「学校に行かない」という選択

「学校に行かない」という選択

学校システムに収まらない子供たちが「不登校」というシステムに組み込まれるようになり
そこから外れた子供たちは呼び名もないまま行き場を失っているように思います。
「学校に行けない」を「学校に行かない」に変える。
そう思って娘と向き合ってきた記録です。

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なかなか書き進めることができず、序盤中の序盤で躓いている自分が情けないです。

 

家出の一件も書き終わってないのに、なんなんですが、ちょっと、今のあん子の様子を書き残しておきたいと思います。

 

家出の後、5年ほどは家から1歩も出ない生活を送っていたあん子ですが、昨年あたりからたまに外に出るようになり、7年目に突入する今年の1月。突然「お母さん、私、来週からバイトするから。明後日、研修に行かないといけないから、服を買いに行きたい」と。

 

驚天動地。

え。いつの間に?

 

すごいですね、今は。家から1歩も出なくても、web申し込みからオンライン面接で、仕事を決めることができるんですね。

 

いやいや、びっくりするのはそこではなく、大丈夫なのか?と。

だって、もう6年。家族以外と接触してないんです。しかも1日3時間とはいえ、週5日。とても続けられるとは思えませんでした。それで、また人間関係で嫌な思いをしたり、毎日通うのが辛くて途中でやめたりしたら、せっかく上向きになってきていたメンタルが、一気にどん底に沈むんじゃないか?という恐怖。せめて週2~3日から始めたほうが……。

 

でも、とにかく、本人の意志を100%尊重すると決めてやってきたんで。ちょっとでも「え?」という気持ちがバレると、全否定されたというくらいオーバーに受け止めちゃうから、そこはもうポーカーフェイス。「いつのまに?!」という驚きはもちろん表明しましたが、そこに伴う不安は一切封じて、二つ返事で「オッケー」と。

 

それから半年。なんとか続いてます。

人に言われて始めたわけではなく、自分で思い立って自分で探したバイト。長く苦しんでいた分、背伸びをするのはよくないと、本人もちゃんとわかっていたようで、できるだけ人と会わずに済むような、今の自分でもできそうな仕事を選んでるんですね。

 

6月末には、バイト帰りに大量のコンビニスイーツとジャンクなお菓子を買ってきて、「今日は半年記念だから」と。あん子のおごりで家族で菓子パーティーしました。こんなことができるようになったなんて。あの真っ暗闇の出口のないトンネルにいたころにはとても思い描けなかった。

 

バイトのほうは、楽しいとか、前向きになったとか、そんな様子では全然なくて、毎朝重い体を引きずるように出かけていきます。決めたことだからという思いで、続けるために続けてる感じではあります。

 

しかも、6月に入ってからは、どうも調子が悪いみたいで、バイトから帰ってくると倒れるように寝て、そのままずーっと翌朝までということも。最近は食欲も落ちていて、見ていてとにかくハラハラ。でも、ここで「がんばれ」とか「やめたら?」とか、絶対言わない。そういう価値判断をするような見方を、こちらがしていることすら感づかれちゃダメ。ただ、フラットに体調を気遣うだけ。そのフラットな「大丈夫?」もできるだけ最小限に留める。隣にいて、横目で盗み見る程度の距離感を保つ。バイト先で嫌なことがあるのかな、とか心配だけど、それも本人から話し始めるまで気づかない風情でじっと待つ。

 

結局、本人は、暑さのせいなんじゃないかと。よく考えたら、今まで夏もずーっとクーラーのきいた部屋で過ごしていて、外に出たりしてないんだから。そりゃ、暑さに対する耐性ゼロですよ。単に外を出歩くだけでも相当な負担なのに、そこにこの暑さですよ。ダメージは計り知れないと。今のところ、本人はそのように自己分析して、夏バテしないようにスポーツドリンクを用意するとか、対策を講じるみたいです。

 

とにかく、本人が自分で考えて、行動して、それが明らかに失敗しそうでも、その失敗していく様子を隣で黙って見続ける。本人がSOS出してくるまで待つ。ただし、SOSが出しやすくなるようにいろいろ工夫はしていますが。

 

そうして、これからもやっていこうと思います。

そうして、ここまで来たのだから。

少し脱線します。

 

