)」と答えたので、遺跡がマチュピチュになってしまった。でもこれ実は、発見当初はマチュピチュは植物に埋もれていた状態だったので山の一部に見えてしまったようで、マチュピチュの南にあるのが、本当の「古い山」のマチュピチュ山。埋もれていたからこそ、マチュピチュはスペイン侵略時にも破壊されずに残ったそうな。(ってか忘れ去られてただけよねニヤニヤ笑) インカ文明は文字がなかったので、正確な名称は未だに不明。

 

・ 建設するための労働力は、エジプトのピラミッド建設のような奴隷利用などではなく、税金労働。インカ帝国は労働力を税金として納める制度があった。

 

・ 藁葺き屋根は防水性を高めるために、アルパカやリャマの油を塗っていた。

 

・ まっすぐにカットされているように見える石ですが、隣接するパーツと合うようにオーダーメイドでカッティングしていた。

 

・ より太陽光を受けるために、建物は南北に長く、東西に窓が並べられている。

 

・ 日時計はコマーシャル撮影していた業者がカメラを落とした時に欠けてしまったので今は触れない。

 

・ ワイナピチュ山ではジャンプして記念撮影しようとした観光客が落下してしまった事件がある。

 

・ 神殿や王族の建物は大きな石を、居住区は小さな石で構成されている。

 

・ マチュピチュはそもそも500人程度しか住んでいなく、そのほとんどが宗教者、天体観測者、王族関係者/貴族、貴族従事者/手伝い、そして将来のエリートになるべく教育される若者たちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今では1日4,000人は訪れるマチュピチュ遺跡、帰りは、送迎バスはきちんときているものの、観光客数が多すぎるための大混雑で1時間待ちでこれもビックリでした。帰りの列車に間に合わないとシャレにならないので、遺跡見学に没頭しすぎないように要注意ですニヤニヤ

 

1912年7月24日に発見された遺跡なので、実は発見されてから100年ちょっとしか経っていないマチュピチュ遺跡。

 

忘れ去られていた遺跡は大量の研究者と観光客と大きな経済効果を持ってきてくれて、超・金のなる木になってくれて、インカ帝国の祖先様も喜んでいるんじゃないかと思いますデレデレ

 

 

 

 

 

 

 

ホテルに戻る頃には21時を過ぎていましたが、想像以上の高度文明を持っていたインカ帝国に魅了され、翌日はノープランだったのを半日観光にすることにしましたウインク

 

それは明日書きます〜ちゅー

 

 

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