「ご挨拶」

 Bリーグ開幕のタイミングで3年間務めました日本バスケットボール選手会(JBPA)の会長を退任することになりました。いつも支えて頂いているJBPA賛助会員の皆様はじめ、各イベントにてご支援・ご協力くださいました皆様には改めて感謝申し上げます。

 

「設立秘話」

 2013年9月、選手が自発的にバスケットボール界の将来を考え、「日本のバスケットボールをもっとメジャーにしたい」という想いから、JBPAは発足いたしました。立ち上げで中心となった選手たちは、今はベテランとしてチームの最年長になっていたり、既に引退された選手もいます。当時の選手たちは、「今選手会が出来たからといって、少なくとも自分たちが現役の間に何か劇的に待遇が変わったりすることは無いと思う。でも、せめて将来プロを目指す子供たち、若い後輩たちには良い道を残してやろうよ。夢のあるプロリーグにしようよ。それがこの時代に生きる自分たちの役割じゃないかな。」そう言って、組織を立ち上げました。

 当初のミーティングは話が尽きず長時間に渡り、気がつくと毎回深夜を迎えていました。コート上ではなく、会議室の机の上で、将来のバスケットボール界について真剣に選手たちで議論をすることは初めてのことで、「これだけのアツい想いをみんな持っていたんだ」。このように感じたのは私だけではなかったはずです。それぞれの選手たちが、他の選手たちの発言に刺激されたはずです。こうした場を持てただけでも、JBPAは大きな意味を持つと私は確信しました。

 

「これまでの選手会の活動」

 これまでの具体的な活動としては、「JBPAキッズドリームチケットプロジェクト」と題し、子供たちを継続的にプロの試合へ招待してきました。現時点で通算10回、合計で数百名の子供たちに生の試合を観てもらっています。また、年に一回の一大イベントである「JBPAチャリティーイベント」は、東日本大震災復興支援としてこれまでの3年間で岩手、宮城、福島の3県で実施し、いずれも選手たちの手作り感のある温かいイベントとなり、被災地の子供たちに笑顔を届けることが出来たと自負しております。これらの活動は、1年間の活動報告にあたるフリーペーパー「JBPAマガジン」の発行と合わせ、本会の定期的な活動となっております。

 そして、過去には経営難となった和歌山トライアンズの選手たちへの支援、熊本地震被害に対して熊本ヴォルターズの選手たちを通じて支援するなど、臨時のケースにも出来る限り対応してまいりました。まだまだ影響力は微々たるものですが、この3年間で着実に活動の幅を広げてきていると感じています。

 

「予期しなかった出来事」

 さて、実際に形のある活動を始めていくと、予期せずして大きな話もやってきます。
 まだ設立間も無い頃、世界選手会連合(UNI World Athletes)の事務局長であったWalter Palmer氏から直接連絡が入り、会談が実現しました。Palmer氏は元NBA選手ということもあり、日本のバスケットボール界に選手会が出来たことが大変嬉しかったそうです。「国際的にも、プロスポーツには選手会が存在して当然だが、残念ながらいくつかの国や競技では存在しないケースもある。その土地の文化や様々なプレッシャーがあると思うが、自発的に設立出来たことは素晴らしいこと。我々も最大限サポートしていきたい。」とおっしゃって頂き、選手会のあり方について有意義な情報交換が出来ました。

 さらに、2014年12月、日本バスケットボール協会(JBA)が国際バスケットボール連盟(FIBA)から制裁を受けた際には、FIBAの事務総長であったPatrick Baumann氏から「選手の意見も聞きたい」と、JBPAに直々に申し出があり、日本での短い滞在時間の間に時間を作って頂き、選手の意見を直接届けることが出来ました。ここでの意見交換は、現在のJBA・Bリーグの「プレイヤーズファースト」の理念にも活きていると思います。

 このように、選手たちが自ら一歩踏み出し、行動を起こしたことによって当初は想定していなかった支援や協力を得られるようになりました。選手たちの決断は間違っていなかったと思っています。

 

「これからの選手会」

 さて、いよいよBリーグが開幕しました。このタイミングでの選手会長交代には、意外と思われた方もいたかもしれませんが、選手会は未来永劫続いてゆく組織でなければならず、バトンタッチの時期が必ずやってきます。ただ、私が会計士であることもあってなのか、「選手会長を務めるためには専門知識が無ければダメなのではないか」など、どうしても難しいイメージを持たれてしまっているようです。実務面は事務局や監事の方がサポートしてくれますし、そういった最低限の土台作りは3年間の中で作ってきたので、実際には専門知識なんて必要ないのですが・・・。

 それでも、二代目会長というプレッシャーは若手選手たちにとっては相当な重荷であることがひしひしと感じ取れたため、次期会長人事は難航しました。そこで手を挙げてくれたのが、設立当初から副会長として支えてくれた同期の竹内譲次でした。

 彼は選手としてはもちろん、日本代表とBリーグの顔となる立場ですし、これからBリーグを引っ張る若手選手たちとのコミュニケーションも取ることができます。JBPAのさらなる発展のためには最適な人材で、彼が二代目会長を引き受けることにより、次世代への良き橋渡し役となってくれるでしょう。こうして満場一致での就任が決まったのです。

 私自身は選手会長を退任いたしますが、JBPA所属の一選手としてこれからもJBPAの活動を全面的にバックアップしていきますし、変わらずバスケットボール会の普及発展に尽力してまいりたいと思います。

 以上をもちまして、これまでの3年間の活動報告並びに選手会長交代のご挨拶とさせて頂きます。今後とも日本バスケットボール選手会へのご支援・ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

 また、最後になりましたが、「JBPA通信」として毎月この場を提供して頂いております月刊バスケットボール様にも厚く御礼を申し上げます。