あん子の話がなかなか書き進められないのですが、本日202258日放映されたNHKスペシャル「ヤングケアラー SOSなき若者の叫び」を見て思うところがあったので、書き留めておくことにしました。不登校とは、また異なる問題ではあるのですが、社会のシステムから滑り落ちた少年少女という意味では、不登校と通じるものがあると感じました。

 

特に心に強く響いたのは、43歳のカズヤさん。

小学生のときから30年間母親の介護を続け、38歳で母親がなくなり、自分の人生も終わったと思ったそうです。介護のストレスから摂食障害に陥り、固形物を口にできなくなったとおっしゃってました。パンと野菜ジュースをミキサーで砕き、生きるために食べているだけと言いながら背中を丸めて食事をする姿に、生きる屍のようになっていたかつての娘の姿が重なりました。30年も1人で耐えてきた方とあん子を比べていいはずはないのですが、社会に居場所を失って生きる目的が見えない人の諦観のようなもの、絶望すら超えて全く空っぽになってしまった姿は、とても他人とは思えなかったです。

 

その彼が、ヤングケアラー当事者の「ふうせんの会」に出ていく気持ちになったのが43歳。ということは、お母さまが亡くなって5年ですね。そこで同じ気持ちを共有できる人に出会い、会のスタッフになり、みんなで東京への旅行。できなかった修学旅行を体験できたとおっしゃってました。そして、アルバイトへの挑戦。

 

旅行を終えたあとのカズヤさんの顔つきは確実に変わっていたと感じます。表情が、目の光が全然違いました。あんなに変わるもんなんですね。

「自分が勝手に諦めていただけかもしれません。やってみれば意外とできるかもしれないと思いました。あしたのことを考えるのが楽しみです。」

5年という長い時間を経ての大きな変化。一口に5年といってしまうと単なる数字にしかなりませんが、先の見えない暗闇の中での5年は本当に長いです。それをたったひとりで超えてきたのかと思うと言葉もありません。

 

そんな方と比べてしまうのは、本当に申し訳ないのですが、それでも、カズヤさんを見ながらあん子のことを思ってしまいました。あん子が立ち上がる兆しを見せ始めたのが、引きこもってから4年、5年あたりだったんです。そして6年目に当たる今年、アルバイトを始めたんです。自主的に。聞いたときにはびっくりしすぎて、こっちが不安になるくらいでした。せっかくメンタルが安定してきたのに、ここでまた人間関係で失敗したりしたら元の木阿弥では……という思いが頭をよぎり、「無理しなくていいんだよ」という言葉が喉まで出かかったのをぐっとこらえたのを覚えています。

 

1日3時間半程度のバイトですが、週5日。3ヶ月続いています。このGWには、そのバイト代でお菓子を買って、家族に菓子パーティーを開いてくれました。バイトは正直大変そうですが、社会に触れるようになって、あん子の精気が格段に上がっているように感じます。もちろん、人と接触することでストレスも増えているようですから、また別の問題は生じてくるのかもしれません。不機嫌なことも増えました。でも、本当に体内に何かが満ちている感じがするんです。

 

 

カズヤさんも、あん子もそうですが、こんなふうに、内側から湧き上がるプラスのエネルギーほど強いものはないと思うのです。外から言われて立ち上がるのは、機が熟したわけではないので、無理をしてしまい、うまくいかない、自信喪失……という負のスパイラルに陥りがちです。だから、内側から満ちてくるのを、本人が自発的に行動するのを、じっと待つのが最善なんです。

 

番組のナビゲーターであるNPO法人の大空幸星さんが会いに行った方(名前を失念しました)がおっしゃっていた言葉。

 

「解決してやろうと思わないこと」

「『見てるで』と伝えること」

 

 私もそう思ってやってきました。大事なのは、ただ黙って見ていることなんです。気長に。本人が自分の力で立ち上がるまで。ただ見ているだけでいいんです。全肯定で。上から「見守る」のではなく、同じ目線で「隣で見ている」という感覚。でも、そばにいてただ見ているだけというのは思いの外、難しい。もどかしいし、つらい。でも、それこそが近道なんです。

 

