上野国(こうずけのくに)
八幡荘(やわたのしょう)
市民活動センターからの地域ガイド要請により、準備のため、ここ上野国(こうずけのくに)と、私の地元の八幡荘(やわたのしょう)について、年代順に記述していってみよう
第4回 国分寺建立の端緒
聖武天皇(日本の第45代天皇)
系図では
生年:701年9月18日〈大宝元年8月12日〉~
756年6月8日〈天平勝宝8歳5月2日〉
在位:724年3月3日〈神亀元年2月4日〉~
749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉
聖武天皇が即位してから、悪い事が続きました。「聖武天皇の苦悩」・「聖武天皇と仏教」を御覧ください
下図のように、聖武天皇は、彷徨の旅に
聖武天皇の彷徨図「不許複製」
天平12(740)年
8月 下旬 藤原弘嗣(不比人の三男)の上表文、起兵
9月 3日 朝廷は藤原弘嗣を謀反と断定、征討軍派遣
9月29日 聖武天皇の勅が出された。
10月23日 弘嗣逮捕
10月26日 聖武天皇は関東行幸に出発
関東とは、関の東。関とは鈴鹿の関を言う。
11月 1日 藤原弘嗣が処刑される
11月 2日 河口頓宮着
11月 5日 聖武天皇が、藤原弘嗣の処刑の報告を受ける
11月14日 赤坂頓宮着 11月26日不破頓宮着
12月11日 粟津頓宮着
12月15日 恭仁宮着 平城京の大極殿は解体され恭仁京へ移設され遷都。
天平13(741)年
3月24日 国分寺建立の詔(恭仁京で発せられた)
9月 9日 宮の造営のため大養徳・河内・摂津・山背の四カ国の役夫
5,500人を招集した。
天平14(742)年
8月と12月の2回にわたり紫香楽宮へ行幸 造離宮司
天平15(743)年
4月 3日~16日、7月26日に紫香楽宮へ~11月初めまで4ヶ月滞在
9月21日 紫香楽宮へ遷都。
10月15日 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)建立の詔(紫香楽宮で)
仏法を体現化した法身仏(ほっしんぶつ)「光り輝く者」
を意味するヴァイローチヤナを音訳した語。
10月19日 盧遮那仏の造立の体骨柱を建てるため甲賀寺の寺地を開いた。
つまり、聖武天皇は、国を救うために国分寺建立、及び、毘盧遮那仏建立の、2つの方針を打ち出しました。明日は高崎にも建立された「国分寺」の建立の詔を読みませう(*^_^*)
by八幡荘おじさん