茨城新聞に寄稿文が掲載されました。
日本で初めて行われた男子ゴルフ米ツアーでタイガー・ウッズが優勝し、故サム・スニードが持つ米ツアー歴代最多通算82勝に並びました。
タイガーの父親のアール・ウッズは米陸軍特殊部隊グリーン・ベレーの退役軍人で、42歳でゴルフを始めました。ゴルフの魅力にとりつかれたアールは、自分の息子を一流のゴルフプレイヤーにしようと思い、生まれてすぐのタイガーをベビーチェアに乗せて、ゴルフをタイガーの視覚に訴えるために、自分のゴルフスイングを見せていました。タイガーの手に握力がつき始めたころには、パターを手にさせ、歩き始めたらすぐにスイングをさせるなど、実践をとおしてゴルフを学ばせ、4歳のころには既にハーフ48のスコアでまわっていました。父親からゴルフの英才教育を受け、ゴルフに対して夢や目的をもっていたタイガーでしたが、スタンフォード大学の2年生のときにアメリカのある名門ゴルフ場で、肌の色の違いを理由にゴルフ場でプレーすることを断られるという出来事がありました。以来、タイガーは自分がゴルフで勝つことによって人種差別の壁を乗り越え、ゴルフ界に新たな道を開かせるために練習を重ねました。その結果が21歳と3か月4日という史上最年少でマスターズ・トーナメントを制し、世界中に「タイガー旋風」を巻き起こすことになりました。ウッズ親子はマスターズ・トーナメント最年少優勝の時に抱きあって喜んだり、アールの前立腺ガンの病状が悪化し最終ラウンドを観戦できなかった時には、優勝したタイガーが「この勝利を私の父に捧げます」とコメントをするなど強い親子の絆を見せてくれました。しかし、2009年にタイガーが交通事故を起こし不倫が報じられ、無期限の活動停止、契約解除などが続き、表舞台に復帰してからも、腰の怪我による成績低迷や、運転マナー違反による逮捕などタイガーにとって長い挫折の日々が続きました。
2018年に正式復帰してから、今季メジャー1戦目となるマスターズ・トーナメントにおいて数々の挫折を乗り越えた43歳のタイガーは14年ぶり5度目の優勝をし、息子の前で完全復活を成し遂げました。優勝後、タイガーは「息子は、ゴルフは沢山の苦痛をもたらすものだと思っていたはず。あの子たちの記憶を新しく上書きできた。」と、息子を強く抱きしめました。
様々な挫折を経験したタイガーが米ツアー最多記録に並ぶことができたのは、子どもたちがゴルフは苦痛という印象を変えるために優勝するというしっかりとした目標を持ち努力をした結果だと思います。ゴルフの基本は「パターで始まり、パターで終わる。」といいますが、この言葉は基本を大切にしなさいということだと思います。私たちもタイガー・ウッズのように日々の生活や仕事の中で基本を大切にしながら、常に強い目的意識や明確な目標を持ち、それにむかって努力すれば必ず良い結果が生まれるのではないかと考えています。