今回は不登校の話ではなかったですが、私が信じて実践してきたことは、やっぱり間違ってなかったんだな、と思えてうれしかった。これからも、余計な口を挟まず、引き続き「全肯定」&「隣でチラ見」の精神でやっていこうと思いを新たにしました。

本人の希望で仮名を「あん子」にしました。

不登校をきっかけに何年も緊迫した親子関係が続いていましたが、今ではこうして「ブログに書く名前は何がいい?」なんて聞けるくらいに状態が回復してます。そんな小さなことに、いちいち、私のやり方は間違ってなかったよな、と確認してしまう自分がいます。

 

では、家出の日の続きです。

 

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進展のないまま夕方。最寄りの警察署では近隣の繁華街を探してくれている。

ふと、横浜かもと思い、警察に伝える。

警察と学校とのやり取り多数。

18時前にりんちゃんのママが来る。りんちゃんにあん子からtelがあったとのこと。あとからりんちゃんも来る。

17:15に1回。これは切れる。

17:42頃2回。計3回。

公衆電話から、私とダンナへの伝言。

りんちゃんがノートのメモをもってきてくれる。

コピーする。

事態が予想以上に深刻でがくぜんとする。

連絡があったことを警察と学校へ知らせる。

ダンナはとりあえず横浜へ向かう。(18:40頃)

私は自宅待機。

警察から横浜への応援を出してくれる。

こっちにいる可能性もあるので、21:30~私は自転車で近くの公園をまわる。

なぎ子自宅待機。21:17応援捜索打ち切り。ダンナ23:30の終電にのる。

 

 なぎ子はあん子の2つ下の妹で当時小学6年生。親のバタバタを何を思って見ていたのでしょう。そのときの気持ちを聞いたことなかったな。ただ、緊急事態であることは察していて、とにかく静かに大人しくしていたことしか覚えていないです。夜遅くに1人で家で待っていたのは、きっと心細かったはずです。

 

 

なぜ横浜と思ったのかはわかりません。ただ、あん子の好きなマンガの舞台になってたなぁと思って、なんかそんな感じがしたんです。

携帯を持たせていなかったので、公衆電話から電話をかけたようです。連絡をしてくるということは、まだ一縷の望みはあると思いました。ただ、家族ではなく、友達にかけてきたという事実がショックでした。

りんちゃんも、あん子が行方不明になっていることは知っていたので、突然の電話にもかかわらず、会話の内容をノートにメモしてくれていました。そのメモもそのまま載せようかと思いましたが、あまりに生々しく、本人にも申し訳ない気がするのでやめました。おおよそ、次のような内容でした。

 

・人に対して生理的な嫌悪がひどい。

・クラスメイトにも家族にも、何かされているわけではないのに、どういうわけか殺意を感じる。

・人を傷つけたくないから家出をした。

・うわべでは楽しそうにしているけど、何も楽しくない。

・母に相談してもまともに受け止めてもらえなかった。

・1週間前から出ていく準備をしていた。

・カッターを買って人を見るたびに傷をつけている。

・自分の傷の数は殺意を感じた回数。

・学校に行ったら深く切りすぎて死んでしまう。

・少ししたら帰るから、おおごとにはしないでほしい。

・帰ったら精神病院に入院したい。

 

そして、最後に、お父さんもお母さんもなぎ子も好き。こんな人間に生まれてごめん、とありました。何度も居場所を聞いたけど、それだけは言えないと断られたそうです。どうしても1人になりたかったのでしょう。

 

衝撃でした。

思った以上に深刻でした。

このメモがなかったら事態の深刻さに気づかなかった。

今、改めてメモを読み直すと、メモから「助けてー」という悲鳴が聞こえてくるようです。私はあん子がこんなになるまで気づいてあげられなかった。

 

家出をしておいて連絡してくるなんて、単なる「構ってちゃん」じゃないか。甘えている。と思う方もいるかもしれません。でも、それこそが、なけなしの気力を振り絞ったSOSだったりするんです。それは家出とは限りません。けれど、子供はそういう形で「助けてー」「わかってー」って叫んでる。大人はそれをちゃんと気づいて受け止めないといけない。私はそれが全然できてなかった。でも、本当にギリギリのところで気づくことができた。とにかく、首の皮1枚でつながっていたから、なんとか親子関係をやり直すことができたのだと思います。

 

殺す対象に母親である自分が含まれていたことはショックでした。まさか、私が?と思いました。確かに厳しめの親だったとは思います。でも、それは子供のためだから、子供もきっとわかってくれると、どこかで思っていた。

でも、そうか、私は、あん子にとって抹殺したいくらいの存在になっているということか、そんなことがあるのか、と。

でも、考えて見れば当たり前ですよね。子供だって別人格なんだから。親という権力者が、やみくもにこっちの言い分ばっかり押し付けたら嫌われるし憎まれる。当然なんです。

 

むしろ、「殺したい」と思いながらも、「家族は好き」と言い、「こんな人間に生まれてごめん」と言ってしまうことがおかしい。だって、殺意を抱く対象を好きだなんてありえない。多分、あん子は必死に「家族を嫌いになってはダメだ」って自分に言い聞かせていたんじゃないかなと思います。あるべき自分の姿を守ろうとしたんです。そしてそのあるべき姿をあん子に押し付け続けてきたのが私だったんです。

 

ノートの衝撃は強かったですが、とにかく最優先の問題は、あん子を探し出すことでした。電話はあったものの、居場所の手がかりは一切得られなかったので、引き続き横浜を中心に捜索を続けてもらいました。でも結局、何の進展もなく、夜になって警察の応援捜索は打ち切りになりました。なんとしても暗くなる前に探し出したかった。あん子のことだから、それなりのお金も用意して持っていったはずですが、ホテルなどの宿泊施設に泊まるとは思えません。十中八九、公園などで野宿するつもりだろうと。中学2年生の女の子が1人で野宿なんて危険すぎる。ダンナには終電まで粘ってもらうことにして、私も、もう居ても立ってもいられなくて、とにかく近所の公園や奥まった場所など、野宿できそうなところを探し回りました。でも、あまり遅くまでなぎ子を1人にするわけにもいかず、23時前には帰宅しました。

しばらく続きを書けずにいました。

 

ブログを書こうと思って、当時のメモを見ていたら、ばーっといろいろ思い出されてしまって、何から書いたらいいかわからなくなってしまったんです。まだちゃんと客観的に捉えられていないってことなのかもしれません。

 

それで、「このままでは1文字も書けないぞ。」と、少々焦りまして、いろいろ考えた末、とりあえず当時のメモを掲載していくことにしました。固有名詞とか以外は、当時のメモを極力そのまま入力して、それについて、思い出したことを少し付け足すというスタイルで始めてみようと思います。

ちなみに、家出当日のメモは長いので、何回かに分けます。今の私のメンタルがへたらない程度にゆるく続けていこうと思います。

 

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あん子家出。

いつもより早く朝練に出る。840頃、学校から登校していないとtel有。

昨日の部活もサボったらしい。

部活の友達に家出をほのめかしていたらしく、あん子が学校に来ていないと知って、お友達が先生に相談してくれたらしい。

 

担任の先生が、1限目が空いているので隣駅の方まで見に行ってくれる。

ダンナも駅近くや最寄りの図書館などを見に行ってくれる。

 

1130頃。110番で捜索願い。

最寄りの警察署の少年課の江藤さんからtel

警官が写真を取りに来る。

1215頃。私が警察署へ。

1時間ほど聴取。都道府県内では対応しきれないので、全国手配をすすめられる。

 

長い一日の始まりでした。

 

本人が友達に家出をほのめかしていなかったら、事件かもしれないと思ったかもしれません。そのくらい、私にとって思いがけないことでした。

 

 

でも、今思えばSOSはたくさん出ていたんです。

朝起きられない。

学校に行くのがめんどくさそう。

部活をさぼることが増えた。

保健室に行くことが多い。

などなど。

わかってから思い出してみれば、何で気づかなかったんだろう?というくらい、教科書どおりのわかりやすいSOSだったのに。きっと私が気づきたくなくて、気づかないことにしていたのかもしれません。

 

とにかく、学校からは、早急に警察に連絡するように言われたのですが、そんなはずがない、、、という気持ちが強くて、すぐには連絡できませんでした。

110番するのは、娘に前科をつけてしまうような気がして本当に怖かったですが、このままにして娘に何かあったら取り返しがつかないと思って、意を決して電話しました。

ただ、普通の捜索願では、その都道府県内しか捜索できないのだそうです。電車に乗ったらすぐに隣県に行けてしまうところに住んでいたので、中学生なら遠出している可能性もあるから全国手配が必要だと言われました。隣県だけの手配というのはできなくて、やるなら「全国」ということでした。娘の写真が全国の警察に出回るのかと思ったら、なんだか全国指名手配みたいで、これもすごく戸惑いました。でも、もう本人の身の安全には変えられないと思って、全国手配をお願いしました。
 

 

 

自分の経験を書き進める前に、

書いておかなくてはいけないことがあることに気づきました。

 

それは、まず、「不登校」にもいろいろあるということ。

でも、大事なことは1つということ。

 

例えば、

もともとコミュニケーション能力に問題はなかったのに、

何らかの原因で特定の先生や友達との関係が悪化したり、

いじめにあったりして学校に行かなくなった場合と、

もともと人とのコミュニケーションにストレスを感じやすかったり、

集団行動が苦手だったりして、

直接的な理由がないまま、学校に足が向かなくなってしまった場合では、

原因が全く異なるわけです。

原因が違えば、対処法も違ってきます。

 

直接的な原因がある場合は、

まずその原因を取り除くことが重要だと思います。

転校やフリースクールなど

環境を変えることは有効かもしれません。

でも、明確な原因がない場合は、

学校以外のシステムをあてがったところで、

根本的な解決にはならないと思うのです。

 

ウチの娘の場合、直接的な原因はありませんでした。

なぜみんなと同じように学校に行けないのか。

本人がいちばん途方に暮れ、苦しんでいたと思います。

 

ですから、このブログの内容は、

さまざまな不登校がある中の、

具体的な1つのケースでしかありません。

 

でも、1つだけ、すべての不登校の子供たちに必要なことがあると思っています。

それは、見守る側が「子供の生きる力」を信じること。

もう少し具体的に言うと、

子供の生きる力が満ちて勝手に自力で立ち上がって、自分から大人に対して具体的な要求をしてくるまで、余計な口出しをせずに黙って待つ、ということです。

 

これは、私が心理カウンセラーの内田良子先生から学んだことで、

6年間、ただひたすらこれだけを実践してきたと言ってもいいかもしれません。

 

今は、情報化の時代。

スピードの時代。

すばやく情報を収集して、スピーディーに解決に導く。

それが最善とされている時代だと思います。

 

でも、この問題に関しては、

じっくり時間をとって、

本人が考える力を取り戻すまで待つことが何より大切だと思うのです。

大人が考える効率のよい解決方法は、

本当の意味で本人の腑に落ちないので

結局苦しみが長引くだけ。遠回りになってしまうんです。

説得されて「そうだよね」と納得した解決方法と、

本人の内側から生まれてくる解決策とでは、

その芯の強さがぜんぜん違うんです。

待っている時間は決して無駄ではないんです。

 

我が家では、不安と絶望が渦巻く時間が長く続いたけれど、

今、立ち上がり始めた娘は、本当に自分の足で立っていると思えます。

彼女が出してきた解決策は、

およそ私の思いつかないものばかりで、

「え? それ?」って思ったり

「いやー、それは……」と感じたりするものも多かったけど、

娘とはいえ、別人格。

そういうものなんだろうとぐっとこらえて受け止めてきました。

 

もともと口うるさい親だった私としては

こんなことで大丈夫か? と心配になったり、

これは親の責任放棄にならないか? と不安になったり

そんなせめぎ合いがずっと続きました。

でも、それが間違ってなかったと、今、やっと思えるようになっています。

 

もちろん、このままうまくいくとは限らないし、

家族以外の人間関係を全く経験しないまま大人になったようなものなので、

これから社会に出たとしても、いろいろ苦労は多いと思います。

本人も、もともと人が苦手なのに、そのうえ人間関係の経験が乏しいわけですから、不安や劣等感でいっぱいだし、何かと悲観的になりがちではあります。

でも「自分で考えて進んできた」という意識が、

本人の支えになっているように思います。

 

急がば回れ。

子供が自分の力を信じることができるようになるために、

まずは親が「信じて待つ」。

私が学んだ唯一の解決方法です。